第134章 知っていても、今日を選ぶ
翌朝。
月白は目を覚ますと、しばらく天井を見ていた。
昨日、端末に表示された文字が頭に残っている。
【本人による未来選択:確認待ち】
未来。
以前なら、その言葉だけで胸が苦しくなった。
何が起きるのか。
いつ起きるのか。
自分はどうなるのか。
誰と別れるのか。
誰を残すのか。
考え始めれば、いくらでも考えられる。
けれど。
月白はベッドから起き上がった。
「今日は、朝ご飯を食べよう」
それが最初に決めたことだった。
外へ出る。
駅前の店でパンを買う。
それから、少し遠回りをして万事修理店へ向かった。
店の前には林夏がいた。
「おはよう」
「おはようございます」
「今日は早いな」
「昨日より少しだけ遅いです」
「昨日は早すぎたからな」
月白は笑った。
「今日はパンを買ってきました」
「俺の分?」
「はい」
「珍しい」
「昨日、ご飯を作ってもらったので」
「じゃあ、今日は交換だな」
二人は店の中へ入った。
パンを半分に分ける。
林夏は一口食べた。
「うまい」
「よかったです」
「月白が選んだの?」
「はい」
「じゃあ、今日の朝飯は月白が決めたってことだな」
「そうですね」
月白は少し嬉しそうだった。
その時。
端末が光った。
二人とも画面を見る。
【未来接触:発生】
【予測対象:未確定】
【本人による選択:確認】
月白の表情が少し変わった。
「また……」
林夏は画面を見る。
「気になる?」
「はい」
「調べる?」
月白はしばらく黙った。
そして首を横に振った。
「まだいいです」
「分かった」
「知りたい気持ちはあります」
「うん」
「でも、知ったからといって、今日やることが変わるとは限らないので」
林夏は頷いた。
「その通りだな」
月白は端末を閉じた。
「未来を知るために、今日を全部使う必要はないですよね」
「ないと思う」
「それなら、今日はパンを食べます」
「それがいい」
二人はまた食事を続けた。
昼頃。
紅葉が来た。
「聞いて」
入ってくるなり、紅葉が言った。
「七番がまた遅れた」
「また?」
月白が聞く。
「仕事」
「怒った?」
「少し」
紅葉は椅子に座った。
「でも、今回は私も予定を変えた」
「どうしたんですか?」
「一人で先に行った」
「どこへ?」
「映画」
林夏が笑う。
「一人で?」
「そう」
「面白かった?」
「普通」
「じゃあ、何で行ったの?」
「見たかったから」
紅葉はスマートフォンを机に置いた。
「七番と会うことと、映画を見たいことは別だから」
月白は頷いた。
「そうですね」
「七番に会えなかったからって、私の一日まで消えるわけじゃない」
林夏が言う。
「それ、いいな」
紅葉は笑った。
「でしょう?」
「俺も使おう」
「何に?」
「月白が来なくても飯を食う」
「当たり前でしょ」
三人が笑った。
午後。
澪から連絡が入った。
【今日は真琴さんに会えません】
月白が画面を見る。
その後。
【でも、今日は一人で本屋に行きます】
紅葉が言った。
「いいじゃない」
【楽しんできてください】
月白が返す。
少しして。
【はい】
短い返事だった。
けれど、それで十分だった。
夕方。
店の客が一人来た。
古い指輪を持っている。
「これ、直せますか?」
林夏が受け取る。
「できます」
「ありがとうございます」
男は少し安心した顔をした。
けれど、すぐに言った。
「これ、昔の恋人にもらったものなんです」
林夏は指輪を見る。
「そうですか」
「別れてからも捨てられなくて」
月白が静かに聞く。
「まだ好きなんですか?」
男は困ったように笑った。
「分かりません」
林夏は指輪を机に置いた。
「分からなくても、持ってていいと思いますよ」
男が顔を上げる。
「そうですか?」
「指輪を持ってることと、もう一度付き合うことは別だから」
男は少し考えた。
「……確かに」
「直しておきます」
「お願いします」
男が帰ったあと。
月白が言った。
「林夏は、人間関係を直せないってよく言いますね」
「直せないからな」
「でも、直す方法を考えることはできる」
「それは本人がやること」
「はい」
月白は頷いた。
「私も、自分のことは自分で決めます」
「うん」
「たとえ、未来に何かあるとしても」
林夏は少しだけ黙った。
「月白」
「はい」
「未来が怖くなったら、言っていいからな」
月白は彼を見る。
「どうして?」
「一人で怖がる必要はないだろ」
月白はしばらく黙っていた。
それから、小さく笑った。
「分かりました」
「でも、俺が全部解決するとは言わない」
「知っています」
「そこ重要だから」
「はい」
月白は笑った。
「林夏は、私の人生を代わりに決めない」
「うん」
「でも、一緒に考えてくれる」
「それくらいならできる」
「それで十分です」
夜。
月白はノートを開いた。
今日のページに書く。
――未来について、少し怖くなった。
その下。
――でも、今日の朝ご飯は美味しかった。
さらに。
――未来を知らないことと、未来を恐れないことは同じではない。
少し考えて。
最後に書いた。
――怖くても、今日を選ぶことはできる。
林夏が横から見る。
「今日は長いな」
「書きたいことがありました」
「じゃあ、俺も一行」
林夏はペンを取った。
――明日も、朝飯を作る。
月白が笑った。
「それは未来の予定ですか?」
「予定」
「変更するかもしれませんよ」
「その時はその時」
「なるほど」
月白はノートを閉じた。
店の外は静かだった。
二人はしばらく何も話さなかった。
やがて月白が立ち上がる。
「今日は帰ります」
「うん」
「明日も来るかもしれません」
「かもしれない?」
「はい」
「じゃあ、待ってる」
「来なかったら?」
「その時は一人で飯を食う」
月白は笑った。
「では、また明日」
「また明日」
月白が店を出る。
少し歩いたところで、端末が光った。
【未来接触:発生】
【本人による選択:継続】
【予測:不能】
月白は画面を見た。
そして、電源を切った。
未来はまだ分からない。
それでも。
今日、パンを選んだ。
今日、林夏と食べた。
今日、少し怖いと伝えた。
今日、自分で帰る時間を決めた。
それでよかった。
【今日の選択:本人による選択】
【未来:予測不能】
【関係:継続】
【固定:なし】




