【第弐話】やぁ少年、ボクは空腹なんだが。
第弐話です!第壱話で中世都市の防衛線をボロクソに切り捨てた二人が、いよいよ異世界の城門へ到達します。お楽しみください!
※作中に登場する化学・軍事用語などの専門用語は【後書き】で詳しく解説しています。専門知識ゼロでもサクサク読めますので、ぜひ最後までお付き合いください!
標高差百メートルほどの小高い丘。足元を覆う苔類やシダの湿った感触から解き放たれ、眼下に広がる街並みを見下ろす高台へと立ち出でる。
「……はぁ、お腹減ったねぇ」
キャラメルは、白衣のポケットに突っ込んだ両手で布地を内側から引っ張りながら、大きく顎を引いて深々と欠伸を噛み殺した。肩先で不揃いに跳ねる茶髪のショートウルフには、森を抜ける際に引っ掛けた落葉の破片や細い小枝がいくつか引っかかったままだ。
「ここに来てから何も口にしてないし、研究室のドラフト横で保温紙コップに入れたまま放置してきたブラックコーヒーと、未開封の栄養食ブロックが恋しいよぉ……。脂質と糖分を直接線維芽細胞に叩き込みたいなぁ」
隣に立つフォグは、ソ連風の重厚なダブルブレスト・オーバーコートの真鍮ボタンをカチリと鳴らし、腕を組んだまま街を見下ろしている。その視線は、熱源や脅威度を機械的に測定する光学センサーのように冷徹だった。
「生体エネルギーの枯渇による機動カの低下か。兵站管理を軽視した軍隊は例外なく摩耗・自滅する。栄養摂取の必然性を生理学的観点から理解している姿勢だけは評価してやろう」
「褒められた気が全然しないねぇ。ボクの主食は純粋な炭水化物と電解質、それにカフェインという名の有能なアゴニストなんだから、軍隊の過熱殺菌レーションと一緒にしないでほしいな」
キャラメルはだるそうに頸椎を回すと、ふとフォグの頭に目をやった。
「……ん、少年。髪に葉っぱついてるよぁ」
「ぬ……っ!? 触るな!」
キャラメルが大きな手でフォグのつむじのあたりを雑に撫で回し、ついでにふんわりとした髪をくしゃくしゃと揉みほぐす。フォグは猫のように身体を強張らせ、頬を朱に染めながら必死にその手を振り払おうとした。
「よしよし、取れた取れた。少年って髪の毛柔らかくて気持ちいいよねぇ」
「戯け! 私は歩兵兵力を束ねる参謀にして戦術家だ! 動物のように頭を撫で回すな!」
「はいはい、わかったから怒らないの。可愛いお顔が台無しだよぉ」
「かわッ……愚か者が!」
フォグはプイッと横を向くと、乱れた前髪を必死に手ぐしで整えながら重厚なコートの襟をグッと引っ張り上げて口元を隠した。だが、耳の先端まで真っ赤になっているのは隠しきれていない。
キャラメルはだるそうな笑みを浮かべつつ、空を仰いだ。
「それより少年、さっきから街の全景じゃなくて、空の特定座標ばかり注視してない?」
フォグは二つの黄白色の月を見上げたまま、赤みを残した顔のままツンと答える。
「月が二つ存在する以上、潮汐力、重力場、および地軸の摂動パラメータは地球の数式体系と乖離する。潮汐摩擦による自転減速比率や大気循環の流体力学モデルが崩壊しているはずだ。……砲弾の弾道計算におけるコリオリ力の補正係数が完全に狂う」
「うん」
「聞いているのか、貴様」
「全然。ボクの脳細胞はいま、低血糖症によるシグナル伝達の遅延で絶賛ストライキ中なんだよねぇ」
フォグは黒い三白眼をわずかに細め、吐息とともに呆れを含んだ言葉を零す。
「低血糖に伴う前頭葉の機能低下か。まったく、有機体生命の構造的脆弱性には呆れを禁じ得ん」
「そうそう、それ。だから早くあったかいスープでも呑んで熱力学的にエネルギーを回復させたいわけ」
「だが、その索敵能力も欠如した状態で不確定領域を踏破するのは、みすみす伏撃のターゲットになりにいく自殺行為だ」
「……少年、なんだかんだボクのこと心配してくれてる?」
「勘違いするな」
遮る間もない即答だった。
「動く歩兵レーダー兼・歩く戦闘力測定器が餓死されては、私の戦術演算テーブルに不要な変数が生じるだけだ」
「素直じゃないなぁ、少年」
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急勾配の坂を下り、踏み固められた硬質性の石畳街道へ合流すること十数分。
二人の前に、巨大な灰色の城壁が圧倒的な質量感をもって立ち塞がった。
高さ二十メートルを超すかという、無骨な石造建築。隙間なく積まれた石材の表面には荒々しい削り痕が残り、門の両脇には鈍い光沢を放つ胸甲と鉄兜を身に纏い、三メートル超の長柄槍を垂直に掲げた兵士たちが並んでいる。
キャラメルのだるそうな視線が、石壁の継ぎ目と表面処理へと向けられた。
「へぇ……なかなか高密度な建造物だねぇ。あの石材、表面の結晶構造からして花崗岩っぽいけど、どうやってあの切削面と平面度を出したんだろ。まさか人力で研磨剤擦り付けたわけじゃないよね」
「笑止」
フォグは鼻で嘲笑するように吐き捨てた。
「構造物の質量だけに頼り切った、典型的な防衛思想の敗北だ」
「また始まったよ」
「壁面の上部に不完全な胸壁は見受けられるが、側防の概念が欠落している。これでは交叉射撃によるキルゾーンが成立しない。登攀アタッチメントを許した時点で内線防衛陣地として完全に機能不全へ陥る」
「へぇ」
「門前にはバリケードもシュヴァル・デ・フリーズすらも設置されておらず、攻城部隊の接近アプローチを物理的に制限できていない」
「へぇ」
「空堀の深度および傾斜角も甘い。殺傷力ゼロの単なる凹凸だ」
「へぇ」
「本格的な重攻城兵器どころか、簡易な破城槌ひとつを持ち込めば、一時間足らずで構造破壊と強行突破が可能だな」
へぇのワン・ツー・スリーコンボをきめる。
キャラメルはくすりと笑い、フォグの小さな肩に肘をぽんと載せて体重をあずけた。
「うおっ……!? 何をする、重い!」
「少年~、ボクはもう歩く気力すら湧かないよぉ。肩借りてもいい?」
「断る! 私は貴様の肘置きではない! 離れろ!」
ジタバタと肩を揺らして逃れようとするフォグだったが、キャラメルはニヤニヤしながらその小さな頭を顎でぐりぐりと押さえつける。
(……本当にこの少年、頭の中が硝煙と作戦図と幾何学構造で埋め尽くされてるんだなぁ。こんなに小さくて柔らかくて可愛いのに)
「少年」
「何だ、早くその腕を退けろ!」
「ボクたち、まだ市街地に立ち入ってすらないんだけど?」
「未知の敵性拠点へアプローチする以上、弱点の割り出しと攻略手順の策定は作戦の基本中の基本だ」
「侵入じゃなくて観光と食事のつもりなんだけどなぁ……。ボクはただ、やわらかい肉の入った煮込み料理を食べたいだけだよ」
「能天気に神や平和に祈りを捧げて作られた防壁など、ただの『準備された火葬場』だ。前線で命を繋ぐのは見えぬ神の奇跡ではなく、正確な計算と整備された火薬の精度だけだからな。精神論や神への祈りで防波堤が固くなるなら、我が軍はとっくに世界を征服している」
「はいはい、相変わらず夢がないねぇ。奇跡が起きて守られるかもしれないじゃないか」
「神が人に理性を与えたのだとしたら、それは祈るためではない。運命という名の理不尽を、論理と火力で叩き潰すためだ。信仰という名の思考放棄に溺れる愚者どもに過酷な現実を叩き込むのは、合理主義者たる私の『義務』だよ」
「ミリタリズムは人類の生存闘争の歴史そのものだ。技術革新と極限のリアリズムが結実した美学と言ってもいい」
「急にポエマーみたいなこと言いださなくていいからね、少年」
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二人がアーチ状の大城門へ近付くと、甲冑の擦れ合う不快な金属音とともに、見張り兵が長柄槍の穂先を交叉させて進路を塞いだ。
「──────!?」
腹底から響くような怒声。鼓膜を叩くのは、地球上のいかなる言語体系とも重ならない未知の音韻構造だった。
「日本語でも英語でも、ボクの知ってる論文の言語でもないねぇ」
兵士が焦燥感を露わにし、槍の柄を握り直して威嚇するように数センチ突き出してきた。
キャラメルは恐怖するどころか、退屈そうに兵士の口唇の動きと喉の収縮を注視する。
「音節の結合様式が地球の言語と根本的に乖離してるねぇ。母音のフォルマント周波数が異様に低いし、子音の摩擦音が多すぎるよ」
「屈折語の一種か。あるいは膠着語特有の文末変化か……」
フォグも冷静に観察へと回る。その三白眼は、まるで解剖台の上に載せられた実験動物の組織を検分するかのように冷ややかだ。
「いずれにせよ、地球上の主要言語データベースのどれとも一致しない。異世界固有の音声言語か」
兵士たちは、自分たちの威嚇に対して全く動揺を見せず、あまつさえ品定めするようにじろじろと観察してくる二人の異様な不遜さに困惑したようだ。一人が後ろへ合図を送ると、門の陰から重厚な足音とともに、体躯の巨大な兵士が三人、援軍として現れた。
その瞬間、フォグの瞳の奥に爛々と、ゾッとするような狂的歓喜が宿った。
(ふむ……敵戦力の増強。だが配置と間合いの取り方が甘い。典型的な素人集団だ)
「正面、重装兵含めて四」
「……ん?」
「側面二。門の上に弓兵三」
「お願いだから危険度のアサインしないで?」
「死角は右側の荷車の陰。遮蔽物として利用可能」
「戦わないよ、少年?」
「主導権は常に脅威側が握るものだ」
フォグは重厚なコートのポケットの中で、静かに何かを握り直した。それは森で拾い集めた小枝と蔓の残骸だったが、彼の頭の中ではすでに殺傷能力を持つ即席兵器へと組み立てされていた。
「キャラメル」
「なんだい?」
「戦闘開始した場合、私は最優先で遠距離投射能力を持つ上部弓兵の無力化を行う」
「だから戦わないってば」
「無能な指揮官による防衛配置など、敵への最大の献身でしかない。敵意を向けた相手に人道主義を適用するほど、私は愚かではないぞ」
「物騒な格言吐かないの。ボクたちはただ平和に門を通りたいだけなんだからねぇ」
キャラメルは溜め息をつき、フォグの背後から両脇に手を差し入れると、ひょいっと抱き上げかけるようにしてその身体を後ろへ引き戻した。
「うわっ……!? な、何をする貴様!」
「門番四名はミリセカンド単位の精密動作により二十秒以内で無力化可能――って言わせないよ。暴れないの」
「放せ! 拘束するな! 作戦行動の障害になる!」
「しないよ。強行突破もダメ」
「……チッ、無駄な交渉だな」
「舌打ちしないの」
キャラメルに後ろからすっぽりと抱きすくめられ、足をバタバタとさせながら抗議するフォグ。だが、そのフォグの全身から放射される針のように鋭いピリついた殺気だけは本物だったのか、兵士たちが肌を刺す緊迫感に固まり、武器の手元を震わせる。
その破裂寸前だった硬直状態を打ち破るように、一人の少女が石畳を蹴って駆け寄ってきた。
「お待ちください!」
栗色の美しいロングヘアを風になびかせ、腕の中には溢れんばかりの分厚い羊皮紙の古書を抱えた十四歳ほどの少女。知性と気品を纏った彼女は、兵士たちへ向けて必死の形相で何かをまくし立てた。
兵士たちは顔を見合わせると、渋々といった様子で緊張を解き、槍の穂先を地面へと向けた。
少女はほっと安堵の胸を撫で下ろし、二人のほうへ振り返る。
「大丈夫でしたか? 怪我はありませんか?」
「……え?」
キャラメルはフォグを抱っこした体勢のまま、丸く見開いた目をパチパチとさせた。
「言葉が聞こえる。さっきまで記号的な音波の振動にしか聞こえなかったのに」
少女は不思議そうに小首を傾げた。
「え……?どういうことですか……?」
フォグはキャラメルの腕の中で暴れるのを止め、目が鋭く細められた。先ほどまでの戦闘モードから一転、未知の不可解な事象に対する探求モードへと一瞬で思考をシフトさせる。
「興味深い。音波の周波数や気体振動の物理特性そのものが変換されたわけではないな」
「概念伝達……? 音声情報が聴覚神経を経由した後、脳内の言語中枢で直接意味論的データに再構築されてる?」
キャラメルもフォグを抱っこしたまま顎に手を当て、だるそうな脱力感を消し去り、完全な研究者の顔つきになる。
「認知科学的な錯覚現象か、それともこの空間を満たす未知のエントロピー場による意味情報の自動翻訳補完プロトコル?」
さっきまでの無気力さや物騒な殺伐感はどこへやら、二人は狂気的な探求心に満ちた熱い眼差しで、一斉に少女をじっと見つめた。
「「――面白い」」
「ひっ……!?」
抱っこされたまま鋭い眼光を向けてくる少年と、だるそうにそれを抱えながら怪しい笑顔を浮かべるお姉さん。その人間離れした観察眼と異様なプレッシャーに気圧され、少女は恐怖のあまり本を抱えたまま後ずさった。
(な、なに……この人たち……!何言ってるかわかんない!!こ、こわ! 絶対に……普通じゃない……!)
・線維芽細胞
皮膚の真皮などに存在する細胞で、コラーゲンやエラスチン、ヒアルロン酸を作り出す。カフェインなどに対してポジティブな保護作用とネガティブな抑制作用の両面を持っている。
・兵站
前線の戦闘部隊を後ろから支えるための補給、輸送、整備・医療などの活動や施設の総称。
・レーション
軍隊で兵員に配給される野戦糧食。
・コリオリカの力
自転する地球のような回転座標系で移動する物体に働く「見かけの力」。北半球では進行方向に対して「右向き」、南半球では「左向き」に力が働き、気流や海流など大規模な運動の軌道を曲げる要因となる。
登攀
・険しい岩壁や氷雪壁を、両手足や専用の用具を使ってよじ登る行為。
・シュヴァル・デ・フリーズ
軍事防衛用障害物。
・バタリングラム
城門や城壁を破壊・突破するための古代から中世にかけて使われた攻城兵器。
・フォルマント周波数
音声の周波数スペクトル(音を成分ごとに分解したもの)において、周囲に比べてエネルギーが強くなっている特定のピーク(山)の周波数
・屈折語
語尾の変化や語幹そのものの変形によって、単語の文法的な機能や意味(格・時制・人称など)を表す言語。
・膠着語
語幹(ベースとなる語)に、特定の意味や文法機能を持つ「接辞」を次々と貼り付けることで言葉を作る言語。




