第107章 いつもの帰り道
翌朝。
林夏が店を開ける前に。
月白はもう来ていた。
「早いね」
「うん」
「昨日も言ったけど、毎日来なくてもいいよ」
「知ってる」
「じゃあ、どうして?」
月白は少し考えた。
「来たいから」
林夏は笑った。
「それならいい」
月白は店の前に立ったまま、昨日買った猫のキーホルダーを触った。
「ねえ」
「ん?」
「これ」
「気に入った?」
「うん」
「よかった」
「でも」
月白は少し困った顔をする。
「これを見るたびに、林夏のことを思い出しそう」
「じゃあ、壊れたら持ってきて」
「修理してくれる?」
「もちろん」
「じゃあ安心」
「でも」
林夏は笑う。
「壊さないでね」
「努力する」
「そこは約束してよ」
「約束すると、壊したとき困るから」
「なるほど」
二人で笑った。
*
昼過ぎ。
一人の女性客が店に入ってきた。
「すみません」
「はい」
林夏が顔を上げる。
「この時計、直せますか?」
古い腕時計だった。
女性は時計を机の上に置く。
「祖父のものなんです」
「見てみます」
林夏が裏蓋を開ける。
月白が隣から覗き込む。
「動く?」
「少し待って」
林夏は細かい部品を確認していく。
女性は二人を見ながら笑った。
「お二人って、いつも一緒なんですね」
月白が少しだけ固まる。
「……そうですね」
「恋人ですか?」
林夏が顔を上げる。
「まだ違います」
月白も同時に言った。
「まだ違います」
また。
声が重なった。
女性は目を丸くする。
「息ぴったりですね」
月白の顔が少し赤くなる。
林夏は笑った。
「よく言われます」
「誰に?」
「誰だっけ?」
「私、聞いてない」
「今、初めて言った」
「じゃあ、嘘じゃない?」
「たぶん」
女性は笑いながら首を振った。
「仲がいいことは分かりました」
「そうですね」
月白は小さく答えた。
*
夕方。
時計の修理が終わった。
「ありがとうございました」
女性が時計を受け取る。
「大切にします」
「そうしてください」
女性が帰ったあと。
月白はしばらく扉を見ていた。
「どうしたの?」
林夏が聞く。
「……なんでもない」
「また?」
「うん」
「最近、なんでもないこと多いね」
月白は林夏を見る。
「林夏」
「うん」
「私、もう『まだ違う』って言うのやめようかな」
林夏の手が止まる。
「どうして?」
「毎回言うから」
「じゃあ、何て言うの?」
月白は考えた。
「分からない」
「それ、僕と同じじゃん」
「うん」
二人とも笑った。
*
その頃。
紅葉と七番は、古い資料室にいた。
七番が一枚の紙を取り出す。
「これ」
紅葉が受け取る。
古い記録だった。
そこには。
【関係固定後の予測精度:上昇】
その下に。
【ただし、本人による意図的な関係変更を確認】
紅葉が目を細める。
「意図的な変更?」
「うん」
「誰かが、固定された関係を自分で変えた」
「そうらしい」
「その後は?」
七番が紙を裏返す。
そこだけ。
切り取られていた。
「……誰が切ったの?」
「分からない」
紅葉は紙を見つめる。
「名前は?」
「ない」
「対象番号は?」
「ない」
「じゃあ」
紅葉は紙を折りたたむ。
「まだ分からないね」
七番は頷いた。
「でも」
「何?」
「昔、この仕組みに逆らった人間がいたのは確かだと思う」
紅葉は少し笑った。
「だったら」
「うん」
「私たちだけじゃない」
*
夜。
林夏と月白は店を閉めた。
いつもの道を歩く。
昨日と同じ道。
けれど。
今日は月白の歩く速度が少し速い。
林夏が追いつく。
「今日は速いね」
「そう?」
「うん」
「じゃあ」
月白は少しだけ速度を落とす。
二人の肩が近づく。
「これでいい?」
「うん」
しばらく歩く。
月白が言った。
「林夏」
「ん?」
「私たち」
「うん」
「いつまでこうしてるのかな」
林夏は少し考えた。
「分からない」
「また?」
「でも」
林夏は月白を見る。
「明日もこうしてたらいいと思う」
月白は笑った。
「それなら」
少しだけ間を置いて。
「私もそう思う」
二人はまた歩き始める。
名前のない関係。
決められていない未来。
それでも。
帰る道だけは。
いつの間にか同じになっていた。




