第16話:勇者の完全敗北
『通信兵より急報! 最後尾の「ゴミ拾い区域」に配置していた勇者パーティーが、命令を無視して最前線へ突撃しました!』
通信魔導具から、現場の衛兵の悲痛な報告が響き渡る。
司令室の使者が顔面を蒼白にして跳ね起きた。
「ば、馬鹿な!? 完璧に連動していた防衛陣形に致命的な穴が! 急いで彼らを戻させないと――」
「騒ぐな。埃が舞う」
俺は机上の盤面から一切視線を上げず、羽ペンを走らせた。
使者が血相を変えて絶叫しているが、俺の心に波風一つ立つことはない。
「り、リクト殿! 彼らが抜けたら、防衛ラインが崩壊しますぞ!」
「崩壊しない。予定表のセルが一つズレた。ただそれだけの微細なエラーだ」
俺は数式の変数を一行だけ書き換え、淡々と通信魔導具へ指示を出した。
「第四陣形の部隊、歩幅の計算を0.5秒修正する。そのまま三歩後退しろ。勇者パーティーが抜けて空いた面積(3.2平方メートル)は、ただの『空き地』として放置で構わない」
彼らは『自分たちが動けば陣形が崩壊する』と思い込んだのだろうが、俺はそもそも最初から奴らを戦力として計算していない。彼らがいなくなったところで、予定表の端に書かれた一行が消えるだけのことだ。
「し、しかし! それでは飛び出した勇者たちが、数万の魔物の群れの中で完全に孤立してしまいます!」
使者が青ざめるが、俺は羽ペンを止めることなく言い放った。
「計算式を狂わせるゴミを保護するタスクなど、本日の予定表には組み込まれていない。そのまま前線へ隔離(放置)しておけ」
「ヒィッ……!」
かつての仲間を一切の感情もなく切り捨てる俺の冷酷さに、使者が震え上がって後ずさる。
そんな反応すらBGMとして処理し、俺は隣で待機しているエリナへ視線を向けた。
「エリナ。ノイズの隔離修正により、大根の特売タスクに0.2秒の遅れが生じた」
「なんと……! リクト様の完璧なスケジュールに、0.2秒ものロスを発生させるとは……あのゴミども、万死に値しますっ!」
エリナが恍惚とした表情を一変させ、前線の勇者たちへ向けて本気の殺気を放ち始める。王都の存亡には一切興味を示さないくせに、特売のタイムロスにはガチで怒るのがうちのギルド員だ。
「問題ない。特売には余裕で間に合う。次のタスクへ移るぞ」
「はいっ! 喜んで!」
防衛陣形に穴が開くという戦場最大の危機すらも、俺たちにとっては『特売前の些細な事務作業』でしかなかった。
前線では魔物の群れが次々と自壊し、防衛ラインは完璧に機能し続けている。
ただ一箇所。俺の数式から自ら外れ、魔物の密集地帯へ一直線に突っ込んでいく愚か者たちの座標を除いて。
俺は手元の懐中時計へ目を落とし、何の感情もなく呟いた。
「……魔物の群れの中での完全孤立まで、残り三分二十秒か」
◆ ◆ ◆
「どけ、モブども! 手柄は全部俺たちのものだ! この程度の雑魚魔物、勇者の全力で全滅させてやる!」
最前線へ躍り出た勇者アレンは、醜悪な笑みを浮かべてオークの群れへ一直線に突っ込んだ。
彼の目には、数万の魔物が『自分を引き立てるための経験値と名誉の山』にしか見えていない。
「くらえっ! 勇者の全力斬りだぁっ!」
ガァァァンッ!!
会心の笑みで振り下ろしたアレンの剣は、オークの分厚い筋肉に傷一つつけられず、鈍い音を立てて根本からへし折れた。
「なっ……硬っ!?」
アレンの動きが、間抜けに止まる。
直後、苛立ったオークの丸太のような腕が、まともな防具すら持たない勇者の胴体を無慈悲に薙ぎ払った。
「ガ、アァハッ……!?」
血反吐をぶちまけながら、アレンの体がボロ雑巾のように宙を舞う。
ズザザザッ、と無様に泥水の中を転がり、全身の骨が軋む激痛に悲鳴を上げた。
「嘘、だろ……!? あんなただの衛兵どもが、一撃で倒せていたんだぞ!? なんで俺の攻撃が通用しないんだ……ッ!」
混乱と絶望で、アレンの顔が醜く引きつる。
直後、左右から飛び出したウルフの群れが、一斉に牙を剥いて仲間たちに襲い掛かった。
「お、おい! 魔法だ! 魔法で援護しろ!」
「無理よ! 詠唱が――きゃああああっ!!」
悲鳴。転倒。詠唱中断。
彼らは致命的な勘違いをしていたのだ。魔物が弱かったわけでも、衛兵が強かったわけでもない。
すべては、軍師リクトの『極限の計算』によるもの。
相手の体重、速度、重心のブレを完全に把握し、武器を置くだけで魔物が自滅するよう誘導していたからこそ成り立っていた奇跡の光景だったのだ。
かつてアレンたちが楽に勝てていたのも同じこと。常にリクトが戦場を整え、危険な場所を消し、最善の位置へ導いていたからに過ぎない。
その『補助輪』を完全に失った彼らの前に立ちはだかっているのは、紛れもない本物の『死の暴力』だった。
「ひっ……!」
魔法使いの少女の喉から、小さな悲鳴が漏れる。
リクトが予言した『三分二十秒』。
その計算から0.1秒の狂いもなく、勇者パーティーの周囲は完全に包囲されていた。
前も後ろも、右も左も。視界のすべてが獰猛な魔物の壁だ。
「ま、待ってくれ……おい、衛兵! そこの衛兵! 俺たちを援護しろ!」
アレンが血だらけの手を伸ばして叫ぶ。
しかし、目の前の防衛ラインで予定表通りに動く衛兵たちは、誰一人としてこちらを見向きもしない。彼らにとって勇者はただの『予定外のノイズ』であり、スケジュールにない救出行動など取るはずもなかった。
誰も助けに来ない。
奇跡も起きない。
圧倒的な絶望と数の暴力を前にして、アレンのちっぽけな虚栄心は、あっけなく粉砕されたのだった。
◆ ◆ ◆
「助けてくれぇっ!! 誰か、誰か俺を助けろォォッ!!」
泥水の中に顔から倒れ込んだアレンは、全軍の見える場所で無様に泣き叫んだ。
鼻水と魔物の返り血に顔をぐしゃぐしゃにし、数日前まで自分たちが「モブ」と見下していた一般兵たちに向かって、必死に手を伸ばす。
かつて王都の英雄と持て囃された男のプライドは、もはや欠片も残っていなかった。
「嫌だ……死にたくない……! 衛兵! おい、そこの衛兵っ! 俺を助けろよ!!」
アレンの叫びが、虚しく戦場に響き渡る。
だが、誰一人としてこちらを見向きもしない。
衛兵たちは『右へ一歩。槍を固定。三秒後に後退』という予定表通りの動きを、巨大な歯車の一部のように無感情に繰り返している。
足元にすがりつこうとする勇者の手を、まるで路傍の石を跨ぐように無感情に避けてステップを踏んだ。彼らにとってアレンの命乞いは、風の音と同じただの環境音でしかなかった。
その時だった。
最も近くにいた衛兵長の腰から、通信魔導具のノイズ混じりの音声が響き渡った。
『――14時11分。予定表に、追加タスクを挿入する』
戦場全体が、一瞬だけ静まり返る。
それは、遥か遠くの安全な司令室にいる軍師、リクトの氷のように冷徹な声だった。
「リ、リクトか!? お前の陣形のせいで、俺たちはこんな目に遭ってるんだぞ! 早く俺を助け――」
――通信機越しの軍師は、勇者の必死の叫びを完全に遮るように淡々と言い放った。
『エリナ。大根の特売の時間が迫っている』
アレンの必死の責任転嫁と命乞いの言葉は、無慈悲な事務連絡によって上書きされた。
『前線に転がっているゴミが、魔物の自滅ルートを0.3秒塞いでいて邪魔だ。D-7座標の障害物を回収しろ』
「……え?」
アレンの顔から、最後の血の気が引いていった。
通信機から聞こえてきたのは、勇者への救済でも、かつての仲間への説教でもない。
自分たちは今、彼の中で『特売前のタイムロスを生む障害物』として処理されたのだ。
『はいっ! リクト様の完璧なスケジュールに泥を塗るゴミどもは、私が最速で回収(排除)してまいりますっ!』
通信機越しに、狂気に満ちた少女の歓喜の声が響き渡った。
直後、遥か後方の防衛ラインの奥で、何かが爆発したような轟音が鳴り響き――魔物の群れが血飛沫を上げて吹き飛んだ。
ドゴォォォォォンッ!!
大地が激しく揺れ、魔物たちの悲鳴が一斉に上がった。
泥水の中に這いつくばったまま、アレンは絶望の表情でその轟音の方へゆっくりと顔を向ける。
それは彼らを助けに来る『救済の光』などではない。
大根の特売に遅れることを絶対に許さない、狂信的な『掃除業者』が放つ、無慈悲な死の足音だった。
◆ ◆ ◆ あとがき ◆ ◆ ◆
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