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【番外編⑥】剣と庖丁

二つの黄白色の月が、雲なき夜空に淡く居座っている。冷たい風が、遮るもののない荒野の砂塵(さじん)を静かに巻き上げていた。


その荒野の中央、刃を交える間合いで対峙する二人の影があった。


一人は、背中に身の丈ほどもある重厚な大剣を背負った、冒険者ギルドのベテラン剣士・マーシャル。

もう一人は、白髪を夜風に揺らし、無言で使い込まれた巨大な庖丁を携える老人・シノギ中佐。


彼らに共通しているのは、この世界において「魔法適性が完全にゼロ」であるということ。そしてその代償として、神から「生体力学的なリミッターの解除」という、物理的極限の肉体と技を与えられた「正統派の強者」であることだった。


「手合わせ願おうか、中佐」


マーシャルが背中の大剣を引き抜き、獰猛な笑みを浮かべて重心を下げる。極厚の鋼が月光を浴びて鈍く輝いた。


「……肉を捌くのと同じだ。無駄なく、迅速に」


シノギはただ低く応え、静かに巨大な庖丁を構えた。その(たたず)まいには、一切の隙がない。


静寂が極点に達した瞬間、マーシャルが地を蹴った。


魔力による身体強化など一切ない。しかし、リミッターを外された肉体から放たれる爆発的な踏み込みは、硬質な大地を蜘蛛の巣状に叩き割った。


マーシャルは大剣を片手で軽々とはためかせ、野性的な踏み込みからシノギの急所を狙う。超重量の鋼が引き起こす、凄まじい旋風。


チィィィィン――!!!


荒野の静寂を粉砕する、鋭い金属音が響き渡る。

シノギは一歩も退かず、大剣の軌道に対して巨大な庖丁の刃を極小の角度で合わせ、受け流していた。まともに受ければ鉄ごと潰される超重撃の力線を、刃を滑らせることで完全に無効化する。一ミリの狂いもない、達人の身のこなしだった。


「ほう、受け流すか!」


マーシャルは即座に大剣の慣性を制御し、野生的な直感で刃を切り返す。


対するシノギは、地面を滑るように後退してそれをかわすと、大剣が通り過ぎた刹那(せつな)の隙を見逃さず、瞬時にマーシャルの(ふところ)へと滑り込んだ。


「――〈蛇腹切り(ベローズカット)〉」


シノギの腕がブレ、残像と化した巨大な庖丁が不規則かつ滑らかな軌道を描いて閃く。


食材に交互に細かく斜めの切り込みを入れ、一つのつながった美しい蛇腹へと変える、極限の包丁さばき。それを生物に応用したその技は、マーシャルの強靭な肉体、その防具の継ぎ目や筋肉の繊維に沿って、抵抗を一切感じさせない速度で細無数の刃を滑り込ませていく。


マーシャルは全身の皮膚が粟立(あわだ)つのを感じた。


常人であれば、肉を蛇腹状にスライスされて戦闘不能になるその一瞬、彼は野生的な勘だけで大剣の分厚い刀身を盾のようにはためかせ、自らの前に回旋させた。


ガガガガガンッ!!!


無数の火花が闇夜に激しく散り、凄まじい摩擦熱が周囲の大気を焦がす。大剣の鋼に、シノギの庖丁が正確無比な点突で吸い込まれていく。


「たまらねえな……!これが『命を捌く』庖丁さばきか!」


マーシャルは力で押し込みながら、さらに獰猛に笑った。肉体の限界駆動に伴い、筋肉が爆発的な熱量を放ち始める。


「ならば、こいつは捌ききれるか!――〈脳天落とし〉!!」


マーシャルが大剣を両手で天高く掲げる。全身の筋肉がミシミシと音を立て、すべてのリミッターが完全に解放された。

重力加速度と、限界を超えた剛力。そのすべてを刀身の質量へと乗せ、垂直に振り下ろされる一撃。

それは魔力による光などではない。純粋なスイングスピードと剛力が、空気分子を極限まで圧縮・摩擦させた物理的発光を伴う、絶対的な「垂直両断」だった。


大気が悲鳴を上げる。


シノギの瞳が細められた。正面から受ければ、いかに衝撃を逃がそうとも庖丁ごと肉体を粉砕される。


シノギは滑らかに上体を逸らし、極限の柔軟性で重力を無視するように地を転がった。大剣が地面に激突した瞬間、荒野が爆発したかのように土煙が舞い上がり、足元の硬質な岩盤が叩き割られる。


その砂塵を割って、体勢を崩したはずのシノギの巨大な庖丁が、死角から鋭く突き上げられた。


マーシャルの喉元を正確に射抜く、無慈悲な刺突。


だが、マーシャルは大剣の柄尻(ポンメル)を力任せに叩きつけ、その刃先を強引に弾き落とした。


バキィッ!!!


荒野に凄まじい突風が走り、二人の影は弾かれるようにして距離を取った。


月光の下、大剣を両手で構え直すマーシャル。


そして、巨大な庖丁を逆手に持ち替え、静かに呼吸を整えるシノギ。


お互いの刃には、一ミリの欠けも、刃こぼれも存在しない。


ただ、切り裂かれた大気の熱だけが、二人の間を陽炎(かげろう)のように揺らしていた。


「……さすがだな、中佐。俺の大剣が、一度もお前の肉に届かねえ」


マーシャルは肩で息をしながら、心底楽しそうに笑った。


「……見事な剛剣だ。食材であれば、余分な肉汁(ドリップ)すら流さずに一瞬で塵になる」


シノギは庖丁を無言で引き、その凶悪な刃をスッと静かに(さや)へと収めた。


魔力なき強者たちによる、刹那の極限。


そこには、奇跡に頼らぬ純粋な物理法則と、命を懸けて鍛え上げられた技術だけが存在していた。

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