第137章 誘うということ
翌朝。
万事修理店の扉が開いた。
「おはようございます」
月白だった。
「おはよう」
林夏は修理台から顔を上げた。
「今日は早いな」
「昨日、少し早く寝ました」
「それで?」
「早く起きました」
「なるほど」
林夏は頷いた。
「朝飯、食べる?」
「はい」
二人で朝食を食べる。
昨日と同じような朝だった。
けれど、月白は何度か林夏を見る。
何か言いたそうだった。
林夏は気づいていた。
「どうした?」
「……何でもありません」
「そう?」
「はい」
少しして。
月白が箸を置いた。
「林夏」
「ん?」
「今週末、予定ありますか?」
林夏は考えた。
「たぶんない」
「たぶん?」
「仕事が入るかもしれない」
「そうですか」
月白は少し黙った。
「では」
「うん」
「土曜日、私と出かけませんか?」
林夏は少し驚いた。
「月白から?」
「はい」
「どこへ?」
「まだ決めていません」
「じゃあ、何する?」
「それも決めていません」
林夏は笑った。
「何も決まってないじゃん」
「だから聞いてみました」
「なるほど」
月白は少し不安そうに林夏を見る。
「嫌ですか?」
「いや」
林夏は首を振った。
「行きたい」
月白の表情が少し明るくなる。
「本当ですか?」
「うん」
「では、土曜日です」
「了解」
月白は頷いた。
その時、店の扉が開いた。
紅葉だった。
「おはよう」
「おはようございます」
紅葉は二人を見る。
「何かあった?」
「土曜日に出かけます」
月白が言った。
「二人で?」
「はい」
紅葉は少し笑った。
「月白から誘ったの?」
「はい」
「へえ」
林夏が言う。
「何?」
「別に」
紅葉は椅子に座った。
「私も七番に誘われた」
「同じ日?」
「違う」
「じゃあ、よかった」
「何が?」
「予定が被らなくて」
紅葉は笑った。
「あなたたち、最近本当に普通の恋人みたいね」
月白が少し黙る。
林夏も黙る。
紅葉は二人の顔を見る。
「……何、その顔」
「まだ違います」
月白が言った。
「そう?」
「はい」
「でも、前より近くなった」
月白は少し考える。
「そうかもしれません」
紅葉は立ち上がった。
「じゃあ、私は邪魔しない」
「別に邪魔じゃない」
林夏が言う。
「知ってる」
紅葉は笑って店を出た。
午後。
月白はノートを開いた。
新しいページ。
――土曜日。
その下に。
――林夏と出かける。
少し考える。
――場所はまだ決まっていない。
さらに。
――私から誘った。
そこでペンを止めた。
少しだけ嬉しかった。
以前なら、誰かに誘われるのを待っていた。
相手が何を考えているのか。
自分がどう見られているのか。
相手が自分を必要としているのか。
そんなことばかり気にしていた。
今は違う。
自分が会いたいと思った。
だから誘った。
それだけだった。
夕方。
林夏のところへ、修理依頼の連絡が入った。
土曜日に遠方へ行く必要があるかもしれない。
「土曜日……」
林夏は少し考えた。
まだ確定ではない。
もし仕事が入れば、月白との予定を変更する必要がある。
林夏はスマートフォンを手に取った。
【土曜日、仕事が入るかもしれない】
月白からすぐに返事が来た。
【分かりました】
少しして。
【決まったら教えてください】
林夏は返信する。
【ごめん】
【謝らなくて大丈夫です】
【まだ決まってないし】
【はい】
そこで終わった。
月白は少しだけ寂しくなった。
けれど。
土曜日がなくなったわけではない。
まだ何も決まっていない。
だから、今は待てばいい。
夜。
林夏から連絡が来た。
【仕事は日曜日になった】
月白は画面を見た。
少し笑う。
【では、土曜日ですね】
【うん】
【楽しみにしています】
林夏は少し考えてから返信した。
【俺も】
その夜。
月白はノートを開いた。
――土曜日の予定が決まった。
その下。
――でも、土曜日になっても予定は変わるかもしれない。
そして。
――それでも、誘ってよかった。
最後に。
――会いたいと思ったことを、自分で伝えられたから。
翌日。
万事修理店。
林夏が工具を整理していると、月白が言った。
「土曜日、雨かもしれません」
「そうなの?」
「天気予報では」
「じゃあ、屋内にする?」
「それもいいですね」
「何か見たいものある?」
月白は少し考えた。
「本屋」
「また?」
「はい」
「好きだな」
「林夏も嫌いではないでしょう?」
「まあな」
月白は笑った。
「では、本屋に行きましょう」
「その後は?」
「決めていません」
「飯は?」
「食べます」
「それは決まってるんだ」
二人は笑った。
そして。
月白は少し考えてから言った。
「林夏」
「ん?」
「もし土曜日に、林夏が行きたくなくなったら」
「うん」
「その時は、言ってください」
林夏は月白を見る。
「どうして?」
「約束だから、無理に来る必要はないと思います」
「月白は?」
「私は行きたいです」
「じゃあ、行く」
「はい」
「でも、俺も行きたくなくなったら言う」
「お願いします」
二人は頷いた。
それは小さな約束だった。
一緒にいることを強制する約束ではない。
一緒にいたい時に、そう伝えるための約束。
その夜。
端末が光る。
【次回接触:予定】
【予定設定者:月白】
【同行:林夏】
【変更:可能】
【本人による選択:継続】
月白は画面を見た。
そして、少しだけ笑った。
「変更できるんですね」
林夏が言う。
「予定なんだから、そりゃ変えられるだろ」
「そうですね」
月白は端末を閉じた。
「それでも、土曜日が楽しみです」
林夏も笑った。
「俺も」
二人の間に、まだ名前のない関係がある。
それは固定されたものではない。
だからこそ。
明日も、来週も。
そのたびに自分で選ぶことができる。
【予定:成立】
【関係:継続】
【固定:なし】
【次の選択:土曜日】
【未来:未確定】




