第13話:Sランクからの勧誘
「白金貨一万枚、王都中心部の屋敷、副マスターの地位、それに極上の美女たちを何人でもご用意いたします!」
弱小ギルド『落ち葉の剣』の粗末な応接室に、男の悲痛な叫びが響き渡った。
王都最大級の権力を誇るSランクギルド『天上の剣』の使者が、床に額を擦りつけて懇願している。
「どうか! どうか、お連れの剣士様が抱きしめておられる『神話級の魔導書』と共に、我がギルドへお越しくださいませ!」
使者はなりふり構わず、特権と快楽を並べ立てた。
だが、その視線は俺ではなく、部屋の隅でエリナが胸に強く抱きしめている紙切れ(予定表と買い出しリスト)を血走った目で見つめている。
「リクト様を金や権力で買収しようなど不敬です……! しかも、この尊い予定表(今日の大根の特売情報)を魔導書などと……!」
「だ、大根の特売だと……!? な、なんと恐ろしい暗号……!」
エリナが大事なスケジュール表を抱え込んで威嚇すると、使者が勝手に戦慄して震え上がった。
「静かにしろ」
俺は机上の資料から一切視線を上げないまま、冷徹に言い放った。
「今、計算中だ」
使者が息を呑み、慌てて口を閉ざす。
机の上に広げているのは、事前に取り寄せたSランクギルド『天上の剣』の過去三年分の戦闘記録。
討伐時間、負傷率、消耗した回復薬の本数。彼らが栄光の歴史と呼ぶそれは、俺にとってはただの検証用データ(数字)でしかない。
「……火炎竜討伐。攻略時間6時間24分」
俺は羽ペンを走らせ、数字にバツ印を書き込む。
「俺の計算なら32分だ。海竜討伐での死傷者7名。これも俺なら死傷者ゼロで完遂できる」
「なっ……!?」
床に突っ伏したまま、使者が信じられないものを見るように顔を上げた。
「なぜこれほど時間がかかる。原因は明確だ。前衛の踏み込み速度に毎回0.4秒のブレが生じている。さらに魔法使いの詠唱開始タイミングが、敵のブレス軌道に対して1.2度ずれている」
「えっ……? あ、あの、リクト様……?」
俺は使者の戸惑いをBGMとして処理し、淡々と数値を読み上げていく。
「連携時のノイズ発生率、平均17パーセント。どれほど個人のステータスが高かろうと、これほど行動にノイズが混じる部隊は、工場のラインにすら立てない不良品だ」
Sランクギルド最大の精鋭たちを、ただの統計資料として解体していく。
使者の顔から、みるみる血の気が引いていくのがわかった。
俺は最後の資料を閉じ、視線をゆっくりと使者へ向ける。
「結論が出た」
俺がそう告げた瞬間、使者の顔にパッと希望の色が戻った。
「で、では……!」
「いらない」
俺は即答し、机上のSランクギルド戦闘記録をゴミ箱へと無造作に払い落とした。
「な、なぜですか!? 我々は王都最強のSランクギルドです! 戦力も資金も人材も――」
「だからだ。お前たちは強すぎる。故にプライドが高い」
部屋が静まり返る。使者は意味がわからないという顔をした。
「俺が指示を出した際、お前たちの精鋭部隊は無意識のうちに『自分ならこう動く』『手柄を立てよう』という余計な自我を挟む。その結果、指示の受容から実行までに平均0.5秒のラグが生じている」
「そ、それは前線での確認や判断の――」
「ノイズだ」
俺は冷徹に言い捨てた。
「その0.5秒のズレは、質量や重力加速度を用いた俺の計算式において致命的な狂いを引き起こす。災厄級の魔物相手なら、その0.5秒で三回死ねる。……俺の盤面に、個人の安っぽいプライドなどというノイズは一切不要だ」
「そ、そんな……」
「強いだけの駒は三流だ」
使者の肩が震えた。
その時だった。
「リクト様! 『本日の特売』の確認が完了しました!」
部屋の隅で魔導書(買い出しリスト)を抱きしめていたエリナが、恍惚とした熱い吐息を漏らし、一糸乱れぬ完璧な直立不動の姿勢をとった。
「市場への移動開始時刻まで残り7分43秒です! 予定表との誤差、0.00秒!」
「ダ、ダイコン・ノ・トクバイ……っ!? な、なんという恐ろしい作戦名だ……!」
使者がガタガタと震えながら戦慄の声を上げた。
大根の特売に向かうだけだというのに、災厄級ボス討伐直後と全く同じ熱量で絶頂しているエリナの異常性に、彼は勝手にさらなる恐怖を抱いていた。
「聞いたか」
俺は使者へ視線を戻す。
「こいつらは命令に疑問を持たない。恐怖もプライドも持たない。指示から実行まで、ラグはゼロだ」
「当然です! リクト様の予定表は絶対ですから!」
エリナが恍惚とした笑みを浮かべ、豊満な胸を反らせる。
「……ステータスしか誇れない欠陥品より、狂信的なうちのギルド員の方が遥かに有能だと言っている」
王都最強のSランク精鋭たちより、大根の特売へ全力疾走する狂信者集団の方が高く評価されている。
その圧倒的な異常性と理不尽な事実を理解し、使者の顔は完全に絶望の蒼白へと染め上がった。
「帰れ」
俺は懐中時計を取り出し、カチリと蓋を開けた。
「お前たちのノイズを修正している時間で、大根が売り切れる」
使者は、もはや反論する気力すらなく、糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。
「う、うわああああっ!! 来るなぁぁぁっ!!」
金属が砕ける音と悲痛な絶叫が、死の気配が充満する石造りの大部屋に響き渡った。
退路を断たれた勇者アレンたちは、薄暗いモンスターハウスの壁際へと完全に追い詰められていた。
「グオォォォォッ!!」
目の前には、血走った目を剥く巨大なミノタウロス。その後ろにはオーガや飢えた魔犬の群れが、無防備な獲物を囲むように涎を垂らしている。
「アレン! どうするのよ!? あんたが『莫大な財宝の部屋だ』って言って、この扉を蹴り開けたんでしょ!」
「知るか! お前が先に飛び出せ!」
仲間の女魔法使いの悲鳴に、アレンは勇者らしからぬ見苦しい怒鳴り声を上げた。
ドゴォンッ!
ミノタウロスの戦斧が床を叩き割る。
飛び散った石片に悲鳴を上げながら、彼らはさらに後ずさった。
「ち、違う! 全部あいつが……リクトが悪いんだ! あいつがこんなデタラメな攻略本を落としていくから!」
腰を抜かしたアレンは、床に散らばった手帳のページ(ただの買い出しリスト)を指さして泣き喚いた。
「『タマネギ詰め放題』……ッ! そんな凶悪な罠の記述なんて、どこにも書かれていなかったじゃないか!」
「言い訳なんてどうでもいい! 誰か前へ出て魔物を食い止めろ!」
「だったらアレン、お前が勇者だろう! そこに落ちてる盾を持て!」
仲間の戦士が、部屋の隅に転がっていた禍々しい骸骨の盾をアレンに向かって蹴り飛ばした。
触れた者の生命力を吸い取る、一目でわかる最悪の『呪いの装備』である。
「ヒッ!? ふざけるな、こんな呪いの盾を持ったら腕が腐り落ちるぞ! お前たち、この手帳を買うために防具を全部売っちまったんだから、お前が肉の盾になれ!」
「嫌よ! そもそもアレンが売り払おうって言い出したんじゃない……ッ!」
凶悪な魔物の大群に完全に包囲されているという極限状態。
だが、彼らに連携など微塵もなかった。
かつて軍師リクトの綿密な計算を「不要な補助輪」だと嘲笑った、プライドの高い勇者パーティーの見る影はない。彼らはただ鼻水を垂らし、泣き喚きながら、互いを肉の盾にしようと背中を突き飛ばし合っている。
無意識のうちに己の保身を優先し、指示系統など微塵も存在しない。リクトが切り捨てた『ノイズの塊』そのものが、今の彼らだった。
自分だけは助かろうと不気味な呪いの盾を押し付け合い、己の判断ミスを棚に上げて醜い責任転嫁の喧嘩を続けている。
「誰か何とかしろよ!」
「お前が持て!」
「嫌だ、お前が盾になれ!」
ガシャン!
押し合う最中、呪いの盾が虚しく床へ転がった。
それを合図にしたかのように、先頭のミノタウロスが地鳴りのような咆哮を上げ、巨大な斧を天高く振りかぶる。
「ひっ――」
誰も前へ出ない。誰も仲間を守ろうとしない。
誰一人として前衛に出ようとしない。彼らの行動ラグが、ゼロになることは永遠になかった。
「ぎゃああああっ!? やめろ! 押すな! 互いに押すなぁぁぁっ! 俺は勇者だぞぉぉぉっ!!」
ブチィッ、という湿った破裂音と共に、醜く歪んだ勇者パーティーの責任転嫁の怒鳴り声は、振り下ろされた戦斧の轟音と、魔物たちの圧倒的な咆哮の中に無残に飲み込まれていった。
◆ ◆ ◆ あとがき ◆ ◆ ◆
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