第108章 変えるということ
朝。
万事修理店の前。
月白はいつもの場所に立っていた。
林夏が扉を開ける。
「おはよう」
「おはよう」
「今日は早いね」
「昨日より少しだけ早い」
「競争してる?」
「してない」
「じゃあ、勝った」
「何に?」
「分からない」
月白は笑った。
「朝ご飯は?」
「作る」
「何を?」
「昨日と同じ」
「卵?」
「卵」
「飽きない?」
「月白が食べるなら大丈夫」
月白は一瞬黙った。
「……そういうこと、普通に言うよね」
「何が?」
「なんでもない」
「また?」
「うん」
*
昼。
紅葉が店に来た。
今日は七番も一緒だった。
「林夏」
「ん?」
「少し見てほしい」
七番が古い紙を机の上に置く。
林夏は紙を見る。
「何これ?」
「命軌修正機構の古い記録」
月白も近づいた。
そこには。
【関係固定】
【予測精度:上昇】
その下に。
【本人による関係変更を確認】
【予測精度:低下】
林夏が首を傾げる。
「関係を変えた?」
「そう」
紅葉が答える。
「固定されたあとでも、自分で変えた人がいた」
月白が紙を見る。
「その人はどうなったの?」
「そこから先がない」
七番が答える。
「記録が切られている」
「消された?」
「分からない」
林夏は紙を机に戻した。
「でも」
「うん?」
「変えられたんだよね」
七番が頷く。
「たぶん」
「じゃあ、それでいいんじゃない?」
紅葉が林夏を見る。
「何が?」
「固定されたとしても」
林夏は言った。
「本人が変えたいなら、変えればいい」
七番は少し黙る。
「でも、それで誰かが傷つくかもしれない」
「うん」
「関係が壊れるかもしれない」
「うん」
「後悔するかもしれない」
「たぶんね」
林夏はあっさり答えた。
「でも」
少しだけ笑う。
「それも本人の人生じゃない?」
紅葉は黙った。
月白も。
何も言わなかった。
*
午後。
七番と紅葉が帰ったあと。
月白は店の窓を拭いていた。
林夏が言う。
「紅葉、少し考えてたね」
「うん」
「七番も」
「うん」
月白は布を止めた。
「ねえ」
「ん?」
「もし」
「うん」
「私がいつか、林夏と離れたいって言ったら」
林夏の手が止まった。
月白は続ける。
「どうする?」
林夏はしばらく考えた。
「寂しいと思う」
月白は少し驚く。
「それだけ?」
「嫌だとも思う」
「うん」
「でも」
林夏は月白を見る。
「月白がそうしたいなら、そうする」
月白は黙った。
「止めないの?」
「止めるかもしれない」
「え?」
「一回くらいは」
林夏は笑った。
「だって、嫌だから」
月白も少し笑った。
「じゃあ、何回も?」
「一回だけ」
「どうして?」
「何回も言ったら、僕が月白の選択を決めることになるから」
月白は目を伏せた。
「……それ、少し寂しい」
「うん」
「でも」
月白は顔を上げた。
「嬉しい」
「どっち?」
「両方」
林夏は笑った。
「じゃあ、僕も両方」
*
夕方。
紅葉と七番は、古い施設の外にいた。
「ここだった」
七番が言う。
「何が?」
「記録が切られた場所」
紅葉は古い扉を見る。
「入れる?」
「たぶん」
二人で中に入る。
埃の積もった部屋。
壁には古い端末が残っている。
七番が電源を入れる。
画面が一度だけ点滅した。
【旧記録:再接続】
紅葉が近づく。
次の表示。
【対象:不明】
【関係:固定済】
【変更要求:本人から】
【承認:拒否】
紅葉の表情が変わる。
「拒否?」
七番が画面を操作する。
その下に。
一行だけ残っていた。
【本人の選択を無効化することは、観測ではない】
二人は黙った。
紅葉が呟く。
「……これを書いた人」
「うん」
「機構の人間だったのかな」
「分からない」
「でも」
紅葉は画面を見る。
「少なくとも、途中で気づいた人はいた」
七番は頷いた。
「そうだね」
紅葉は端末の電源を切った。
「今日はここまで」
「いいの?」
「うん」
「もっと調べなくていい?」
紅葉は七番を見る。
「急いで答えを出したくない」
七番は少し笑った。
「分かった」
二人は施設を出る。
外はもう暗くなっていた。
「紅葉」
「何?」
「また来る?」
紅葉は少し考える。
「……うん」
「いつ?」
「分からない」
「そうだよね」
二人は歩き始める。
*
夜。
林夏と月白は帰り道にいた。
月白が突然立ち止まる。
「林夏」
「ん?」
「今日」
「うん」
「少しだけ、手をつないでもいい?」
林夏は驚いた。
けれど。
「いいよ」
月白が手を伸ばす。
指先が触れる。
少し迷ってから。
二人の手が重なった。
月白は前を向いたまま歩く。
林夏も何も言わない。
しばらくして。
月白が小さく笑った。
「……やっぱり」
「何?」
「嫌じゃない」
「僕も」
二人はそのまま歩いた。
誰かが決めたわけではない。
誰かに命令されたわけでもない。
ただ。
今日。
二人がそうしたかった。
それだけだった。
そして。
それだけのことが。
二人にとっては。
少し大切なことになっていた。




