第7話:15時24分の空と完璧すぎる代役
「出発は13時12分だ。1秒でも遅れるな」
俺は懐中時計を閉じながら、目の前の商人へ告げた。
商人は呆然と口を開ける。
「じゅ、13時12分? なぜそんな中途半端な時間なんです?」
「必要だからだ」
それだけ答えて、俺は羊皮紙へ視線を落とした。
数日前まで勇者パーティーを雇っていたという商人は、まだ半信半疑らしい。
「いや、普通は昼過ぎとか、13時半とかでしょう? 12分って……」
「13時12分だ」
俺は同じ言葉を繰り返した。
説明しても意味がない。
この街道の風向き。
魔物の移動速度。
馬車の重量。
途中の坂道の乾燥状態。
全部計算した結果が13時12分だ。
そこに感情や好みが入る余地はない。前の護衛が誰だったかなど、俺の計算式には一切関係ない。すべては基礎的な算数だ。
商人は困ったように頭をかいた。
「最近評判の『落ち葉の剣』だから頼んだが、本当に大丈夫なんだろうな……」
その横で、エリナが勢いよく前に出る。
「だ、大丈夫です!」
安物の双剣を抱えながら、彼女は胸を張った。
「リクトさんの予定表は絶対です! 一秒もズレなければ絶対に成功します!」
「絶対って……」
商人は引きつった笑みを浮かべる。
だが、後ろに並ぶギルド員たちは誰一人として疑っていなかった。
レッドオーガ討伐以来、彼らは理解している。
俺の指示は理解するものではない。
従うものだと。
「現在13時8分42秒」
俺は時計を確認した。
「全員、持ち場へ移動しろ」
「はいっ!」
返事は一瞬だった。
ギルド員たちが駆け出す。
荷台の固定。
馬の点検。
護衛位置の確認。
全員が予定表通りに動いていく。
商人だけが置いていかれたように目を白黒させていた。
やがて時計の針がゆっくり進む。
13時11分。
13時11分30秒。
13時11分50秒。
静寂が流れる。
商人がごくりと唾を飲んだ。
そして――。
「13時12分00秒。出発しろ」
カチリ。
秒針が頂点に重なった瞬間、俺は短く命じた。
御者が慌てて手綱を振る。
馬車が動き出す。
その様子を見ながら、俺は再び羊皮紙を開いた。
次の停止予定時刻は15時23分。
すべて予定通りだ。
「15時23分。馬車を止めろ」
俺が懐中時計から目を離さずに指示を出すと、御者が慌てて手綱を引いた。
何もない平原のど真ん中だ。雇い主の商人が顔を真っ赤にして窓から身を乗り出す。
「な、なぜ止まるんですか!? 1秒でも遅れるなと言ったのは――」
「上だ」
俺の言葉を遮るように、空から鼓膜を劈くような咆哮が響き渡った。
巨大な影が馬車を覆い隠す。空の死神たる大型魔物、ワイバーンだ。
「ヒィィィッ!? ワ、ワイバーンだぁぁっ!?」
商人が腰を抜かし、泥まみれの地面へ転げ落ちる。
だが、周囲を固めるギルド員たちに焦りの色は一切ない。全員が俺の作った『予定表』を脳内に叩き込み、すでに初動を終えていた。
俺はワイバーンを一瞥もせず、時計の秒針だけを見つめる。
「15時23分45秒。前衛、斜め45度の虚空へ槍を構えろ」
「応っ!」
数人の前衛が、何もない空に向かって一斉に槍を突き出す。
「15時23分55秒。放て」
空気を裂いて飛ぶ数本の槍。
直後――馬車へ急降下してきたワイバーンが、自らその槍の雨に突っ込む形となり、両翼を深々と貫かれた。
「ギャァァァァッ!?」
「15時23分58秒。エリナ、跳べ」
「はいっ!」
悲鳴を上げて落下してくる巨体へ向け、エリナが迷いなく跳躍する。
彼女が安物の双剣を交差させて突き出したその『空間』へ。
15時24分00秒。
計算通り、ワイバーンの首が勝手に吸い込まれていった。
ズバァァァンッ!!
鮮血が弾け、ワイバーンの首が宙を舞う。
巨大な胴体は馬車から数メートル離れた地面に激突し、地響きと共に完全に沈黙した。
「…………え?」
商人は口を開けたまま固まっている。
護衛対象の馬車には傷一つない。それどころか、あのワイバーンが馬車に触れることすらなく一瞬で解体されたのだ。
「う、嘘だろ……っ」
商人はガチガチと歯を鳴らし、涙と鼻水を流して震え出した。
そして、前任の勇者パーティーが絶望したのと同じ泥の上に這いつくばったまま、俺に向かって狂ったように拝み始めた。
「あ、あなた様は神だ……! 計算の神様だぁぁっ!」
「ただの算数だ。被害ゼロ、遅延なし」
俺は泣き叫ぶ商人を一瞥もせず、懐中時計を閉じた。
そして、羊皮紙の次のページを開く。
「15時24分30秒。解体作業を開始しろ。素材回収の猶予は八分だ」
俺が告げると同時に、ギルド員たちが一斉に動き出した。
「了解!」
「魔石班、急げ!」
巨大なワイバーンの死体が、まるで最初から解体台に置かれていたかのような速度で切り分けられていく。
商人は泥の上に這いつくばったまま、その光景を呆然と見つめていた。
「討伐した後まで……予定表に……?」
「当然だ。16時02分に街道へ復帰する。素材売却の予定利益は金貨三十七枚前後だ」
俺は羊皮紙をめくりながら答える。
その時だった。
「リクトさん! 魔石と主要素材の回収、完了しました!」
エリナが駆け寄ってくる。
泥一つ付いていない顔は、満面の笑みだった。
「予定より三秒早いです!」
「早すぎる。次からは予定通りにやれ」
「……えっ? あ、はいっ! 次は完璧に0.01秒まで合わせますっ!」
慌てて背筋を伸ばすエリナ。
三秒の『前倒し』すら誤差として修正する。そのやり取りを見て、商人は完全に言葉を失っていた。
やがて彼は、地面に額を擦り付けた。
「頼む……! 今後の護衛も全部『落ち葉の剣』にお願いしたい! 報酬は言い値で払う!」
「依頼書を出せ。スケジュール次第で受ける」
俺は時計を確認した。
16時01分50秒。
「全員乗れ。十秒後に出発する。遅延は許さない」
◆ ◆ ◆
王都の大通りが、割れんばかりの歓声に包まれていた。
「うおおおおおっ! すげえぞ、ワイバーンの首だ!」
「無傷で大型魔物を討伐したって!? あれが今、王都で噂の『落ち葉の剣』か!」
熱狂し、拍手喝采を送る群衆たち。
荷台の上では、上等な服を着た商人が涙を流して叫んでいた。
「彼らは神の使いだ! 荷物を一切傷つけず、空の王者を瞬殺してのけたのだ!」
群衆の一人が声を上げる。
「でもあんた、前は勇者パーティーを雇ってなかったか?」「あんな泥にまみれた無能共と一緒にしないでくれ! リクト様たちこそが真の英雄だ!」
商人が唾を飛ばして言い放つ。
その華やかな大通りの死角。
薄暗い路地裏から、血走った目で彼らを睨みつける男がいた。
勇者、アレンである。
ギリッ、と不快な歯ぎしりが鳴る。
「……ふざ、けるな」
彼の全身は数日前の『あの日の雨』と泥水にまみれたままで、酷い悪臭を放っていた。
護衛任務に失敗し、商人からゴミのように解雇されたアレンたちは、馬車も失い、惨めに歩いて王都へ逃げ帰ってくるしかなかったのだ。
自分たちがクビになった直後、任務を引き継いだ底辺ギルド。
彼らは泥一つはね上げていない美しい馬車と共に、圧倒的な名声を浴びている。
「なんで……なんであんな底辺のゴミ共が、英雄みたいな扱いを……っ」
震えるアレンの視線の先。
歓声に一切見向きもせず、無表情で分厚い羊皮紙に目を落とす男がいる。
かつて自分たちが「無能な補助輪」だとあざ笑い、追放した軍師の姿だ。
「リクト……リクトォォォッ!!」
泥だらけの拳が、石造りの壁を思い切り殴りつける。
皮膚が破れて血が滲むのも構わず、アレンはギリッと血の味がするほど唇を噛んだ。
「……あんなインチキ、俺が暴いてやる……っ!」
歓声に沸く大通りへ向けて、アレンはドス黒い嫉妬に染まった瞳をギョロリと向けた。
◆ ◆ ◆ あとがき ◆ ◆ ◆
読んでいただきありがとうございます!
毎日の更新を『予定表』どおり完璧にこなすためにも、皆様からの応援が一番の原動力です!
少しでも「面白い!」「続きが気になる!」と思っていただけましたら、
ページ下部の【ブックマークに追加】と、
その下にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして評価していただけると、作者の執筆モチベーションが限界突破するほどの「神バフ」になります!
明日はお昼の12:10に更新予定です。引き続きよろしくお願いいたします!




