第35話:確定された未来
「……消えた。全部、消し飛んだ……ッ」
鼓膜を破るような轟音が去り、焦げた匂いを運ぶ風が土煙を吹き飛ばしていく。
泥水の中にへたり込んでいたエリート魔法騎士団長レオナルドは、目の前に広がる光景にガチガチと歯の根を鳴らした。
数多の魔王軍がひしめき合い、魔界一の天才軍師が陣取っていたはずの場所。
そこにはもう、兵士の骸も、強固な岩盤も、王都を滅ぼすはずだった極大魔法の痕跡すらも何一つ残っていなかった。
あるのはただ、異常な超高熱によってガラス状に焼け焦げた、巨大なすり鉢状のクレーターがぽっかりと口を開けているだけだ。
己の寿命を削って放たれた常識外れの殲滅魔法は、行き場を失ったことで自らの軍勢だけを綺麗に飲み込み、文字通り一瞬にして彼らを『消し炭』へと変えてしまったのだ。
「魔法陣も、古代のアーティファクトも使っていない……。たかが、石ころを一つ蹴り飛ばしただけで……」
レオナルドの震える手から、カランッと乾いた音を立てて剣が滑り落ちた。
魔法を極めれば勝てる。強大な魔力こそが戦場を支配する。
彼が人生をかけて信奉してきた血統と魔力という絶対の常識は今、跡形もなく吹き飛んでいる。
絶対の理は、遠く離れた場所から指示を出しただけの『算数』によって、赤子の手をひねるよりも容易く完全に蹂全身蹂躙されたのだ。
「ひっ、あ、あぁぁぁ……ッ!」
究極の魔法すらも、あの男にとってはただの物理的な処理対象の一部でしかない。
剣を振るうことすらなく戦場を更地にした理不尽すぎる異常性を前に、かつて威風堂々と王都へ乗り込んできたエリート騎士は、腰を抜かしたままガクガクと震え続けることしかできなかった。
◆ ◆ ◆
「あ……がはっ……、ぎぃぃぃっ……!」
ガラス状に焼け焦げた巨大なクレーターの底で、無残な呻き声が這うように響いた。
奇跡的に即死を免れたものの、魔王軍幹部ザッカスの姿は見る影もない。
自らが放った極大魔法の暴発を至近距離で浴び、誇り高き軍服は灰となり、体の半分が黒く炭化してボロボロに崩れ落ちていた。
彼は痛覚すら麻痺した己の体を震わせ、恐怖と絶望にガチガチと歯を鳴らす。
「バ、バカな……。私の究極魔法が、寿命を削って生み出した一撃が……ッ!」
熱に焼かれた喉から、血の混じった嗚咽を吐き出す。
魔界一の天才軍師と謳われた絶対のプライドは、すでに一片の欠片も残っていなかった。
「違う……。違う違う違うッ!」
炭化した拳を、ザッカスは地面へ叩きつける。
「こんなのは魔法ではない! 奇跡だ! 偶然だ! あんな平民の、ふざけた数字遊びごときで、この私が負けるなど――!」
だが、叫びは途中で途切れた。
目の前に広がる巨大なクレーターが、何よりも雄弁に答えを突きつけていた。
偶然ではない。
石が飛ぶ角度も、岩盤の弱点も、魔法の熱も、崩落の順番も。
すべてが、最初から噛み合っていたのだ。
「ひ……ひぃ……ッ」
ザッカスの顔が恐怖に引きつる。
高尚な魔力も、強力なスキルも一切介在しない。
質量と角度というただの物理法則(算数)によって己の知略と軍勢を完全に奪われた現実に直面し、ザッカスは究極の屈辱に涙を流して泥水を啜った。
「ただの、石ころ一つだぞ……!? なぜ、あんな……っ」
すべてを失った敗残兵の啜り泣きが、クレーターの底に虚しく響く。
残ったのは、たった一つの石ころに敗北したという事実と、それを理解してしまった絶望だけだった。
◆ ◆ ◆
トンッ。
泥水を啜るザッカスのすぐ目の前に、小鳥のような軽やかな足音が降り立った。
弾かれたように顔を上げた彼の目に映ったのは、灰と血にまみれた地獄のようなクレーターの中で、泥一つ跳ねていない純白のブーツだった。
「ひっ……あ、あぁ……ッ!」
半分炭化した体を引きずりながら、ザッカスは恐怖で無様に後ずさった。
怯える敗残兵の姿を見下ろしても、少女――エリナの瞳には、同情や憐憫の欠片すら浮かんでいない。
彼女は手元の予定表に赤ペンで小さなチェックを入れると、無邪気で残酷な笑顔を向けた。
「はい、リクト様の計算通りですね。タイムロス0.00秒で、害虫駆除完了です!」
「が、いちゅう……? 待て、違う……私は魔界一の天才軍師……王都を焼き、数千の兵を率いた……」
「そうでしたか?」
エリナは不思議そうに小首を傾げた。
その悪意すらない無邪気な一言が、ザッカスの心を完全に叩き割った。
「私の300年の寿命が……たった、0.00秒で処理された、だと……?」
魔界一の天才と称された自分も、寿命を削って放った極大魔法も、あの冷徹な男にとっては強敵ですらなかったのだ。
戦場で策を巡らせていたつもりだったが、最初から盤上に置かれた駒ですらない。
特売の卵を冷蔵庫にしまうまでの240秒の間に処理された、ただの盤上のゴミ(ノイズ)でしかなかったという究極の事実。
「あ……あぁ……、あぁぁぁ……ッ」
己の知略も、誇りも、存在意義すらもが、ただの算数によって無価値な数字として処理された。
その圧倒的すぎる絶望を前に、ザッカスはうつろな目で天を仰ぐと、ついに白目を剥いて意識を飛ばした。
完全に心が折れてしまった哀れなピエロを一瞥し、エリナはくるりと背を向ける。
「さ、急いでギルドに帰らないと。リクト様のオムレツ作りが始まっちゃいます!」
彼女は楽しげに鼻歌を歌いながら、消し炭となった戦場跡を後にした。
軍師不在の戦場で、リクトの計算(算数)による完全勝利が確定した瞬間だった。
◆ ◆ ◆ あとがき ◆ ◆ ◆
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