表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/41

【第捌話】やぁ少年、祭りを楽しもう。

魔力枯渇から目を覚ましたフォグがキャラメルからの密着状態に焦りつつも、ゴブリン群れ殲滅の功績を称えられ、街を挙げた大討伐祭へと繰り出す。

祭りの中心地へ一歩足を踏み入れると、そこは熱気と喧騒のスープを煮詰めたような空間であった。香ばしい肉の焼ける匂いや甘い果実の香りが漂い、行き交う人々は一様に浮薄な破顔(はがん)を浮かべている。


「……完全に熱力学的平衡状態だな。これほどエントロピーが増大した高密度かつ雑多な過密空間では、視認(ライン・オブ・サイト)遮蔽(しゃへい)され前方警戒(クリアリング)(はなは)覚束(おぼつか)ない」


フォグは苦々しく眉根(まゆね)を寄せ、無意識に軍服の裾を握りしめていた。周囲の大人たちの体躯に視界を阻撓(そとう)され、彼の低い全方位警戒領域はほぼ完全に閉塞している。その迷子の一歩手前のような挙動を、キャラメルが見逃すはずもなかった。


「あはは、少年ったら。ほらほら、迷い子にならないように私の手を握って? それとも、抱擁して歩いてあげようか?」


「断る。自立歩行および機動力(モビリティ)に支障はない。そもそも、私を戦略的抱き枕の如く看做(みな)すのはやめろ!」


赧顔(たんがん)して抗議するフォグの手を、キャラメルは「はいはい」と軽く受け流し、その華奢(きゃしゃ)な指先を自らの柔らかな手の中に優しく収めた。幼い容貌のフォグを翻弄(ほんろう)し、(いつく)しむようなキャラメルの切れ者めいた視線には、彼への確かな執着と独占欲が交雑(こうざつ)している。


「フォグさん、キャラメルさん! こっちにこの街の名物の『オークの強火燻製肉(つよびくんせいにく)』がありますよ!」


人混みを巧みに穿(うが)って進むニューが、嬉々として振り返った。その隣ではスクワールがすでに串肉を両手に保持し、頬袋(ほおぶくろ)をリスのように膨らませてモグモグと咀嚼している。


「ほう、オークの肉か。どれ、検食を兼ねてデータを採取させてもらおう」


フォグが差し出された串肉を端厳(たんげん)に一口齧る。その瞬間、彼の三白眼がわずかに開かれた。


「……美味、だな。筋組織の密度が高く、脂質の乳化状態も極めて良好だ。おそらく燻煙に含まれるフェノール類や酢酸(さくさん)、さらに多環芳香族(たかんほうこうぞく)炭化水素(たんかすいそ)(PAH)の抑菌防腐(よくきんぼうふ)成分(せいぶん)が肉の可食性を高めつつ、タンパク質の熱変性およびアミノ酸の加水分解による呈味(テイスティング)成分を極限まで抽出している。長期の兵站(へいたん)を支える野戦高エネルギー補給食としての実用性も極めて高い」


「でしょー? お兄ちゃん難しいこと言ってるけど、気に入ってくれてよかった!」


スクワールが油のついた手でフォグの頭を無遠慮に叩く。普段なら「私の頭部に不法接触するな。指揮官の威厳および尊厳に対する重大な侵害とみなす」と一蹴するフォグであったが、彼女たちの無垢(むく)な好意と肉の美味さに免じ、今回は小さく吐息を漏らすにとどめた。


そこへ、大ジョッキを片手にしたマーシャルが、他のベテラン冒険者たちを引き連れて闊歩してきた。


「よう、主役! 飯は口に合うか? ほらお前ら、こいつらが昨日ゴブリン300匹を消し飛ばした、例の規格外の二人組だ!」


マーシャルの紹介に、周囲の体格の良い冒険者たちが「おお!」と歓声を上げる。一時はその圧倒的な破砕力に戦慄した彼らであったが、無礼講の勢いも手伝い、今や二人に興味津々のようであった。


「小さな戦術家さんよ、あのクルミの壁を使った包囲陣は鳥肌が立ったぜ!」


「お姉さんのあの赤い粉、あれは何の魔法なんだ? ギルドの錬金術師たちも頭を抱えてたぞ!」


矢継ぎ早に飛んでくる喧しい質問に、キャラメルはふにゃりと締まりのない笑みを浮かべた。


「えへへ、あれはねー、単なる可燃物と酸化剤による急激な酸化還元反応だよ。微粉末化(びふんまつか)した金属アルミニウムと酸化第二鉄(Ⅲ)の粉末を、適切な化学量論的(ストイキオメトリー)比率で相関混合して、不活性化膜(ふかっせいかまく)を破壊し瞬時に超高熱の溶融鉄(ようゆうてつ)を生み出しただけ。おじさんたちも、アルコールの脳に対する麻痺作用(まひさよう)ばかり(たの)しんでないで、最外殻電子(さいがいかくでんし)遷移(せんい)やイオン結合の解離エネルギーについて学習すると世界が拡張されるよぉ?」


「ハハハ! 相変わらず何言ってるか分かんねえが、とにかく凄かったってことだな! 乾杯だ!」


冒険者たちはキャラメルの難解な物理化学の講義を豪快に笑い飛ばし、次々とジョッキを交錯させる。フォグもまた、マーシャルから給与された果実水(ノンアルコール)のコップを掲げ、彼らの輪に加わった。


「……個々の遊撃(ゆうげき)戦闘力(せんとうりょく)は未熟で粗削りだが、この集団の士気(モラール)および自己犠牲精神の顕著(けんちょ)さは評価に値するな。強固な信頼関係で連帯された不正規戦向けの特殊遊撃部隊としては、極めて有用な人的戦闘資源だ」


フォグがコップを傾けながら冷徹な地政学的・軍事的な洞察を呟くと、キャラメルがその背後から再びぎゅっと密着(ホールド)した。豊満な胸がフォグの背中に押し当てられ、彼女の甘い体温が伝わってくる。


「少年、そんな堅苦しい戦闘序列(オーダーオブバトル)や戦略的評価の分析は収束させて、もっとこの局所的な熱狂を楽しもうよ。はい、あーん」


キャラメルが自分の食べていた甘い焼き菓子をフォグの口元へあからさまに突き出す。


「むぐっ……! 待て、キャラメル、公衆の面前におけるこのような親密行動は……作戦遂行中の防諜(ぼうちょう)および視認確保の観点からも重大な隙を生む……ッ!」


「いいから、あーん」


断固として撤回しないキャラメルの強圧に屈し、フォグは顔を真っ赤にしながらも、小さく口を開けて菓子を噛み千切る。その様子を見て、ニューやスクワール、そしてマーシャルたちも一斉に爆笑した。


異世界の常識を破壊した二人の周囲には、畏怖(いふ)ではなく、確かな親愛の輪が拡大し始めていた。未知の戦場に放り出された少年参謀とマッドサイエンティストは、こうして少しずつ、この世界に自らの「戦略的足場」を構築していくのであった。

・フェノール

ベンゼン環に「ヒドロキシ基(-OH)」が直接くっついた有機化合物(石炭酸とも呼ばれる)。


・多環芳香族炭化水素

ベンゼン環が2個以上結びついて(縮合して)できた化学物質の総称。


・酸化第二鉄

鉄と酸素が結びついてできた物質(いわゆる赤錆)。


・化学量論

化学反応や化合物における物質の量的関係を扱う化学の基礎理論。


・不活性化膜

物質の表面に形成される、化学反応を起こしにくく、物質を通しにくい極めて安定な膜。


・最外殻電子

原子の最も外側の電子殻(最外殻)に入っている電子。


・遊撃

状況に応じて素早く動き、敵を攻撃したり味方を援護したりすること。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ