第110章 今の二人
朝。
万事修理店。
月白はいつものように店に来た。
けれど。
今日は少しだけ様子が違った。
林夏が気づく。
「どうしたの?」
「何が?」
「なんとなく」
「分かる?」
「少し」
月白は鞄を置いた。
「昨日のこと、考えてた」
「手?」
「うん」
「嫌だった?」
「逆」
月白は少し笑った。
「嬉しかった」
林夏も笑う。
「よかった」
「でも」
月白は少し迷った。
「嬉しいからって、毎日しなきゃいけないわけじゃないよね」
「もちろん」
「昨日したから今日もしなきゃ、ってなるのは嫌」
「分かる」
「その日にしたいならする」
「うん」
「したくなかったらしない」
「うん」
月白は頷いた。
「それなら、好き」
林夏は少し考えた。
「それも月白らしいね」
「そう?」
「うん」
*
昼。
紅葉と七番が来た。
紅葉は店に入るなり。
「今日、少し話したい」
林夏が顔を上げる。
「どうぞ」
「七番と昔の記録を見てきた」
月白も本を閉じる。
「何か分かった?」
「少し」
紅葉は椅子に座った。
「昔の命運修正機構は、関係を固定することだけを目的にしていたわけじゃないみたい」
「じゃあ?」
「関係が変わったあとも観測してた」
七番が補足する。
「つまり、関係が変わること自体を異常として消していたわけじゃない」
澪が言う。
「変化そのものをデータとして扱っていた?」
「たぶん」
紅葉は頷いた。
「でも途中から」
「うん」
「変化する前に、変化しないようにする仕組みが入った」
林夏が首を傾げる。
「どうして?」
「予測精度を上げるため」
「なるほど」
林夏は少し考える。
「人間が変わるから、予測できない」
「そう」
「だから変わらないようにした」
紅葉が頷く。
「たぶん、それが始まり」
月白が小さく呟く。
「人を守るための仕組みが、人の変化を邪魔するようになった」
誰も答えなかった。
*
午後。
紅葉と七番は二人で歩いていた。
「紅葉」
「何?」
「昔の俺たち」
「うん」
「もし、あの頃の記録が正しいなら」
「何?」
「俺は、ずっと君を好きだったことになる」
紅葉は足を止めた。
「そうかもしれない」
「でも」
七番も止まる。
「今も同じなのかは分からない」
紅葉は彼を見る。
「それでいい」
「いいの?」
「うん」
「昔から好きだったことを、今も好きでなきゃいけない理由なんてないから」
七番は少し笑う。
「紅葉は強いね」
「違う」
紅葉は首を振る。
「私も分からないだけ」
「……」
「今のあなたを知ってる途中だから」
七番は黙った。
そして。
「じゃあ」
「うん」
「もう少し一緒にいていい?」
紅葉は少し考える。
「いいよ」
「明日も?」
「明日は分からない」
「そうだよね」
二人は歩き始める。
少し前より。
歩く距離が近くなっていた。
*
夕方。
万事修理店。
林夏は料理の本を開いていた。
「これ作ろう」
月白が覗き込む。
「何?」
「オムライス」
「作れる?」
「分からない」
「また?」
「でも」
林夏は立ち上がる。
「やってみる」
「私も手伝う」
「じゃあ二人で」
「うん」
台所に並ぶ。
卵を割る。
米を炒める。
ケチャップを入れる。
途中。
林夏が卵を少し焦がした。
「……失敗した」
月白が見る。
「少しだけ」
「食べられる?」
「たぶん」
「じゃあ大丈夫」
月白が笑う。
二人で作ったオムライスは。
少し形が崩れていた。
でも。
二人で食べる。
「どう?」
林夏が聞く。
月白は一口食べる。
「美味しい」
「本当に?」
「うん」
「焦げてるけど」
「少し」
「じゃあ失敗?」
「違う」
月白はスプーンを置く。
「今日の味」
林夏は笑った。
「それなら成功だ」
*
夜。
食器を洗い終えたあと。
月白は店の外に出た。
林夏も隣に立つ。
「今日は」
月白が言った。
「手、つながなくてもいい?」
「もちろん」
二人はそのまま歩く。
少し距離が空く。
けれど。
しばらくすると。
月白のほうから近づいてきた。
「やっぱり」
「ん?」
「今日は、つなぎたい」
林夏が手を出す。
月白が握る。
「……自分で決めるって」
「うん」
「こういうことなんだね」
「たぶん」
「林夏は?」
「僕も今、つなぎたい」
月白は笑った。
「じゃあ、同じ」
二人は歩く。
その途中。
月白が林夏の肩に少しだけ寄りかかった。
林夏は何も言わない。
ただ。
歩く速度をまた少し落とした。
その夜。
端末には何も表示されなかった。
予測も。
固定も。
警告も。
ただ。
二人の間に。
昨日とは少し違う距離が生まれていた。
それは。
誰かに記録された関係ではなく。
今日、二人自身が選んだ距離だった。




