第124章 今度は、私から
午後。
古本屋の前で、澪は一人立っていた。
手には一冊の本。
昨日、真琴と話した時に見つけたものだった。
買ったわけではない。
ただ、気になっただけだった。
澪は店の前で少し迷った。
入る理由はある。
けれど、それだけではない気もした。
スマートフォンを取り出す。
画面には、昨日登録したばかりの連絡先。
真琴。
澪は名前を見つめる。
何度か文字を入力して、消した。
「……何を書けばいいんだろう」
結局、短く打った。
――今日、少し話せますか?
送信。
数秒後。
返信が来た。
――はい。どこに行けばいいですか?
澪は少し考える。
そして、古本屋の名前を送った。
待っている間、店に入った。
昨日見つけた本を棚から取り出す。
ページをめくる。
けれど、内容はほとんど頭に入らなかった。
十分ほどして、入口のベルが鳴った。
「澪さん」
真琴だった。
「来てくれたんですね」
「誘われたので」
「そうですよね」
澪は少し笑った。
「今日は、私から誘ってみました」
「はい」
「どうして誘ったのか、自分でもまだ分かりません」
真琴は少し考えてから言った。
「分からなくてもいいんじゃないですか?」
澪は顔を上げた。
「……そうですね」
二人は古本屋を出た。
行き先は決めていなかった。
駅へ向かう途中、真琴が聞く。
「どこか行きたい場所はありますか?」
「ありません」
「じゃあ、歩きますか?」
「はい」
二人は歩いた。
商店街を抜ける。
小さな公園を通る。
途中で澪が立ち止まった。
「少し休みませんか?」
「いいですよ」
ベンチに座る。
しばらく沈黙が続いた。
以前なら、澪は沈黙を避けようとした。
何か話さなければならない。
何か意味のあることを言わなければならない。
そう思っていた。
でも今日は違った。
「真琴さん」
「はい」
「私たちって、どういう関係なんでしょう」
真琴は少し笑った。
「分かりません」
「即答ですね」
「澪さんも分からないんでしょう?」
「……はい」
「じゃあ、同じですね」
澪は小さく笑った。
「変な関係です」
「そうですね」
「でも」
澪は前を向いた。
「また会いたいと思いました」
真琴は何も言わなかった。
ただ、少しだけ笑った。
「僕もです」
それだけだった。
恋人になる約束もない。
好きだという確認もない。
それでも。
二人はもう一度会うことを選んだ。
その頃。
万事修理店では、林夏が棚の整理をしていた。
月白は椅子に座って、本を読んでいる。
「月白」
「はい?」
「この前買ったしおり、使ってる?」
月白は本を開いた。
白い紙に海が描かれたしおりが挟まっている。
「使っています」
「気に入った?」
「はい」
月白は少し考えた。
「でも、これを見ると海に行きたくなります」
「また行く?」
「……いいんですか?」
「もちろん」
「いつ?」
林夏は時計を見る。
「今日?」
月白は驚いた。
「今日ですか?」
「嫌?」
「嫌ではありません」
「じゃあ行こう」
月白は本を閉じた。
「林夏は、いつも急ですね」
「思いついた時が一番いいから」
「予定は?」
「ない」
「……本当に?」
「本当に」
月白は少し笑った。
「では、行きましょう」
二人は店を出た。
駅へ向かう途中、月白が言った。
「前に海へ行った時、私が誘いました」
「うん」
「今日は林夏が誘いました」
「うん」
「次は、また私が誘ってもいいですか?」
「何回でも」
月白は嬉しそうに笑った。
駅のホームで電車を待つ。
月白は隣に立っている。
手はつないでいない。
けれど、肩が少し触れていた。
電車が来る。
二人は並んで乗り込んだ。
窓の外を街が流れていく。
月白はその景色を見ながら思った。
以前の自分なら。
誰かに予定を決めてもらっていた。
誰かに未来を決めてもらっていた。
誰かに、自分がどう生きるべきかを決めてもらっていた。
今は違う。
今日は林夏が誘った。
だから、一緒に行く。
次は自分が誘えばいい。
それだけだった。
海に着くと、夕方の風が吹いていた。
月白は靴を脱いで、砂浜へ降りる。
「冷たい」
「海だからな」
「当たり前ですね」
林夏が笑う。
月白も笑った。
二人は波打ち際を歩いた。
特別な話はしなかった。
今日の夕飯。
最近読んだ本。
紅葉のこと。
澪のこと。
そして、これからのこと。
どれも答えは出なかった。
それでも。
話している時間は、悪くなかった。
月白がふと立ち止まる。
「林夏」
「ん?」
「今日は、誘ってくれてありがとうございます」
「どういたしまして」
「また来たいです」
「じゃあ、また来よう」
月白は頷いた。
そして、今度は自分から手を伸ばした。
林夏の手を取る。
「今日は、私から」
「うん」
二人はそのまま海を見た。
遠くで夕日が沈み始めていた。
【接触:継続】
【関係:本人による更新】
【選択:相互】
【未来:未確定】




