第14話:大災害の足音
「ハァッ、ハァッ……! くそっ、あの戦士め! 素直に囮になればいいものを、最後まで俺に呪いの盾を押し付けてきやがって!」
王都の裏路地。泥と魔物の返り血にまみれた勇者アレンは、激しい息を吐きながら悪態をついた。
最高難度ダンジョンの『罠部屋』から、彼らは文字通り這い蹲って逃げ帰ってきたのだ。
仲間の戦士一人をミノタウロスの群れへ突き飛ばして見捨て、無様な命乞いをしながら、ようやく王都へ辿り着いた勇者パーティー。かつての栄光の面影は微塵もなく、素人同然の薄汚れた軽装だけが残っている。
「あんなの完全にイレギュラーよ! あのクソ軍師、最強の攻略本に『タマネギ詰め放題』なんてデタラメな罠を書きやがって……!」
生き残った魔法使いの少女も、涙と泥でぐしゃぐしゃになった顔でヒステリックに喚き散らす。
自分たちが無警戒に扉を蹴り破ったことなど完全に棚に上げ、己の無能をすべて他人のせいにしていた。
「そうだ、俺たちは悪くない! あんな狭い密室で大群に囲まれるという『不運』が重なっただけだ!」
アレンが己のプライドを保つために吠えた、その時だった。
ゴォォォォォォォンッ!!
突如、王都全体を揺るがすような、けたたましい警報の鐘が鳴り響いた。
「緊急事態! 緊急事態! 王都北西より、大規模な魔物の大群が接近中! 冒険者および衛兵は直ちに防衛ラインへ!」
伝令の悲痛な叫び声が大通りを駆け抜けていく。
国を揺るがす未曾有の危機。普通の人間なら絶望に震え上がるその報せを聞いて――アレンは顔を上げ、じわじわと下卑た笑みを浮かべた。
「……スタンピード。これだ!」
「アレン……?」
「聞いたか!? これは天が俺たち勇者パーティーに用意した、名誉挽回の舞台だぞ!」
アレンは泥だらけの拳を強く握りしめ、歓喜の声を上げた。
つい先ほど、ダンジョンの密室で魔物の群れに包囲され、泣き叫んで仲間を見捨てた事実など、すでに彼の脳内から消去されている。
「考えてもみろ! ダンジョンの密室なんて特殊な状況だっただけだ! だが野外での正面戦争なら違う! 勇者の本気を見せれば、大群なんて敵じゃない!」
「あっ……!」
アレンの都合の良すぎる解釈に、仲間たちの顔にも希望という名の『狂気』が宿る。
「そ、そうよね! これで私たちが最強だって証明できるわ!」
「ここで活躍すれば全部取り返せる!」
指示系統の完全な崩壊、攻略本(手帳)を買うために防具を売り払った愚行、仲間を肉の盾にして見捨てた醜態。
その全てを棚へ上げ、彼らは迫り来る魔物の大群を、自分たちの名声を取り戻すための都合の良い舞台として見つめていた。
「行くぞ!」
アレンが、刃の欠けた無残な剣を、まるで伝説の聖剣でも扱うかのように天高く掲げる。
ボロボロの服に身を包んだ丸腰同然の姿であるという圧倒的な『現実』すら計算に入れず、彼らはただ己の醜い虚栄心とプライド(ノイズ)だけを原動力にして、王都の中心へと歩き出した。
誰一人として、自分たちの実力を疑う者はいなかった。
◆ ◆ ◆
ゴォォォォォォォンッ!!
王都中を震わせるけたたましい警報の鐘が鳴り響き、窓の外からは逃げ惑う人々の悲鳴が聞こえてくる。
バンッ!
「リクト殿! 王都が滅びます! 魔物の大群が、すぐそこまで……ッ!」
応接室の扉が勢いよく開き、血相を変えた王都の使者が飛び込んできた。
顔面は蒼白で、額からは大量の汗が噴き出している。
「騒ぐな。埃が舞う」
「え……?」
俺は机上の書類から視線も上げずに、冷徹に言い放った。
使者が呆然と立ち尽くす中、俺の背後で待機していたエリナが、胸に抱きしめた予定表を覗き込んで小首を傾げる。
「リクト様。本日の午後の予定は『大根の購入』と『倉庫の整理』ですが……?」
「追加だ」
俺は羽ペンを取り、使者が震える手で差し出してきた『緊急防衛要請』の書状を無造作に受け取った。
「『スタンピード処理』。午後の買い出しルートに組み込め」
「承知いたしました! 予定表の追加タスク、誤差0.00秒で完遂してみせますっ!」
エリナが恍惚とした熱い吐息を漏らし、一糸乱れぬ完璧な直立不動の姿勢をとった。
王都の滅亡危機すら、『大根の特売』と完全に同列の作業工程として認識し、絶頂しているのだ。
国を揺るがす未曾有の大災害を、ただの寄り道のように処理する異様な光景。
使者は完全に腰を抜かし、床にへたり込んだ。
「り、リクト殿……!? 相手は数千の魔物の大群なのですよ!? それを買い出しのついでだなどと……少しも恐ろしくはないのですか!?」
「恐怖は、俺の計算式にとって不要なノイズだ」
俺は淡々と手帳を開き、新しいページにペンを走らせる。
「災厄級の竜も、魔物の大群も、本質的には変わらない。質量があり、速度があり、移動する。数字に変換できる以上、それはただの『算数』だ」
「さ、算数……?」
使者の口が半開きになる。
俺はその間抜けな戸惑いをBGMとして処理し、机の上に広げられた王都周辺の地図と、魔物の予測進路データへ視線を落とした。
窓の外では、依然として絶望の鐘が鳴り続けている。
だが、静まり返ったギルドの室内には、俺が数式を組み立てる羽ペンの『カリカリ』という無機質な音だけが、極めて正確なリズムで響き始めた。
――それから、わずか数秒後。
静まり返った室内で、数式を組み立てる羽ペンの音がピタリと止まった。
「……完了した」
俺は机の上に広げた地図から、ゆっくりと視線を上げる。
手元にある数枚のデータに目を通したのは、わずか数秒。
「え……もう、ですか?」
床にへたり込んだままの使者が、震える声を漏らした。
「まだ何も計算しているようには……」
「している。魔物の総数、推定三万二千。地形による重力加速度の変化と、森を抜ける際に生じる『渋滞のノイズ』もすべて数式に組み込んだ」
俺は地図上の北西地点を指で軽く叩く。
「問題は数ではない。現在の王都防衛計画の欠陥だ」
「け、欠陥……?」
「そうだ。恐怖で足がすくむ『0.5秒のラグ』、冒険者同士の連携不足、避難による街中の混雑。一人ひとりのエラーは微細でも、数万人規模の防衛線で積み重なれば、計算式を完全に崩壊させる巨大なノイズになる」
俺は懐中時計を取り出し、カチリと蓋を開けて使者を見下ろした。
「明日の15時00分。王都は一度、壊滅の危機に陥る」
その一言で、部屋の空気が完全に凍りついた。
使者の顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。
「な、何を……ッ! 15時ちょうどに王都が滅びるなどと、なぜ言い切れるのです!? あなたは未来が見える予言者か何かなのですか!?」
「違う。予言でも魔法でもない」
俺は即座に否定し、机の上の数式をペン先で囲んだ。
「ただの計算結果(算数)だ。今ある数字を公式に当てはめれば、外壁が突破される時刻など誰にでも導き出せる」
「だ、誰にでも……!?」
何万もの命が消える大惨事の予測も、俺にとっては『1足す1は2』と同列の単純な答えでしかない。
使者が完全に理解を超えたという顔で、信じられないものを見るように俺を見上げた。
その時だった。
「リ、リクト様! 大変です!」
これまで直立不動を保っていたエリナが、突如として顔面を蒼白にさせ、悲鳴のような声を上げた。
「明日の15時に『王都の壊滅』が組み込まれると……15時半からの、大根の特売に間に合いません!!」
「問題ない」
数万人の命より大根の特売を優先して絶望するエリナの狂信ぶりをノイズとして処理し、俺は淡々と手帳の新しいページを開いた。
「壊滅のスケジュールそのものを『修正』する」
「しゅ、修正……?」
「ああ。衛兵の配置、避難経路、他ギルドの動き……明日の大根が売り切れる前に、この街の全機能を俺の予定表に組み込み、『壊れない形』へ再構築する」
使者は震える手で、俺が羽ペンを走らせる真新しい紙を見つめていた。
窓の外では、未だに絶望の警報が鳴り響いている。
だが俺の手は止まらない。衛兵、冒険者、物資、避難民。そのすべてを、ただの『駒』として書き込んでいく。
傍から見れば、それは数万人の命を救う『神算鬼謀の戦術図』に見えるかもしれない。
だが俺にとっては、明日の買い出しをスムーズに行うための、ただの『タスク管理表』に過ぎなかった。
◆ ◆ ◆ あとがき ◆ ◆ ◆
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