【第弐拾壱話】まぁ少年、ボクの料理をご覧あれ。
トルスタン王を退けサパニヤ王国を解放したフォグたちは、歓喜に湧く民衆から王国の過去を聞かされる。かつてトルスタンは圧倒的な近代火力による「電撃戦」と「斬首攻撃」で王城を陥落させ、恐怖で民を支配していたのだった。敵が地球の兵器を投影できる「軍事」属性の同業者だと確信したフォグは、逃亡した狂気の王を分子レベルまで解体すべく、次なる追撃戦へ向けて執念を燃やす。
圧倒的な1350トンの質量兵器が逸らされ、独裁者トルスタンが未知の戦闘機で空の彼方へ逃亡した王都サパニヤの中央広場。民衆たちが解放の歓喜に沸く中、限界を迎えてキャラメルの膝枕で休息していたフォグの頭上から、酷く気だるげな声が降ってきた。
「あー……終わった終わった。ねぇ少年、ボクはもう限界だよぉ。血中のグルコース濃度が急降下して、細胞内のATP産生がストップしそう。要するに、お腹ペコペコだ」
白衣のポケットに手を突っ込み、大きな欠伸を噛み殺すキャラメル。その言葉を聞きつけた初老の男が、泥にまみれた顔に感謝の涙を浮かべながら進み出た。
「小さな英雄様、そして白衣のお姉様! 我々を恐怖から救ってくださった御恩、せめてものお礼に、この国で一番の料理を振る舞わせてください!」「おお! 俺たちが総出で最高の肉と野菜を焼き上げるぞ!」
民衆たちが活気を取り戻し、広場のあちこちで炊き出しの準備が始まる。
「料理? いいねぇ、ボクも手伝うよ」
キャラメルはふにゃりと笑い、フォグの頭をそっと下ろして立ち上がった。
「アミノ酸と還元糖の加熱によるメイラード反応を最適化して、最高のエントロピーを生み出してあげる」
「わたしも手伝うっ! お姉ちゃんのお料理、手伝うー!胡桃でいーっぱい美味しくするの!」
スクワールもふさふさの尻尾を揺らしながら、意気揚々とキャラメルの隣に並んだ。数十分後。広場の一角に設けられた特設キッチンでは、異次元の光景が繰り広げられていた。
「まずはタンパク質のペプチド結合を効率よく切断するために、この特製酵素と……pHを極限まで下げるねぇ」
キャラメルが白衣から取り出した怪しげなビーカーから、発光する紫色の液体を鍋に注ぎ込む。
「そしたら次はわたしの番だね! 〈掌状の殻檻・粉砕型〉!」
スクワールが植物魔法で生成した巨大なクルミの殻が、鍋の中の食材を無慈悲にミンチ状にすり潰していく。
「よしよし。最後に粘度を高めて、不可逆的なゲル化を促進させれば……完成だよぉ!」
鍋の中から立ち上るのは、香ばしい匂いではなく、鼻腔を突き刺す強烈な刺激臭。そして、ボコボコと不気味な音を立てて蠢く、漆黒と蛍光グリーンが混ざり合った『暗黒物質』であった。
「さぁ、召し上がれ! 脂質と糖分を直接線維芽細胞に叩き込む、『完全栄養食・超高密度ペプチド・スライム』だよぉ!」
広場は、先ほどのトルスタン襲来時とは全く別の、純粋な『恐怖』による静寂に包まれていた。
「ひ、ひぃぃっ!?」 「お、王の大量破壊兵器より恐ろしい毒物だぁっ……! 触れたら溶けちまうぞ!」
過酷な労働と恐怖政治を生き抜いた民衆たちが、顔を青ざめさせて後ずさりする。
「おい馬鹿野郎!! 国を救った直後に、その国の民を無差別バイオテロで全滅させる気か!!」
マーシャルが大剣を放り出し、全力でツッコミを入れた。
「えー? 栄養価は完璧で、カロリー摂取効率も最高なのにぃ」
不満げに頬を膨らませるキャラメル。少し離れた場所で、軍服の襟を正したフォグは冷徹な三白眼でその『物体』を凝視していた。
「……狂気だな。兵站を支えるレーションに求められるのは、保存性とカロリー密度の高さ、そして士気を維持するための可食性だ。だが、あれは……どう見てもCBRN兵器の生成プロセスにしか見えん」
しかし、フォグの瞳には徐々に爛々とした狂気が宿り、幼い顔を悪魔のように歪ませて笑い始めた。
「フハハハハ! トルスタンの1350トンの質量兵器すら耐え抜いた愚民どもが、たかが一皿の有機化合物に震え上がるとはな! 圧倒的な視覚的恐怖で大衆の戦意を根こそぎ奪う……これぞ真の『心理的制圧』だ! 素晴らしいぞキャラメル、貴様の化学は戦術兵器として完璧な狂気を孕んでいる!!」
「少年、褒めてくれるのは嬉しいけど、これ普通にご飯だからね?」 絶望的な暗黒物質を前に狂喜する軍事ショタと、首を傾げるダウナー化学者。
サパニヤ王国の民衆は、独裁者から解放された直後、未発達な異世界に降り立った『最凶の二人』による新たな理不尽に、ただ震えることしかできなかった。
「……とはいえ、兵站を軽視した軍隊は例外なく摩耗し自滅する。貴様の生成したそれは無差別殺傷兵器としては一流だが、糧食としては三流以下だ、キャラメル」
料理を貶しながら狂喜の笑みを収めたフォグは、軍服の袖をまくり上げ、冷徹な三白眼で特設キッチンへと歩み寄った。
「大衆の士気を極限まで高め、かつ兵員のビタミンB1欠乏による脚気を防ぎ、完全な栄養バランスと保存性を両立させた『軍事兵站の最高傑作』。私が直々に教導してやろう」
フォグが前頭葉に魔力を練り上げる。
「『軍事』属性、位相展開――〈野戦炊事車〉及び〈究極兵站食・海軍カレー〉!」
フォグの魔力演算により実体化したのは、無骨な鉄製の大型調理設備。そして、そこから漂い始めたのは、キャラメルの暗黒物質とは対極にある、食欲を暴力的なまでに刺激する強烈なスパイスの香りだった。
「こ、この匂いは……っ!」
マーシャルが大剣を置き、鼻を激しくヒクつかせてゴクリと唾を飲み込む。
「お兄ちゃん、これなぁに!? すっごくいい匂いでお腹がぎゅるぎゅる鳴るよぉ!」
ふさふさの尻尾をパタパタと振り乱すスクワールに対し、フォグは不敵な笑みを浮かべて大鍋をかき混ぜる。
「かつて私のいた世界で、海を征く艦隊の乗組員たちに提供された完全食『海軍カレー』だ。小麦粉と牛脂を炒めてルーを作り、肉と野菜を煮込む。曜日感覚を失いがちな洋上において、決まった曜日にこれを提供することで兵士の体内時計をリセットする役割すら担っていた『時間的・心理的統制兵器』でもある」
鍋からよそわれた、とろみのある褐色のルーと白いライスの完璧なコントラスト。 キャラメルはだるそうな目をわずかに見開き、その皿を覗き込んだ。
「へぇ……。小麦粉とアミノ酸の加熱による完璧なメイラード反応。ターメリックやクミンといった香辛料に含まれるカプサイシンやクルクミンが、交感神経を適度に刺激して消化酵素の分泌を強制的に引き上げているねぇ。脂溶性の旨味成分が乳化して極限まで抽出されてる。少年、これは化学合成としても芸術点が高いよぉ」
「当然だ。さぁ、愚民ども。食ってみろ」
恐る恐る、民衆の一人がスプーンでカレーを口に運ぶ。 次の瞬間、その男の目から滝のような涙が溢れ出した。
「う、う、うおおおおおッ!? 旨い! なんだこれは!? 口の中で辛さと甘さが爆発して、噛み締めるたびに肉の旨味が脳髄を殴りつけてくる!!」
「おい、俺にも食わせろ!」 「わたしも! あむっ……ふぁああ! 辛いけど、おいしーっ!!」
マーシャルもスクワールも、そして過酷な強制労働で感情を失い、学習性無力感に支配されていたはずのサパニヤの民衆たちも、一心不乱に海軍カレーを喉に流し込んでいく。その光景を見下ろしながら、フォグは鍋の前に立ち、軍服の襟を正してクックックッと低く笑い始めた。
「……素晴らしい。これだ、これこそが完璧な『餌』だ。極度の飢餓状態にある有機体に対し、至高のカロリーと強烈なスパイスの刺激を与え、報酬系のドーパミンを強制分泌させる……!」
フォグの瞳が、再び爛々とした狂気に染まり、幼い顔を地獄の悪魔のように歪ませる。
「見ろキャラメル! あいつらはもう、この『海軍カレー』なしでは生きられない身体になりつつある! 兵の胃袋を完全に掌握すること……それすなわち、魂の独占に他ならない! ハハハハハ! 喰らえ愚民ども! その舌に刻み込まれた快楽の対価として、貴様らの忠誠と命を我が軍事機構の使い捨ての歯車として捧げるがいい!! これぞ究極の『兵站支配』だァッ!!」
美味しいカレーを振る舞って国を救っただけなのに、なぜか民衆を洗脳して自らの狂気的な軍隊に染め上げる野望を嬉々として語る小さな参謀。しかし洗脳目的よりかは、皆が嬉々としていることに対してウキウキしている様子だった。
・グルコース
ブドウ糖とも。人間や多くの生き物が生きるためのもっとも基本のエネルギー源であり、血液中の濃度は血糖値と呼ばれ、食事やホルモンで一定に保たれている。
・ATP
生物の体内でエネルギーをやり取りするアデノシン三リン酸。生物のエネルギー源として働く。
・pH
水溶液の酸性やアルカリ性の度合いを示す水素イオン濃度指数。
・ゲル化
液体の中に溶けている高分子や粒子が網目状の構造をつくり、全体として流動性を失ってゼリー状や固体状に変化する現象。
・ダークマター
光を出さず、他の電磁波でも観測できないのに「重力」だけを持つ、宇宙空間に満ちているとされる仮説上の物質。
・ペプチド
アミノ酸が複数つながった分子の総称であり、ジペプチドやトリペプチドなどの種類がある。タンパク質よりも小さいため、体へ素早く吸収されるのが特徴。
・CBRN
化学(Chemical)、生物(Biological)、放射性物質(Radiological)、核(Nuclear)の4つの頭文字をとった言葉。
・フィールドキッチン
屋外で調理を行うための移動式調理設備。
・海軍カレー
明治時代の旧日本海軍のレシピをルーツに持ち、栄養バランスが良く、曜日感覚を失わないよう金曜日に提供される伝統料理。
・クルクミン
ウコンの根に含まれる黄色のポリフェノールで、抗酸化作用や肝機能のサポート、二日酔い対策などの健康効果が期待される成分。カレーの黄色い色のもとでもある。
・報酬系
快感や満足感、意欲を生み出して特定の行動を強める脳の神経回路のこと。




