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君と、終わりの向こう側へ  作者: 亀


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第122章 会いたいから、会いに行く

朝の第七街区は、いつもより少し静かだった。


万事修理店の前を、新聞を抱えた老人が通り過ぎる。


その後ろから、自転車に乗った学生が走っていく。


林夏は店のシャッターを半分だけ開けたところで、空を見上げた。


「今日は晴れそうだな」


雲は多かった。


それでも、雨の気配はない。


林夏はそのまま店の中へ戻った。


机の上には、昨日預かった小さなオルゴールが置かれている。


古いものだった。


蓋を開けると、中から小さな音が鳴った。


途中で止まる。


「……惜しい」


林夏は椅子に座り、工具を取り出した。


その時だった。


店の扉が開いた。


「おはようございます」


聞き慣れた声だった。


林夏が顔を上げる。


「おはよう、月白」


月白はいつものように、静かに店の中へ入ってきた。


だが、今日は少しだけ違った。


「早いな」


「はい」


「何か用事?」


「ありません」


林夏は手を止めた。


「……ないの?」


「ありません」


月白は少し考えてから、付け加えた。


「会いに来ました」


林夏は数秒黙った。


「俺に?」


「はい」


「なるほど」


林夏は真面目な顔で頷いた。


「じゃあ、今日の用事は俺だな」


「そういう言い方をすると、少し恥ずかしいです」


「俺は嬉しいけど」


月白は目を逸らした。


「……私も、嬉しいです」


それ以上、二人とも何も言わなかった。


店の奥で、止まったオルゴールだけが静かに音を鳴らしていた。


しばらくして、月白が机の上を見る。


「それは?」


「オルゴール。昨日、お客さんから預かった」


「直せそうですか?」


「たぶん」


「人間関係より簡単ですか?」


「圧倒的に簡単」


月白が少し笑った。


「林夏らしいですね」


「壊れた歯車を交換して、位置を合わせれば動くからな」


「人間は?」


「そうはいかない」


「どうしてですか?」


林夏は工具を置いた。


「人間は、自分で動くから」


月白は黙って林夏を見た。


「直してあげようとしても、その人が違う方向へ行きたいなら、そっちへ行く」


「……それでいいと思いますか?」


「いいんじゃない?」


林夏はあっさり答えた。


「少なくとも、自分で選んだなら」


月白は少し考えた。


昨日、白澤と話した時のことを思い出す。


昔の自分は、未来が怖かった。


だから誰かに決めてもらった。


そのほうが間違えないと思っていた。


けれど、それは間違えないことではなかった。


ただ、自分で選ばなかっただけだった。


月白は店の中を見回した。


古い時計。


修理途中のラジオ。


棚に並んだ本。


そして、林夏。


「私も、そう思えるようになってきました」


「何が?」


「自分で決めることです」


「うん」


林夏はオルゴールの内部を覗き込んだ。


「じゃあ今日は何を決めたの?」


月白は少しだけ笑った。


「林夏に会いに行くことです」


「それはもう聞いた」


「もう一つあります」


「何?」


月白は店の外を指差した。


「今日は、私が行きたいところへ行きたいです」


林夏は工具を片付けた。


「どこ?」


「まだ決めていません」


「じゃあ、決めながら行こう」


二人は店を出た。


第七街区を歩く。


月白は最初、駅とは反対方向へ進んだ。


林夏は何も言わずについていく。


「こっちでいいの?」


「はい」


「何があるの?」


「分かりません」


「完璧だな」


「何がですか?」


「予定がない」


月白は笑った。


角を曲がったところに、小さな雑貨店があった。


月白が足を止める。


店先に、手作りのしおりが並んでいた。


「本に使えそう」


「買う?」


「……少し見たいです」


二人で店に入る。


月白は一枚ずつ手に取った。


花の模様。


青い鳥。


小さな猫。


最後に、白い紙に細い線だけで海が描かれたしおりを見つけた。


「これにします」


「海?」


「この前の場所を思い出すので」


林夏は何も言わず、会計を済ませた。


「自分で払います」


「今日は俺が買いたい」


「どうして?」


「会いに来てくれた記念」


月白は少し驚いた。


それから、しおりを大切そうに持った。


「……ありがとうございます」


店を出ると、風が吹いた。


月白の髪が少し揺れる。


林夏が手を伸ばしかけて、途中で止めた。


月白が気づく。


「どうしました?」


「いや」


林夏は笑った。


「触っていいのか分からなかった」


月白は少し考えた。


そして、自分から林夏の手を取った。


「今日は、私から決めます」


「うん」


二人はそのまま歩いた。


しばらくして、月白が小さな声で言った。


「昨日、白澤と話しました」


「うん」


「過去のことを聞きました」


「うん」


「それで、少しだけ分かったことがあります」


林夏は黙って聞いていた。


「私は以前、誰かに守ってほしかったんだと思います」


「……」


「でも、今は違います」


月白は握った手に少しだけ力を入れた。


「守ってもらいたいから、一緒にいるわけではありません」


林夏は月白を見る。


月白も林夏を見る。


「会いたいから、会いに来ました」


それだけだった。


特別な言葉ではない。


約束でもない。


未来を決める言葉でもない。


けれど、月白にとっては、それで十分だった。


林夏は笑った。


「じゃあ、今日は俺も一つ決めようかな」


「何を?」


「月白がまた会いに来たら、ちゃんと喜ぶ」


「今までは?」


「毎回喜んでたけど」


「そうですか」


月白は少し笑った。


「では、これからも会いに来ます」


「いつでもどうぞ」


二人は歩き続けた。


その日の午後。


万事修理店に戻ると、紅葉が店の前に立っていた。


「遅い」


「何が?」


「店主が店を空けすぎ」


「客いた?」


「一人」


「待たせた?」


「帰った」


「じゃあ問題ない」


紅葉は呆れた顔をした。


「相変わらずね」


月白が笑う。


「紅葉も、どこかへ行っていたんですか?」


「七番と少し話してた」


「どうだった?」


「まだ分からない」


紅葉はそう言った。


「でも、また会うことにした」


月白は頷いた。


「それでいいと思います」


「あなたも?」


「はい」


月白は隣にいる林夏を見た。


「私も、また会いたいと思ったので」


紅葉は二人を見た。


そして、少しだけ笑った。


「そういうところ、最近変わったわね」


「そうですか?」


「うん」


紅葉はそれ以上言わなかった。


店の奥では、朝のオルゴールが再び音を鳴らしていた。


今度は途中で止まらない。


小さな音が、店の中にゆっくり広がっていく。


林夏はそれを聞きながら、月白を見る。


月白もこちらを見ていた。


二人とも、明日のことはまだ決めていない。


ただ。


今日、会いたいと思った。


そして、会いに行った。


それだけだった。


【今日の選択:本人による接触】


【関係:継続】


【次の接触:本人の意思による】


【未来:未確定】

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