第27話:踏み躙られる『奇策』
「死ねぇっ! ふざけた小娘ども!」
ザッカスの号令とともに、瓦礫や泥濘に身を潜めていた魔王軍の伏兵たちが一斉に跳躍した。
完全に視覚を騙した死角からの奇襲。鋭い爪や槍が、無防備に卵を抱えるエリナたちの背中へ迫る。
普通なら避けようのない一撃。だが――。
「右に2歩、前に3歩、左に半歩」
エリナは特売の赤卵を胸に抱えたまま、ブツブツと呟き、奇妙なステップを踏んだ。
ヒュンッ!
振り下ろされた魔物の爪がエリナの残像だけを切り裂き、空しく虚空を叩く。
彼女の踏んだ『卵を割らないステップ』は、奇襲を仕掛けた伏兵たちの攻撃軌道を、1ミリの誤差もなく完全に躱し切る完璧な回避行動だった。
「すみません、ちょっと通りますね。特売パックに血が跳ねると困るので」
エリナは鼻歌交じりにステップを刻みながら、空いた片手で腰の剣を抜く。
そして体勢を崩した伏兵とすれ違いざまに、銀閃を一度だけ煌めかせた。
ゴトンッ。
軽い音とともに魔物の首が宙を舞い、地面に転がり落ちる。
しかしエリナは倒れる魔物に一瞥もくれず、胸の卵を大事そうに撫でた。
「ふふっ、振動ゼロです! リクト様の予定表通りに歩けば、ゴミ掃除をしながらでも卵は絶対安全ですね!」
「次、斜め前に1歩!」
「左に2歩!」
背後では、ギルド員たちも同じように奇妙なステップを踏んでいた。
右へ2歩。左へ半歩。
そのたびに、見えないはずの伏兵の攻撃を紙一重で躱し、ついでのように首を落としていく。
それは戦闘ですらなかった。
エリナたちにとって伏兵は、買い物帰りの道に転がっている小石程度の障害物でしかない。卵を揺らさないよう慎重に歩く『ついで』に、ただ首を刎ねているだけだ。
「な、なんだ……これは……っ」
ザッカスの顔から、自負と余裕が完全に消え失せていた。
数日かけて練り上げた完璧な奇策が、特売帰りの少女たちによって文字通り踏み躙られていく。
「ば、馬鹿な……。なぜ私が見えない伏兵の配置とタイミングを完全に把握している!?」
圧倒的な格の違いを見せつけられ、自称天才軍師は蒼白な顔でわななき始めた。
◆ ◆ ◆
「ば、馬鹿な……っ! まさか貴様らが踏んでいるその異常な足運びは、失われた伝説の絶技……『古代魔帝の暗殺歩法』か!?」
ザッカスは血走った目でエリナたちのステップを凝視し、わなわなと唇を震わせた。
伏兵の死角を完璧に把握し、最小限の動きで攻撃を躱しながら首を刎ねる。その神業のような戦闘軌道を前に、自称天才軍師の脳は勝手に高度な戦術だと解釈して戦慄していた。
「恐ろしい連中だ! 気配を完全に殺し、私の完璧な陣形を読み切った上で、あえて無防備を装って伏兵を誘い込んだというのか……っ!」
額から滝のように冷や汗を流し、ザッカスは恐怖に顔を引きつらせる。
一方、高度な戦術だと絶賛されたエリナは、きょとんとして不思議そうに小首を傾げた。
「え? 暗殺……?」
その時、死角から別の伏兵が槍を突き出してきた。
「次、左に半歩!」
エリナが奇妙なステップを踏む。空振りした槍の横を抜け、一度だけ閃いた銀の剣が伏兵の首をあっさりと刎ね飛ばした。
「――いえ、ただ卵が揺れないように歩いているだけですが」
「…………は?」
ザッカスの口から、間の抜けた声が漏れた。
「普通に走ると、振動で卵同士がぶつかって割れちゃうじゃないですか。剣を振る風圧すら影響しないように、リクト様が計算してくれた『卵への衝撃を完全にゼロにするステップ』を踏んでいるんです」
エリナは真顔で答え、胸に抱えた特売の赤卵パックを誇らしげに見せつけた。
彼女の意識は「いかに魔物を倒すか」ではなく、「いかに特売品を無事に持ち帰るか」にしか向いていない。
「た、卵だと……? ふざけるな! 魔界一の天才である私の奇策を粉砕した動きが、ただの買い物帰りの歩き方だと言うのか!」
魔界で数日かけて考え抜いた奇策が、幻惑魔法が、完璧な死角からの奇襲が。
そのすべてが、たった1パックの特売卵を守るための歩幅によって、文字通り踏み潰されていく。
「はい! あと、ついでにそこのゴミ掃除も終わらせるように言われているので!」
エリナは朗らかに笑いながら、再び右に2歩、前へ3歩のステップを軽やかに刻む。
背後から迫っていた新たな魔物の首が、またしても『ついで』のように地面へ転がり落ちた。
「ひぃっ……! ば、化け物め……っ!」
自分が練り上げた必殺の戦術が、少女たちの買い物ついでの作業として処理されていく究極の温度差。
理解の範疇を超えた圧倒的な格の違いを突きつけられ、ザッカスは屈辱と恐怖で顔を歪ませた。
「ふざけるなァァァッ!!」
◆ ◆ ◆
「全軍、一斉攻撃だ! 伏兵も幻影もいらん! あのふざけた小娘どもを、特売の卵ごとミンチにしてしまえェェェッ!」
屈辱と恐怖で完全に狂乱したザッカスの絶叫に応え、後方に待機していた500体の魔物たちが一斉に咆哮を上げた。
重い地鳴りが響き、濁流のような大群がエリナたちへ向かって殺到する。
「あ、ああ……終わりだ……っ」
泥に這いつくばるエリート騎士団長のレオナルドが、圧倒的な数の暴力を前に絶望の呻き声を漏らす。
いくら奇妙なステップで少数の伏兵を凌いだところで、正面から押し潰してくる500体の突撃には無意味だ。エリート騎士団の誰もがそう確信した。
だが、エリナたちの顔に焦りの色は微塵もなかった。
彼女は迫り来る魔物の大群に一瞥もくれず、胸の特売パックを落とさないようにしっかりと抱え直す。
そして、耳元に装着した小さな魔法通信具へ、トントンと指先を当てた。
「リクト様。害虫が500匹ほど一束になって向かってきます。このままだと、特売の赤卵に土埃がかかってしまいます」
風のざわめきに混じり、通信具の向こうから、遥か後方にいるはずの天才軍師の冷徹な声が響く。
『問題ない。感情で動く三流など、最も計算しやすい単なる変数だ。行動予測の誤差は0.02秒もない』
眼前の大軍勢をただの数字として処理する、絶対者の声。
『次の数式を送る。――そこをしゃがめ。そして3秒後、大剣を真上へ力いっぱい放り投げろ』
「了解ですっ!」
エリナは元気よく返事をし、押し寄せる魔物の群れの眼前で、一切の躊躇なく無防備にしゃがみ込んだ。
「なっ……何を血迷っている!? 避けろォォッ!」
レオナルドの悲鳴が戦場に響き渡る。
正面から500体の魔物が突撃してきているのに、なぜしゃがむのか。なぜ大剣を『前』ではなく『真上』へ放り投げるのか。
エリートの常識では到底理解できない盤面の中で、少女たちは特売の卵を大事に抱えたまま、笑顔で告げた。
「「「3、2、1……っ!」」」
絶望と混乱が渦巻く戦場のど真ん中で、ひどく場違いで楽しげなカウントダウンが響き渡る。
◆ ◆ ◆ あとがき ◆ ◆ ◆
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