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【第参拾参話】よぉ少年、いざデッバンへ。

洞窟での資源採掘を終えたフォグたちは、大王国「デッバン」の冒険者パーティと遭遇。彼らからデッバンで相次ぐ「謎の連続自殺事件」の存在を知らされ、新たな脅威・陰謀の影を察知する。一行を「エリアF」へ招き、海軍カレーで完璧に心理制圧を行う一方、裏では手に入れた鉱石をもとにメスガキドワーフたちが『AK-47』や『MG42』などの現代火器の大量生産を着々と進めるのだった。

エリアFの軍兵力工廠、その薄暗い灯りの中、フォグ・コラテラルは手に持った複数枚の厚手の羊皮紙を、不機嫌そうな三白眼で睨みつけていた。そこには、極めて精密な図面と、現代兵器の特性を記述した数式、そして取扱いのコツが、達筆な文字でびっしりと書き込まれている。


「おい、ブラッティー・ギャンビット。これを受け取れ」


フォグは重厚なソ連風ダブルブレスト・オーバーコートの真鍮(しんちゅう)ボタンをカチリと鳴らし、身の丈ほどもある巨大レンチを肩に担いだツインテールの少女へとその紙束を突き出した。


「なによこれ、薄汚いお絵描き? ざぁ〜こ♡ ウチらにまた何か作らせる気?」


ブラッティーはそっぽを向きながら、生意気なメスガキスマイルを浮かべて鼻で笑う。


「戯け。これは投影(プロジェクション)された『自動小銃』の照準管理、および作動機構の維持に関する運用教範(マニュアル)だ。我が軍の主力である『AK-47』は、意図的なクリアランス確保により粘性摩擦による作動不良を低減している。だが、旋条(ライフリング)の摩耗やガス圧の排気特性を理解せねば、集弾精度(しゅうだんせいど)は50%以上低下する」


フォグは冷酷な三白眼を爛々と輝かせ、語気を強めた。


「留守の間、これを工兵部隊および一般国民の教育用テキストとして登録し、模擬訓練シミュレーション・ドリルを徹底させろ。兵器のポテンシャルを100%引き出せぬ無能な射手など、戦場においては単なる『死重』に過ぎんからな」


「はぁ!? なんでウチらがそんなおチビちゃん参謀のパシリにならなきゃいけないわけぇ!? ざぁ〜こ♡ ウチらに押しつけるなんて、人使いの荒いパワハラ参謀なんだから!」


ブラッティーは頬を膨らませて猛烈に抗議する。


「いいじゃないの、ブラッティーちゃん。ボクたちの『化学反応』が外のフィールドでどう活きるか、少年とちょっとした地質学的調査(フィールドワーク)に赴くだけさ。留守の間、この高純度な多孔質炭水化物(カルメ焼き)と、ペクチンで安定化させた特製『フルーツ牛乳』の配給管理は君に委託するからねぇ」


キャラメル・メイラードは白衣のポケットに手を突っ込み、ふにゃりと締まりのない笑顔で歩み寄る。


「っ……! べ、別にお姉さんのために引き受けるわけじゃないんだからね! そのカルメ焼きとフルーツ牛乳の等価交換(トレード)としての正当な契約なんだから! しぶしぶなんだからねっ!」


ブラッティーは顔を真っ赤にしてそっぽを向きつつも、渡された紙束をぎゅっと抱きしめた。


「よし、ブラッティーへの後方支援(バックアップ)委託は完了した。テイ少佐、シノギ中佐、アイス特務少尉、およびスクワール、マーシャル。これより、大王国『デッバン』への防衛出動ディフェンシブ・デプロイメントおよび地政学的偵察を執行する。馬車を回せ!」


「少佐、了解っス! 俺の音波同調で、馬車の車軸に生じる剪断応力(せんだんおうりょく)と振動ノイズを極限まで打ち消してやるっスよ!」


テイ少佐が能天気に笑いながら手綱(たづな)を引く。


「……移動中の糧食、および水分保持(ハイドレーション)の管理は完了した。いかなる環境下でも、ドリップのない完璧な仕込みを保証しよう」


シノギ中佐は静かに巨大な庖丁を(さや)に収め、馬車へと乗り込んだ。


「あ、あうぅ……特務少尉、馬車の保冷庫の温度をマイナス78.5℃に保って、カレーの品質をデッバンまで絶対防衛しますぅ……っ!」


パンケーキ・アイスが小さな両手から必死に冷気を放ち、馬車内の大釜を急激に冷やす。


「お兄ちゃん、お姉ちゃん! デッバンってどんなに大きなお城があるのかな? わたしの掌状の殻檻(イン・ア・ナッシェル)で、みんなを守るテントも盾も、いつでも出せるようにしておくねっ!」


スクワールがオレンジ色のふさふさの尻尾をパタパタと揺らし、目を輝かせる。


「ハッ、俺の大剣もデッバンにいるっていう『魔病』だか『呪い』だかを物理的に叩き切る準備はできてるぜ。新入りの冒険者ども、足を引っ張るなよ」


マーシャルが大剣を担ぎ、不敵に笑う。馬車の客車には、エリアFを訪れていた四人の冒険者たち――キリハ、カロリック、クーサンクー、チェリンポも同乗していた。


「おいおい、俺たちを子供扱いするなよ。この日本刀に似た鋭い刃で、どんな異変の核心も切り裂いてみせるさ」


青年キリハが不敵な眼光を向ける。


「ちょっと、この天才魔法使い『カロリック』様の魔法を忘れないでよね! ササッと何でも焼き払ってあげるわ!」


カロリックが鼻を鳴らし、杖を誇らしげに掲げた。


「……押忍。気流の乱れを読み、極限の重心移動で敵を制圧する。クーサンクー、いつでもいける」


クールな格闘家が拳を構える。


「あらぁ、皆さんそんなに気負わないで。治癒(ちゆ)の魔法ならチェリンポにお任せくださいねぇ」


おっとりとした僧侶が微笑む。


総勢11人の異質な混成部隊を乗せ、馬車の車輪は土煙を上げながら、未知の大王国デッバンへと向けて回転し始めた。


数日間の行軍を経て、荒野の先にそびえ立つデッバンの全貌が現れた時、馬車の窓からその圧倒的な威容が一行を迎え入れた。


「見えてきたな。あれが俺たちのいた大王国デッバンだ」


キリハが窓の外を指さす。 そこにあったのは、ルパカトやサパニヤを遥かに凌駕する、白色と灰色の強固な石造りの超巨大城壁だった。高さは優に30メートルを超え、まるで地平線を遮る巨大な山脈のよう。そしてその中心部、青空を突き刺すかのようにそびえ立っているのは、白亜(はくあ)の巨塔と数々の尖塔(せんとう)を構えた、息を呑むほどに巨大な王城であった。


「わぁっ! すっごく大きいお城だよ……!」


スクワールが窓に張り付き、尻尾の毛を逆立たせて目を輝かせる。


「ふん、驚くのは早いわよ」


カロリックは不敵に笑いながら、誇らしげに胸を張った。


「あれが大王国デッバンの王城よ。私の強力な魔法をもってしても、あの城壁全体の熱容量(ヒートキャパシティ)をオーバーさせるのは至難の業なんだから」


「……フン。典型的な内線防御の極致(きょくち)だな。だが、ただの垂直の壁ではない。あの屈折角と、城壁の要所に配置された半円形砦の配置。交叉射撃(クロスファイア)によるキルゾーン形成のロジックが、前時代的ではあるが完璧に成立しているな」


フォグは窓から首を乗り出し、冷徹な三白眼で城塞(じょうさい)の構造をスキャンするように鋭く見つめた。


「それだけじゃないよ、少年。見てごらん、あの路面の舗装率(ほそうりつ)と、規則正しく配置された排水設備を。都市環境における毛管現象による水害や衛生管理のパラメータが、極めて高い水準でコントロールされているねぇ。これはなかなかの技術ツリーだよ」


キャラメルが白衣のポケットに両手を突っ込んだまま、科学者の目を細めて、眠たげに感心する。


「本当に、いつ見ても見事なインフラだ。……だが、こんな素晴らしい都市で不可解な自殺が相次いでいるなんて、いまだに信じられないな」


キリハが表情を(くも)らせ、低い声で呟いた。


大城門をくぐり、市街地のメインストリートへと足を踏み入れた瞬間、一行を待ち受けていたのは、陰鬱(いんうつ)な「死の気配」とは真逆の、耳を(つんざ)くほどの活気と熱気であった。


「すごいや! みんなわいわいして、活気にあふれてるよ!」


スクワールが馬車の窓から身を乗り出し、耳をぴょこぴょこと動かす。 大通りを埋め尽くす民衆たちは、一様に(ほが)らかな笑顔を浮かべ、賑やかに会話を交わしていた。 露店には、見たこともない色鮮やかな果物や、じゅうじゅうと香ばしく焼ける串肉、精巧な金属細工や織物がずらりと並んでいる。客と店主は普通に交渉し、楽しげに笑い合いながら取引を行っていた。


「……押忍。気流の乱れも、人々の呼吸の乱れもない。物理的なパニックによる心拍数(ハートレート)の上昇は一切観測できない。俺たちがギルドの依頼でここを発つ前と何一つ変わらない、極めて正常な|生理活性だ」


クーサンクーが無言で周囲の動きを見つめながら、静かに呟く。


「金銭の流通システムも、かなり整っているねぇ」


キャラメルが、果物屋の店先でやり取りされている硬貨をじっと観察する。


「硬貨の純度管理や、市場における流動性供給が非常にうまく機能している。金本位制に近い、極めて厳格な信用創造(クレジット・システム)の枠組みが都市全体の商業活動を支えているのが見受けられるよ」


「ああ。これほどインフラが充実し、経済的な資源配分(アロケーション)が最適化されている都市において、大衆が突発的に自己破壊行動を選択するなど、通常の精神医学的・社会学的パラメータからはあり得ん」


フォグは重厚なコートの襟をグッと引き上げ、狂気と冷徹が混ざり合ったどす黒い三白眼を爛々と輝かせた。


「自殺の蔓延、呪い、あるいは新型の魔病だろうか。その情報と、この眼前の超高密度活気には、戦術的な解離がある。……フッ、面白い。神への祈りなどという非論理的な妄想ではなく、この街の美しきシステムの裏に隠された『毒の化学式』を、私たちの火力と論理で完璧に解体してやろうじゃないか」


「うんうん。どんな複雑な混合溶液でも、適切な触媒を投入すれば、一瞬でその本質が登場するものさ、少年」


キャラメルは、不敵な笑みを浮かべ、白衣のポケットの中で指先をパチンと鳴らす準備をする。


「アイスちゃん、スクワールちゃん! せっかく大王国デッバンに帰ってきたんだから、お姉さんたちが美味しいものでも奢ってあげるわ!」


カロリックが不敵に胸を張り、その隣でチェリンポが慈愛(じあい)に満ちた笑みを浮かべて頷いた。


「あらあら、そうですねぇ。長旅の保冷任務で冷え切ったアイスちゃんの体も、温かい果実のスープでも飲んで体内の循環代謝(じゅんかんたいしゃ)を整えましょうねぇ」


「はにゃ〜〜っ! お買い物ですかぁ!? 特務少尉、保冷任務を一時的に完全解除(ディスアーム)して、全力でデッバンの甘いお菓子をお買い物しますぅぅっ!」


パンケーキ・アイスが小さな両手を挙げて大はしゃぎする。


「やったー! カロリックお姉ちゃん、チェリンポお姉ちゃん! わたし、デッバン名物の『木の実の蜜漬け(ハニーナッツ)』をいーっぱい食べたいなっ! クルミの殻に包んで持って帰るねっ!」


スクワールもふさふさのオレンジ色の尻尾を激しくパタパタと振り回し、目を輝かせる。


「ふふ、おねだり上手ね! よし、今日の予算はたっぷりあるから、市場の端から端まで付き合ってあげるわよ!」


カロリックとチェリンポは、小さな二人の手を引いて、賑わう大通りの商業区画へと歩み去っていった。


「チッ、偵察行動の初期段階において戦力を二分するのは、不測の事態における|防衛線構築の遅滞を招く戦術的リスクを伴う。非効率極まりないな」


フォグ・コラテラルは重厚なソ連風ダブルブレスト・オーバーコートの真鍮(しんちゅう)ボタンをカチリと鳴らし、不機嫌そうな三白眼で市場の喧騒を睨みつける。


「いいじゃないの、少年。たまには少人数での隠密偵察(ステルススキャン)も悪くないよぉ。それに、糖分は前頭葉の最高な栄養源だからねぇ」


キャラメル・メイラードは白衣のポケットに両手を突っ込んだまま、歩きながらフォグの頭を自らの白衣の脇へとぐっと引き寄せた。


「むぐっ……! キャラメル、だから公道における不用意な物理的占拠(ホールド)は指揮官のパーソナルスペースに対する重大な領空侵犯だと――!」


「はいはい、よしよし。少年のマッシュヘアはいつも塩基配列(DNA)の並びのように整然としていて、触り心地が良いねぇ」


「放せ! 私は動物ではない!」


顔を真っ赤にしてジタバタと暴れるフォグを、キャラメルはふにゃりとした笑みを浮かべて軽く受け流す。


その様子を横目に、シノギ中佐は周囲の露店に並ぶ食材を鋭い目で見つめていた。


「……食材の温度管理(コールドチェーン)、および塩漬けによる保存技術(キュアリング)は前時代的だが最低限の基準を満たしている。だが、この人口密度に対して市場の流通速度が異常に速いな。肉のドリップの出ない完璧な仕込みをするには、もう少し市場の流動性収支(フローチャート)を解析する必要があるな」


「いやー、それにしても活気があるっスね!」


テイ少佐が快活に笑いながら、周囲の騒音に耳を澄ませる。


「人々のざわめきが、特定の周波数で綺麗にうねりを上げてるっス。不快なノイズ成分が極めて少ない、まるで高度な多重反響(フラッターエコー)で調和された合唱のようっスよ」


「……押忍。この安定した呼吸、そして民衆の淀みのない足運び。恐怖やパニックによる筋肉の強張りは一切観測できない。だが、これほどインフラが充実し、安定した街で、本当に精神の平衡(バランス)を失うような自己破壊行動が多発しているのか?」


クールな格闘家クーサンクーが、無言で周囲の通行人の歩法を見つめながら、静かに呟いた。


フォグは歩きながら、行き交う笑顔の民衆たちを一瞥し、鼻で嘲笑うように口を開いた。


「フン。見事なまでの平和ボケだな。自らが依存する巨大なシステムに隠された致死性のバグにも気づかず、ただ目先の享楽(きょうらく)を貪っている。まるで屠殺場(とさつじょう)へと続くベルトコンベアの上で、配給された飼料の味を称賛し合う無能な羊たちの群れだ。社会という枠組みが彼らの生存本能を徹底的にスポイルしている証拠だな」


辛辣(しんらつ)だねぇ、少年。でも、化学結合だって外部から適切な刺激を与えられなければ、安定した状態を維持し続けるものだよ。彼らはただ、日常という名のぬるま湯に浸かり続けているだけさ」


キャラメルが微笑みながら返す。


「実際、俺たちがここにいた頃も、王城の近衛兵や一部の貴族の間で、夜中に突然城壁から飛び降りたって不気味な噂は絶えなかったからな。呪いだなんだと騒がれてたが、こうして市場を歩く分にはそんな影は微塵(みじん)も感じねえぜ」


マーシャルが大剣の柄をポンと叩き、不敵に笑う。


「……静かに。前方から、王宮の近衛騎兵(ロイヤルガード)の隊列が接近してくるぞ」


キリハが腰の刀の柄にそっと手を添え、鋭い視線を大通りの前方へと向けた。


石畳を規則正しく叩く、無数の馬蹄の響き。

白銀に磨き上げられた胸甲を鳴らし、整然と進んでくる近衛騎士たちの中心に、その人物はいた。


白馬に跨り、金色の刺繍(ししゅう)が施された豪奢な白い外套を羽織った、六十代半ばほどの老境の男性。優しげで温和な細目を細め、民衆の歓声に対して気さくに手を振り返しているその人こそ、大王国デッバンの王、ラドフォードであった。


民衆からは「ラドフォード王万歳!」と温かい声が上がり、王の統治が恐怖ではなく、親愛に基づいていることが一目で見て取れた。


「おや……? そこにいるのは、ギルドの遠征に行っていたキリハたちのパーティじゃないか」


ラドフォード王がキリハたちの姿を認め、近衛騎士たちを制して馬を止めさせた。王は優しげな笑みを浮かべ、(くら)から降りてこちらへと歩み寄ってくる。


「王よ、自ら前線に降りて民の声を直接聴くその姿勢、国家の情報帰還としては最低限の合理性を満たしているな」


フォグが腕を組み、冷徹な三白眼で王のバイオデータを検分するように見つめる。


「あはは。優しい王様だねぇ、少年。大脳の報酬系に余計なプレッシャーを与えない、非常に良質な有機的触媒のような人だよぉ」


キャラメルが白衣のポケットから手を抜かずに呟いた。


「元気にしていたかい、キリハ。ルパカトのギルドへの長期遠征から、無事に戻ってきたのだね」


ラドフォード王が温かい声をかける。


「ええ、王よ。どうにか任務を完遂し、戻ってまいりました。……こちらは、その遠征先で知り合った、新たなる同盟国家『エリアF』の外交特使の方々です」


キリハが臨機応変にフォグとキャラメルを紹介すると、ラドフォード王は驚いたように細い目を見開いた。


「ほう、エリアF……。使節団さんを、我がデッバンに迎えることができて嬉しく思うよ。私はラドフォード。この不条理な世界で、どうにか民の平穏を守ろうと足掻いている老いぼれさ」


王の丁寧な挨拶に、フォグは「フン、主権国家としての公式な外交儀礼ではないが、一国の指導者としての謙虚な姿勢は評価に値する」と、ツンと答えた。


しかし、ラドフォード王はすぐにその穏やかな表情にふと深い影を落とし、痛ましそうに深く息を吐き出した。


「しかし、特使殿。せっかく我が国を訪れてくれたというのに、今のデッバンは少々、哀しい影に覆われていてね……。キリハたちも聞いているだろうが、ここ数ヶ月、城内や街の中で、突発的に自ら命を絶つ者が後を絶たないのだ」


「やはり、あの『魔病』や『呪い』の噂は本当なのですか……?」


キリハが神妙な面持ちで尋ねる。


「ああ。健康で何不自由のない近衛兵が、夜哨(やしょう)の最中に突然城壁から飛び降りたり……。昨日は、一人の裕福な商人が、自室で首を吊って縊死(いし)しているのが発見された。何の予兆もなく、遺書すら残さずに、ただ物理的な自己破壊へと衝き動かされるようにね……。教会は悪魔の呪いだと言って祈りを捧げているが、祈りでこの連鎖が止まる気配はない。私は、民の心が壊れていくのを、ただ見ていることしかできないのだよ」


王は悔しそうに拳を握りしめ、目を伏せた。


「ハッ、呪いだと? 脳という物質的な電気回路をバグらせる何らかの毒性信号、あるいは扁桃体を局所制圧する心理戦プロトコルの介入と見るのが妥当だな。精神の恒常性(ホメオスタシス)を外部から強制シャットダウンさせる、極めて悪質なハッキングだぞ」


フォグが軍服の襟を引き上げ、冷酷な声を響かせる。そして、王に向かって鋭い皮肉を放った。


「それにしても無能な王だな。民の自己破壊行動を座して見守ることしかできないとは。祈りという名の非論理的な妄想に現実逃避し、根本的な原因究明すら放棄している教会の連中と同レベルだ。指揮官の怠慢こそが、国家という組織を瓦解(がかい)へと導く最大の不治の病だぞ」


「少年、言い過ぎだよぉ」


キャラメルは苦笑しながら、白衣の中で指先を鳴らした。


「うんうん。有機リン化合物や特定の神経伝達阻害剤が作用しているか、あるいは、脳の前頭前野の神経可塑性を不可逆的に書き換えるような、極めて精密な精神工学アプローチかもしれないねぇ」


その時だった。


「おや……? なんだい、あの行列は?」


マーシャルが、大通りの角にある、一際真新しく整備された石造りの建物を指さした。


そこには、衣服を乱した民衆や、沈痛な面持ちの貴族たちが、まるで配給を待つ兵士のように、静かに、しかし異様なほど長い行列を作っていた。


「王よ、あの建物における人的資源の局所的超高密度滞留は何だ? 我が軍の兵站マッピングにおいて、都市内部の不要な動線遅滞は防御陣地のキルゾーンを阻害する重大なバグだが」


フォグが鋭い三白眼を向け、王に問いかける。


ラドフォード王は、その行列を少し複雑な、しかし救いを求めるような目で見つめながら、静かに語った。


「ああ、あれかい……。実はね、少し前から遠くの町から訪れたという二人の旅人が、あの建物で臨時の相談所を開いていてね。この国には存在しない『心理カウンセラー』という不可思議な職業を名乗る、優しそうな眼鏡をかけた二十代後半ほどの男と、黒いスーツに灰色のネクタイを着けた、糸目を細めた三十代前半ほどの男。彼らが、この痛ましい自殺の連鎖を(かんが)みて、悩める民たちの相談を無償で受け、心の負担を軽くしてくれているのだよ」


その瞬間、フォグとキャラメルの脳内に、凄まじい衝撃波が走った。


(――心理カウンセラーだと……?)

(黒いスーツに、灰色のネクタイ……?)


中世の未発達な文化圏において、「心理カウンセラー」という近代精神医学に立脚した概念、そしてあまりにも不自然な、元の世界のビジネスマンを彷彿とさせる衣服。


フォグの三白眼が狂気的な熱量で爛々と輝き、キャラメルの目が一瞬にして見開かれる。


平和と活気に満ちた大王国の裏で、別の「元の世界」の影が、静かに(うごめ)き始めているのを、二人は本能的に察知していた。

・ハイドレーション

バックパックに入れた水袋からチューブを伸ばし、歩きながら手を使わずに水分補給ができるシステム。


・白亜

主成分が炭酸カルシウムの柔らかい灰白色の石灰岩や、白く塗られた美しい壁。

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