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【番外編⑦】ドライアイス・アイスクリーム

ドワーフの技術によって完成した『要塞型スーパー銭湯』の一角、冷気が微かに漂う主計課のオフィス。

新生「軍事国家エリアF」の極低温リソースとして強引に抜擢(ばってき)されたパンケーキ・アイス特務少尉は、7歳という幼い身体を直立不動に凍りつかせ、涙目で敬礼を捧げていた。


「あ、あうぅ……特務少尉、いのちがけで保冷任務、がんばりますぅぅぅっ……!!」


彼女の視線の先にあるのは、主計中佐シノギの管理する、あの暴力的なまでに食欲を刺激するスパイスが詰まった「海軍カレー」の保管用大釜である。 


「パンケーキ・アイス特務少尉!貴様の熱移動効率は依然として戦術的要件を満たしていないぞ!」


中央に腕を組んだ少年参謀、フォグ・コラテラルが、どす黒い三白眼を鋭く光らせた。重厚なダブルブレスト・オーバーコートの真鍮ボタンをカチリと鳴らし、冷酷な軍事ロジックを吐き散らす。


「単なる水氷(みずごおり)融解潜熱(ゆうかいせんねつ)に依存した局所保冷など、熱力学第二法則に対する重大な屈服であり、兵力維持における重大な怠惰(たいだ)だ!カレーのデンプン構造が不可逆的に老化し、兵員のドーパミン分泌効率が1%でも低下すれば、それは我がエリアFの進軍における致命的なボトルネックになる!もっと熱吸収密度を最大化する冷却媒体を展開しろ!」


「ひ、はいぃぃっ!ですが、わたし、ただの氷しか出せなくて……あぅ、頭がキーンとしますぅ……!」


プレッシャーで今にも泣き出しそうなアイスちゃんの前に、ボサボサの茶髪を揺らしたダウナー化学お姉さん、キャラメル・メイラードが、白衣のポケットに手を突っ込んだまま割り込んだ。


「まぁまぁ少年、7歳の女の子に熱力学的限界を強いるのは、労働基準法以前に生物学的な虐待だよぉ。交感神経が興奮してコルチゾールが分泌されたら、彼女の成長板の骨端線(こったんせん)が閉鎖しちゃうよ。……それよりさぁ、ボクからちょっとした化学的なアプローチの提案があるんだけど、聞いてくれる?」


フォグは眉をひそめた。


「なんだキャラメル。速やかに戦術的合理性を提示しろ」


「いいかい?アイスちゃんの『氷属性』の魔力って、単に大気中の水分を選択的に凝縮(ぎょうしゅく)させてるだけじゃないはずなんだよね。彼女の冷却術理の本質は、局所的な分子運動の強制停止……つまり『極限のエントロピー低減』だ。だったら、水分子ではなく、大気中に0.04%しか存在しない二酸化炭素(分子をターゲットにして、マイナス78.5℃以下に強制冷却・凝縮させることはできないのかなぁ?」


「……二酸化炭素の強制凝縮だと?」


フォグの脳内データベースが、その言葉に一瞬で反応した。


「固体炭酸……いわゆる『ドライアイス』か!!」


フォグは幼い顔を悪魔のように歪ませ、爛々とした狂気的な熱量をその瞳に宿して不敵に笑った。


「フハハハハ!素晴らしい!固体炭酸の昇華潜熱は571J/gと、水氷の約1.7倍!さらに液相(えきそう)を経ずに直接気相へと相転移するため、融解後の残渣(ざんさ)がゼロという完璧な兵站効率を誇る!昇華時の体積膨張率は約800倍。局所的に展開すれば、敵の『火属性魔法』を瞬時に酸素遮断によって無力化する窒息消火シールドとして機能する他、密閉空間に充満させれば、不活性化ガス展開プロトコルを確立できる!これぞ、現代戦術における究極の受動的防衛資材だァッ!!」


「あはは。相変わらず少年は、お菓子みたいな名前の物質をすぐ兵器に結びつけるねぇ。まぁ、窒息消火としての物性は合ってるけどさ」


キャラメルはふにゃりと笑い、アイスちゃんに視線を送った。


「ほら、アイスちゃん。お姉さんが化学的な分子軌道のイメージを魔力で共有してあげる。大気中の炭素原子1つと酸素原子2つの二重結合。極性を持たない直線状の二酸化炭素分子だけを引き寄せて、ファンデルワールス力でカチコチに結合させてごらん」


「ふゃ……?じ、じゅうけつごう……?ふぁんでる……?はにゃ〜〜〜、お頭がカチコチにフリーズしそうですぅ……っ!」


アイスちゃんは目を白黒させ、小さな両手を頭に当てて左右にぶんぶんと振った。7歳の脳細胞には、大学の研究室レベルの学術用語はあまりにも高すぎる静水圧(せいすいあつ)のような負荷だった。


「こらキャラメル!被教育者のスペックを無視した非効率な講義をするな!」


フォグが不機嫌そうに三白眼を尖らせて鋭く指摘した。


「7歳の生体フレームに分子構造の直接演算を要求するなど、戦術的ドクトリンの崩壊を招く。もっと解像度を下げ、伝達効率に優れた簡略プロトコルで記述しろ!」


「あはは、そうだねぇ。ちょっとボクの脳細胞が励起(れいき)しすぎちゃったよぉ」


キャラメルはだるそうに白衣のポケットから手を抜くと、人差し指をアイスちゃんのおでこにそっと近づけた。その指先から、ほんのりとした温かさと共に、彼女の『化学』属性が持つ「物質のビジョン」が、アイスちゃんの感覚受容器へ優しく共有されていく。


「いいかい、アイスちゃん。難しい言葉は全部忘れていいよぉ。イメージしてごらん。君の周りにはね、いつもお空を自由にお散歩している『空気の妖精さん』が、たくさん漂っているんだ」


「く、空気の、妖精さん……ですかぁ?」


「そう。いつも君が作っている水の氷は、お互いに手をつなぎたがる、とっても寂しがり屋な妖精さんたち。でもね、今回呼び出すのは、お互いぜんぜん興味がなくて、そっぽを向いてバラバラに飛び回っている、すっごくお行儀の悪い妖精さんたちなんだ」


キャラメルの魔力共有によって、アイスちゃんの暗闇の視界に、バラバラに飛び回る無数の「点」が映し出された。


「この妖精さんたちは、少しくらい冷たい風を当てても、すり抜けて逃げちゃう。だからね、お行儀良く整列させるために……君の持っている『とびきり冷たい光』を、彼らの足元に一気に当てるんだ。マイナス78.5度。彼らが寒さで凍えて、動けなくなるまで、周りの熱を根こそぎ奪い去ってごらん」


「マイナス……ななじゅう、はち……」


「そう。寒さに耐えかねた妖精さんたちはね、お互いにぎゅっと寄り添って、カチコチに、とっても綺麗に並び始める。水とは違って、()けてベチャベチャ濡れることもない。お空へ真っ白な煙になって、お行儀よく静かに消えていく……そんな、お上品な『白い氷の兵隊さん』だよぉ」


「白い……煙の、兵隊さん……」


アイスちゃんは、きゅっと目を閉じた。


彼女の脳裏に、バラバラに飛び回っていた点が、極限の冷気によって動きを止め、まるで一糸乱れぬ規律正しい格子を組むようにして、純白の強固な塊へと組み上がっていく美しい幾何学ビジョンが完璧に結像(けつぞう)した。


「はにゃ〜……!見えました、お行儀よく並ぶ、白い兵隊さん……っ!」


アイスちゃんは涙目をきりりと引き締め、胸の前で両手を合わせると、内なる極低温の魔力エネルギーを一気に収束させた。


「空気の妖精さん、みんな、寒くてお行儀よくカチコチに並びますぅぅっ……!〈極低温(クライオ)固体炭酸(ドライアイス)〉!!」


パキ、パキパキパキッ!


激しい吸熱反応に伴う、不気味なほどの乾燥音が響き渡る。大気中の二酸化炭素が局所的な超低温場によって強制的に固体へと相転移を起こし、テーブルの上に、コロン……と、冷気を放つ純白の小さな塊が出力された。


「……ほう!」


フォグの三白眼が、鋭く見開かれた。


「固体炭酸……ドライアイスの結晶化に成功したか!局所的な熱移動速度を極大化し、大気中から二酸化炭素のみを選択的に結晶化させるプロセス。実に見事な戦術的適応だ!」


「はにゃ〜……冷たいというより、皮膚器が破壊されそうな激痛がしますぅ……!」


アイスちゃんはトングでその白い塊を慎重に掲げた。周囲の大気中の水分が冷気で急激に凝縮され、もこもことした「白い煙」がテーブルから滝のように這い出していく。


「わぁっ!なにこれ、もこもこ煙が出てきたよっ!」


スクワールがオレンジ色の尻尾をパタパタと振り回しながら目を輝かせた。


「あはは。これは煙じゃなくて、ドライアイスの冷気によって、空気中の目に見えない水蒸気が急激に凝縮して極小の水滴に相転移したビジュアル現象だよぉ」


キャラメルはだるそうに微笑むと、卵、新鮮な牛乳、ショ糖が完璧に乳化された黄金色のアイスクリームベースを取り出した。


「さて、少年。この『少量のドライアイス』を細かく粉砕して、急速攪拌中(かくはんちゅう)のベースに投入してごらん。マイナス78.5度の急速凍結によって、液中の氷結晶の成長時間は極限まで短縮され、直径数マイクロメートル以下の『ナノスケール氷結晶』が均一に析出する。さらには昇華した二酸化炭素ガスが気泡として閉じ込められることで、熱力学的に完璧な『炭酸フローズン・アイスクリーム』が爆誕するのさ。どうだい、この化学合成の美学は?」


「……フン。熱移動の速度制御による、結晶粒径のナノスケールコントロールか。物理化学の実験プロセスとしては、検証する価値があるな。許可する」


フォグの冷徹な許可が下りると、スクワールが植物魔法の「高速クルミ殻ミキサー」をボウルの中で発生させ、そこへキャラメルが粉砕したドライアイスを「シュワァァッ!」と一気に投入した。


全体が真っ白な冷気の霧に包まれ、視界がクリアになった瞬間。ボウルの中には、異世界のいかなる宮廷料理人も見たことのない、シルクのように滑らかなアイスクリームが完成していた。


キャラメルはスプーンでそれを掬い、まずは冷たさに震えているアイスちゃんの口元へ運んだ。


「はい、アイスちゃん。君の『固体炭酸』が成し遂げた、熱力学の結晶だよ。あーん」


「あ、あむっ……。…………はにゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜♡」


一口食べた瞬間、7歳の特務少尉の小さな身体がふにゃふにゃにとろけ、その涙目からこれ以上ない至至福の笑顔がこぼれ出た。


「冷たくて……お口に入れた瞬間に、あま〜いのがしゅわしゅわって、雪みたいに消えちゃいますぅ……!わたしの冷たい魔法が、こんなに美味しいものになるなんて、はにゃ〜……幸せですぅ……♡」


「どれ、わたしも!あむっ……!ゃああああっ!!お口の中で泡がプチプチ弾けて、すっごく滑らか!ほっぺたが落ちちゃうよっ!」



スクワールも自慢の尻尾を振り回して大はしゃぎする。


「フン。大げさな……。冷覚神経を局所的に麻痺させることで、ショ糖の閾値(いきち)を引き上げ、一時的な脳内ドーパミンの過剰分泌を誘発させているだけの生理現象――」


フォグが不機嫌そうにブツブツと論破しようとする。キャラメルはスプーンをフォグの前に差し出した。

「はい、少年。能書きを垂れる前に、まずは実証データが必要だと思わないかい?」


「……チッ。科学者らしく、筋の通った要求だな。いいだろう、毒見だ」


フォグは腕を組み直したままスプーンを受け取り、一口を口に運んだ。


その瞬間、フォグの動きが完全に凍りついた。


極限まで微細化された氷の分子が、舌の上で体温を奪いながら一瞬で滑らかな乳脂肪へと融解していく。その瞬間、炭酸ガスの微細な気泡が優しくパチパチと弾け、口腔内を刺激する。


それは、かつて地球で彼が食べていた、いかなる安価な戦闘用レーションとも異なる、狂おしいほどに完璧な「科学と魔法のハイブリッド・デザート」であった。


「……ベースの乳化バランス、および固体炭酸による結晶析出(けっしょうせきしゅつ)プロセスは……一応、評価に値する。我が軍の公式デザートとして……配給リストに登録することを、許可、する……」


「あはは。少年、おかわりはたっぷりあるからねぇ」


キャラメルは微笑みながら、食べかけの皿をフォグの前に置いた。


白煙が静かに床を這い、甘い香りと冷たい炭酸が弾ける。


未発達な異世界に爆誕した新生軍事国家「エリアF」の片隅で、彼らの極限の科学と軍事は、今日も騒がしく、そして誰かの笑顔を完璧にハッキングしていくのであった。

・融解潜熱

固体が液体に変わるときに、温度を変えずに吸収する熱。


・骨端線

成長期の子どもの長管骨の端にある軟骨の層。


・ドライアイス

二酸化炭素を固体にしたもの。表面温度は約-79℃と非常に冷たく、液体にならずに直接気体へ変わる性質がある。


・液相

物質が液体の状態にある均一な領域。


・ファンデルワールス力

すべての原子や分子の間にはたらく、とても弱い引力。


・励起

脳において、神経細胞が外からの刺激を受けて興奮し、活動しやすい状態になること。


・閾値

ある値を超えると、物事の状態や判定、反応が切り替わる境界となる数値。

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