第24話(幕間):暗底の元勇者と、見当違いの希望
ガキンッ! ガキンッ!
薄暗い坑道に、鈍い金属音だけが等間隔に響き渡る。
「はぁ……はぁ……っ、くそっ……!」
かつての勇者アレンは、泥と汗に塗れた顔を歪めながら、重いツルハシを岩壁に叩きつけていた。
ボロボロの作業着に包まれた全身の筋肉は悲鳴を上げ、両手には無数の血豆が潰れた痕がこびりついている。
「休むな! 今日のノルマまであと30回だ!」
看守の容赦ない怒声と、背中を打つ鞭の音が響く。
痛みに顔をしかめながらも、アレンに抗う気力は残されていなかった。
巨額の借金返済のために送り込まれた、地獄の強制労働施設。
ここでは過去の栄光など何の意味も持たない。与えられるのは1日15時間の過酷な採掘作業と、家畜以下の粗末な食事だけだ。
昼の休憩を告げる鐘が鳴ると、アレンはツルハシを取り落とし、岩壁に崩れ落ちた。
そして、足元に広がる水たまりに這いつくばり、躊躇うことなく泥水をすする。砂利の混じった生ぬるく悪臭のする水が、ひび割れた喉を通り抜けていった。
泥水に映る男の顔はひどく痩せこけ、死人のように虚ろな目をしていた。
なぜ、勇者たる自分がこんな底辺のゴミ溜めで泥水をすすらなければならないのか。すべては、あの無能な軍師のせいだ。
リクトという補助輪を追放しただけで、なぜ自分たちばかりがここまで転落しなければならないのか。
理不尽な現実への絶望は、やがて真っ黒な逆恨みへと変わっていく。
「許さない……。あいつだけSランクでいい思いをしてるなんて、絶対に許さないぞ……!」
アレンは泥だらけの拳を地面に叩きつけ、呪詛のように怨み言を吐き捨てた。自分の実力不足という残酷な現実からは目を背け、ただひたすらにかつての仲間を憎悪している。
隣で鎖を引きずる元パーティーの仲間たちも、同じように焦点の合わない目で虚空を見つめるだけだった。
その時である。
「歩け! 今日からの新入りだ!」
坑道の奥から、看守に連れられた新しい囚人たちの足音が響いてきた。
◆ ◆ ◆
「おい、外の噂を聞いたか? 王都に同盟国の『エリート魔法騎士団』が到着したらしいぞ!」
休憩時間の薄暗い坑道。
看守の目を盗み、新入りの囚人が古株たちへ興奮気味に囁いた。
「圧倒的な魔力を持った集団だそうだ。到着するなり、王都防衛の指揮権を完全に掌握したらしい」
「へえ。じゃあ、今までデカい顔をしてたギルドはどうなったんだ?」
「それが傑作なんだよ! 『落ち葉の剣』とかいうSランクギルドが、エリート騎士団長から無能の烙印を押されて、最前線から追放されたって話だ!」
新入りが下世話な笑い声を上げる。
その言葉を聞いた瞬間、泥だらけの地面に這いつくばっていたアレンの肩が、ビクンと大きく跳ねた。
「……追放、だと?」
虚ろだったアレンの瞳に、ギラリとした歪な火が灯る。
彼は這いずるようにして新入りの足元へすがりつき、血走った目で身を乗り出した。
「本当か!? あのリクトのギルドが、後方に追放されたというのは本当か!」
「ひっ!? あ、ああ……。エリートの完璧な布陣に口出しして激怒され、戦力外通告を受けたと王都中で噂になっている……」
その言葉を何度も口の中で転がし、アレンはゆっくりと立ち上がった。
さっきまで死人のようだった顔に、みるみるうちに血の気が戻っていく。
「そうか……そういうことか!」
絶望の底で泥水をすすっていた彼にとって、それはあまりにも都合の良い『希望』だった。
「本物のエリートが来たんだ……! だったら、あいつのちっぽけな算数なんか通用するはずがない!」
「そうだ……リクトは所詮、数字を並べているだけの裏方だ」
「本物の騎士団が相手なら、あいつも終わりだ……!」
隣で聞いていた元仲間たちも、根拠のない希望に縋り付くように顔を上げた。
彼らは知らない。リクトたちがただ『特売の卵』を買うために、意気揚々と前線を離脱しただけだということを。
アレンは泥だらけの拳を強く握りしめ、口元を引きつるように歪ませた。
どす黒い逆恨みと、見当違いの希望。
それらが混ざり合い、彼の喉の奥から、低く乾いた笑い声が漏れ始める。
「フフッ……アハハハハハハハッ!!」
アレンの喉から漏れていた乾いた笑いは、やがて坑道中に響き渡る狂喜の爆笑へと変わった。
「見たか、リクト! これが本物のエリートだ!」
泥だらけの顔を天井に向け、アレンは歓喜の涙を流して叫ぶ。
「お前のちっぽけな算数なんか、血統と魔力を持った本物のエリートの前じゃ何の価値もないんだよ! 当然だ、高尚な戦術の前で、お前の小賢しい奇策なんてただの落書きにすぎない!」
「そうだ……! エリート騎士団が相手なら、あいつのメッキも剥がれるはずだ!」
「Sランクだと調子に乗っていられるのも今のうちね……!」
周囲の元仲間たちも、アレンの言葉に縋りつくように同調し始める。
彼らは知らない。
その「本物のエリート」とやらが、リクトの予定表の中ではただの『使い捨ての囮』として処理されているだけの存在であることを。
そして、3日後の14時ジャストに、エリートたちが無様に崩壊する未来がすでに確定していることを。
「ざまぁみろ! エリートに見捨てられたお前はもう終わりだ! 後になって泣いて土下座してきても、俺は絶対に助けてやらないからな!」
アレンは虚空を睨みつけ、足元の泥水を力強く蹴り上げた。
自分が底辺の強制労働施設で泥水をすすっている現状など完全に棚に上げ、己の勝利を確信したように叫び続ける。
「お前もすぐ俺たちと同じように没落して、この地獄の底へ落ちてくるに決まってる! そうなったら、俺が直々に笑って踏みつけてやるからな!」
その直後——。
「休憩終了だ! さっさと持ち場へ戻れ!」
看守の容赦ない怒声と、鋭い鞭の音が坑道に響いた。
「ひっ……!」
アレンたちはビクッと肩を震わせ、這いつくばるようにして再び重いツルハシを握らされる。
「ほら、動け! 今日のノルマまであと30回だ!」
背中を蹴られ、アレンは硬い岩壁の前へと引き戻された。
ガンッ、ガンッ。
鈍い金属音を響かせながら、アレンは震える手でツルハシを振り下ろす。手からは再び血がにじむが、その顔には狂気じみた笑みが張り付いたままだった。
「ククッ……リクトも、もう終わりだ……。あいつもすぐに、ここへ……」
見当違いの希望にすがりつき、特大の勘違いをしたまま。
かつての勇者は、今日も薄暗い底辺で虚しい金属音を響かせ続けるのだった。
彼らが崇める『本物のエリート』たちが、魔王軍の奇策の前に為す術なく蹂躙され、無様に散りゆくまで――残り48時間。
◆ ◆ ◆ あとがき ◆ ◆ ◆
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