第19話:究極の算数と、確定された未来
ズバァァァァァンッ!!
音速を超えた漆黒の巨大な尻尾が、王都前の平野を岩盤ごと粉砕しながら横薙ぎに吹き荒れた。
直撃すれば城壁すらも粉々にする、災害級ドラゴンの致死の一撃。
「ああっ……! 彼女たちが潰されるッ!」
遠くでへたり込んでいたSランク冒険者の一人が、絶望の悲鳴を上げる。
だが、凄まじい土煙が晴れた直後、彼らの目に飛び込んできたのは信じがたい光景だった。
「はい、右へ三歩! 続いて三秒間立ち止まる!」
エリナがよく通る声で指示を飛ばす。
「わぁっ、すごい! 尻尾の風圧に乗ったら、一気に距離が稼げたよ!」
それに続くギルド員の少女たちも、無邪気な声を上げた。
巨大な尻尾が通り過ぎたほんの数センチ横。
弱小ギルド『落ち葉の剣』の少女たちは、髪の毛一本すら傷つくことなく、ピクニックのような軽やかな足取りで前進を続けていた。
「ば、バカな……! 回避魔法も、身体強化のバフも一切かかっていないぞ!?」
『天上の剣』の魔法使いが、血走った目を見開いて震え上がる。
彼の言う通り、少女たちの体から魔力の光は一切発せられていなかった。
ステータス上昇も、敏捷性の強化もない。ただ、決められた歩幅で、決められた場所を歩いているだけだ。
ドズゥゥゥゥンッ!!
自分より小さな存在の接近にドラゴンが苛立ちを露わにし、山のような巨体を跳躍させて大地を踏み潰す。
巨大なクレーターが穿たれ、凄まじい衝撃波と地割れが全方位を襲った。
「衝撃波、到達まで0.4秒。全員、膝を3センチだけ落として!」
エリナの指示に合わせて、少女たちが涼しい顔でその場に軽く沈み込む。
それだけで、彼女たちの身体は地面の揺れと完全に同調し、衝撃波の影響を綺麗に相殺していた。
さらに、弾け飛んだ岩石群が、彼女たちの『歩幅の隙間』を寸分違わず縫うようにして背後へ抜けていく。
「あり得ない……。俺たちが命懸けで磨いてきた戦闘技術が、ただの『歩き方』一つで無力化されている……!」
Sランクギルドのリーダーが、完全に心が折れたような声で呟く。
彼らが信じてきた「レベル」や「ステータス」という異世界の常識が、リクトの構築した『究極の算数』の前に粉々に打ち砕かれた瞬間だった。
視線の先で、天災の猛攻をくぐり抜ける少女たちは楽しそうに雑談を続けている。
「予定表通りだね。このあと、ドラゴンが頭を下ろすんだっけ?」
「うん。サクッと落として市場だよ! 急がないと大根が売り切れちゃうからね」
もはや戦いですらなかった。
ただの『お使い』の道中である。
究極の算数が、圧倒的な暴力を完全に無力化し、一直線に少女たちをドラゴンの懐へと運んでいく。
◆ ◆ ◆
「――三、二、一、ゼロ」
俺は懐中時計の秒針から目を離さず、淡々とカウントを終えた。
【 15:03:12 】
直後、王都の空を覆っていた災害級ドラゴンの巨体が、計算式通りに限界を迎える。
極大ブレスの放射による反動、姿勢制御の破綻、そして過剰な自重を支えきれなくなった頸椎の軋み。絶対的な物理法則の必然として、あの巨大な頭部がドスンと重力に従って大地へ垂れ下がった。
顎が落ちる座標。
それはもちろん、エリナたちが予定表通りに歩いて到達した地点の、寸分違わぬ『真上』である。
「っし! 大根、大根っと!」
通信魔導具越しに、エリナの弾んだ声が聞こえた。
窓の外では、彼女が垂れ下がってきたドラゴンの顔面を足場にして、軽やかに跳躍する姿が見える。
そして一切の躊躇なく双剣を振り抜き、分厚い装甲の隙間に隠れていた唯一の急所――『逆鱗』を正確に貫いた。
ギャァァァァァァァァァァァァッ!?
天地を揺るがす断末魔が轟き、山のような巨体が激しく痙攣して崩れ落ちる。
ドゴォォォォォォンッ!! と大地が揺れ、王都を滅ぼすはずだった生きた天災は完全に沈黙した。
魔法のバフも、奇跡の力も一切不要。
ただ歩いて所定の位置に立ち、落ちてきた急所を刺すだけの、完全無欠の討伐劇だった。
「あ……あぁ……っ。災害級が、たった数分で……」
「ば、馬鹿な……一人の犠牲者も出さずに……?」
背後で、司令室の使者たちが信じられないものを見る目でへたり込んでいる。
だが、俺にとって巨大トカゲの死など、予定表のチェック項目の一つに過ぎない。俺は窓の外の死骸からあっさりと視線を外し、手帳を開いた。
俺はペンを取り、『災害級ドラゴン討伐』の項目に無造作に横線を引く。
「討伐タイムロス、0.00秒。特売開始まで、残り二分四十秒」
手帳の次の一行を確認し、俺は通信魔導具へ向かって手短に指示を飛ばした。
「エリナ」
『はいっ! リクト様!』
「市場まで全力移動だ。第四通りの近道を使え。急げば特売の白菜も残っているはずだ」
『了解しました! 全員、市場へ突撃ーっ!』
通信の向こうで、少女たちの元気な返事が重なる。
俺は唖然として固まっている使者たちを一瞥もせず、特売の戦利品を確認するため、静かに司令室の出口へと歩き出した。
◆ ◆ ◆
「し、死んだ……?」
誰かが漏らした震え声を最後に、王都の平野から一切の音が消えた。
先ほどまで空を覆っていた災害級ドラゴンは、大地に伏したまま二度と動かない。
鼓膜を破るような咆哮も、絶望の熱波も、すべてが幻だったかのように消え失せている。
「……被害報告は!」
「ありません!」
「負傷者は!?」
「それも……ゼロです! 一人の怪我人も出ていません!」
王都の使者が青ざめた顔で何度も確認する。
だが、返ってくる答えは同じだった。
死者ゼロ。
重傷者ゼロ。
災害級ドラゴン討伐。
魔法による奇跡ではない。奇襲でも、ステータスの暴力でもない。
あの天才軍師が組んだ『歩幅と配置の算数』が、戦場のすべてを完全に支配した結果だった。
「俺たちが命懸けで積み上げてきたレベルも、スキルも……全部、あの男の計算式には敵わないのか……」
Sランクギルド『天上の剣』のリーダーが、両手で顔を覆ってその場に崩れ落ちる。
絶対的な死の象徴を相手に、あの少女たちはただ笑いながら歩き、急所を刺しただけなのだ。
不気味なほどの静寂の中、泥にまみれた勇者アレンが震える手で立ち上がろうとしていた。
彼の足元には、国中から称賛を浴びた『聖剣』が転がっている。
アレンは泥水の中から聖剣を掴み取った。
まだだ。自分は選ばれた勇者だ。その力を示せば、王都の使者たちは再び自分を讃えるはずだ。
縋りつくような思いで、アレンは必死に虚勢を張り、使者たちへ向けて聖剣を掲げようとした。
だが――。
「あ……」
アレンの喉から、間の抜けた声が漏れた。
王都の使者も、Sランクの強者たちも、誰一人としてアレンを見てはいなかった。
彼らの視線は、遠ざかっていく『落ち葉の剣』の少女たちの背中に釘付けになっている。
それどころか、使者の一人はふらふらと前へ歩き出し、泥まみれのアレンを「ただの障害物」として完全に無視し、その足で勇者のマントを踏み躙りながら、少女たちが去った方向へ深く平伏した。
誰の目にも映っていない。
勇者としての威光も、特権も、もはやこの世界には存在しない。
自分たちが英雄と持て囃されたのは、リクトという補助輪が数字を調整してくれていたからだ。
彼がいなければ、自分は天災の前にただ怯えて這いずるだけの、文字通りの『粗大ゴミ』でしかないのだ。
「あぁ……あああああぁぁぁぁっ……!」
彼がすがりつこうとした最後の希望は、誰に認識されることもないまま粉々に砕け散った。
言葉にならない嗚咽を漏らしながら、アレンの手から聖剣が滑り落ちる。
誰も近寄らない。もはや彼を勇者と呼ぶ者は、この世界に一人としていなかった。
一人の犠牲者も出さずに天災を退けた事実に王都が静まり返る中、完全な敗北を悟った男だけが、声もなく泥の中へ崩れ落ちていく。
遠くから、夕飯のおかずについて楽しそうに語り合う少女たちの笑い声が、微かに聞こえてきた。
◆ ◆ ◆ あとがき ◆ ◆ ◆
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