第6話:雨の日の護衛任務
「はっはっは! あんな臭いドブさらいなんて、勇者の俺がやる仕事じゃねえんだよ!」
街道を歩く勇者アレンの笑い声が、のどかな空の下に響き渡った。
彼らは今、隣町へ向かう商人の馬車を護衛している。
高額な修理代が払えず防具を没収されたため、全員が私服に安物の武器というみすぼらしい格好だった。それでも、泥まみれの下水清掃から解放された彼らの表情は明るい。
「魔物さえ倒せばいい簡単な仕事だ。こんなの朝飯前だぜ」
「道も平坦だし、このまま夕方には――」
アレンが気楽な口調で言いかけた、その直後だった。
ゴロゴロ……ッ!
ザァァァァァァァァァッ!!
突如として空が暗く濁り、バケツをひっくり返したような豪雨が降り注いできた。
「なっ、なんだこの雨!? さっきまであんなに晴れてたのに!」
一瞬で視界を奪う激しい雨に、アレンたちはパニックに陥る。雨具など用意していなかった彼らは、あっという間にずぶ濡れになった。薄い布地の私服が雨を吸って肌にへばりつき、体温を容赦なく奪っていく。
ズルゥゥッ、ガコンッ!
「おい、馬車が動かんぞ! 車輪が泥にはまった!」
御者台に乗っていた商人が、怒声に近い悲鳴を上げる。
大量の雨水で街道が最悪の泥濘と化し、重い荷馬車が完全に沈み込んでいた。
「くそっ、押せ! 全員で押すんだ!」
アレンたちは血相を変え、再び泥水に足を取られながら必死に車体を押す。だが、泥に深く沈み込んだ馬車は微動だにしない。
「商品が濡れる! 早く何とかしろ!」
商人の怒号が飛ぶ中、アレンは泥まみれの顔を上げて叫んだ。
「なんでだよ……今まで移動中に、こんな急に雨が降ることなんて一度もなかったのに……っ!」
激しい雨音が、彼の焦燥を容赦なくかき消していった。
「くっ……動けぇぇぇっ!!」
泥水にまみれながら、勇者アレンが力任せに馬車の後部を押す。魔法使いや僧侶も必死に手伝うが、車輪は泥の奥深くへ沈み込むばかりで微動だにしない。
防具の修理代が払えず、安物の服で雨風を直接浴びている彼らの体力は、とっくに限界を越えていた。
「使えん連中だ! 商品がダメになるだろうが!」
荷台から商人が苛立ちを隠さず怒鳴りつける。
アレンは泥の中に膝をつき、荒い息を吐いた。
「なんで……こんなことに……」
その時だった。魔法使いの女が、青ざめた顔でぽつりとつぶやく。
「……そういえば。リクトがいた頃って、雨の日の依頼なんて……ほとんどなかったよね」
その言葉に、全員の動きがピタリと止まる。
「いや……違う」
僧侶が震える声で首を振った。
「雨の日は、出発時間が急に変わったり、遠回りの街道を通ったりしてた……。商人には『予定変更だ』って説明して……」
アレンの目が大きく見開かれる。
かつての記憶が、鮮明に脳裏をよぎった。追放した軍師は、常に分厚い羊皮紙を見て、移動時間やルートを細かく指定していた。
『今日は南の街道を通る。雨上がりで足場が最適化されるのは十四時だ。それまで待機しろ』
――偶然いつも晴れていたわけではない。
あいつは、天候の推移から雨上がりの足場の状態まで、全てを完璧に計算し尽くし、安全な道だけを選び取っていたのだ。
「あいつが……戦うだけじゃなく、こんなことまで計算して、俺たちを守ってたっていうのか……!」
自分たちが快適に旅をできていたのは、勇者の力でも運でもなく、切り捨てた『無能な補助輪』の絶対的な恩恵だった。
激しい雨音が打ちつける中、勇者は泥水に両手をつき、取り返しのつかない後悔と絶望に顔を歪めることしかできなかった。
自らの愚かさに打ちのめされるアレンの耳に、商人の怒号が響き渡った。
彼らが絶望に浸っている間に荷台を確認した商人が、完全に堪忍袋の緒を絶たせたのだ。
「ふざけるな! 大事な積荷が水浸しじゃないか!!」
荷台の布をめくると、中から水を吸って変色した高級な絹織物や香辛料が次々と転がり落ちる。泥にはまった馬車を動かせずにもたつく間に、大切な商品は完全に価値を失っていた。
「し、仕方ないだろう! こんな豪雨、予想できるわけが――」
「プロの冒険者が天候の言い訳をするな! 役立たずどもめ、お前たちは今ここでクビだ!」
泥まみれのアレンが必死に弁解しようとするが、商人は容赦なく解雇を突きつけた。
「ク、クビ!? ま、待ってくれ! 俺たちは魔王を倒す勇者なんだぞ! 報酬がなけりゃ明日の飯すら……っ!」
「勇者だろうが何だろうが、荷物一つ守れねえ奴はただのゴミだ! お前らのような無能を雇った俺が馬鹿だった!」
商人はアレンを汚物でも見るような目で一蹴すると、彼らのちっぽけなプライドをへし折る決定的な言葉を吐き捨てた。
「最初から、最近王都で噂になっている『落ち葉の剣』に依頼すればよかったわ! あそこは格上のレッドオーガを無傷で討伐し、天候まで完璧に読んで予定通り(スケジュールどおり)に仕事をこなすと評判だからな!」
「なっ……『落ち葉の剣』……だと……?」
アレンの顔が、落雷に撃たれたように激しく引き攣った。
それは彼らが万年最底辺だと馬鹿にし、常日頃から見下していた超弱小ギルドの名前だった。
自分たちが見下していた底辺ギルドの方が、今や遥かに優秀で信頼できると、雇い主から明確に突きつけられたのだ。
「とっとと失せろ、この給料泥棒が!」
商人は吐き捨てるように言うと、泥にまみれた勇者たちを街道に置き去りにして去っていく。
土砂降りの雨の中、アレンは泥水に顔を押し付けられんばかりの究極の屈辱に全身を震わせた。
「あのゴミみたいな底辺ギルドより……俺たちが、下だっていうのか……っ!」
血が滲むほど強く唇を噛み破り、アレンは泥だらけの拳を何度も激しく地面に叩きつけた。
◆ ◆ ◆ あとがき ◆ ◆ ◆
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