【第壱話】やぁ少年、初めまして。
「ねぇ少年、ボクたちの異世界無双が始まるみたいだよ~」
「黙れ。まずはこの無防衛な前書き文を解体して防衛陣地を構築する」
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※作中に登場する化学・軍事用語などの専門用語は【後書き】で詳しく解説しています。専門知識ゼロでもサクサク読めますので、ぜひ最後までお付き合いください!
「……ん」
深い森の中。草木が鬱蒼と生い茂り、植物特有の青臭い葉緑素の匂いが鼻腔を突く。
樹木の隙間から覗く完璧とはいえない拙い木漏れ日が、足元の腐葉土を微かに照らしていた。
見上げれば、二又に分かれた大木の頭上に満月が浮かんでいる。……しかも、ふたつ。
異質な黄白色の光を放つ双月が、夜空ではなく昼間のような青空にぼんやりと居座っているのだ。
遠くからは鳥類や昆虫と思われる、地球の分類学には存在しないおどろおどろしい鳴き声が木霊していた。
ボサボサの茶髪ショートウルフに、くたびれた白衣――ドクターコートを身に着けた女が大きな欠伸を噛み殺す。
「……あー、なるほど。これが噂に聞く異世界転生ってやつ? さっきまで大学の研究室でドラフトチャンバーに向かってたはずなんだけどなぁ、ボク。本当にあるもんなんだねぇ」
普通、本当に異世界転生をしたとなれば、取り乱したり焦燥感を抱くのが一般的だろう。しかしこの女はやけに冷静に飄々とした態度で、置かれた状況を理解したとでもいうように怠惰にポケットへ深く手を突っ込み、小さく息を吐き出した。
女は近くにあった巨木に、気怠そうによいしょと言いながら背中を預ける。ポケットに入っていた黒色のスマホを取り出し電源をつけるが、当然ながら圏外の表示すら怪しく、基地局との電波が繋がる気配はない。
「熱力学第二法則を無視したような謎のエントロピー……大気に漂う不活性ガス以外の何か……うーん、どうしたもんかなぁ」
そうひっそりと呟く。そして数分間じっと双月を見つめた後、なにかを決したのかゆっくりと立ち上がり、猫のように背伸びをした。
「まぁ、歩くしかないよねぇ。このままここでくつろいでても、代謝が落ちて飢え死にするだけだし」
重い腰を上げ、億劫そうに足を一歩踏み出そうとした。
――その時だった。
「停止しろ。その場から動くな」
鋭く澄んだ、だが異様なまでに冷徹な声が森に響き渡る。
声のした方に視線をやると、生い茂ったシダ植物をかき分けながら幼い少年が現れた。年齢は10歳そこそこだろうか。可愛らしい顔立ちに似つかわしくない、底知れない狂気を秘めたどす黒い三白眼に、ふんわりとしたマッシュショート。
着ている衣服も異様だった。膝丈まである重厚なシルエット、大きめの襟、深めのダブルブレト。旧ソ連の外套――オーバーコートを思わせる、軍事色の濃い重厚な装い。
少年は手にした鉛筆くらいの太さの小枝で、女の足元を鋭く指さす。
「あと一歩踏み出せば、足元に張られた蔓製の張線が引かれ、頭上の枝から削られた竹槍状の木杭が落下してくる。ベトナム戦争時のパンジ・スティック型ブービートラップを参考に、我がお手製で構築した殺傷陣地だ。無駄を踏み抜いて作動させるんじゃないぞ、髪ボサボサ女」
「うわぁ。危ないな~、もう」
言われて見下ろすと、確かに地面スレスレに絶妙なテンションで張られた蔓植物。女は呆れを通り越して感心しながら、授業中眠そうな生徒のように怠そうに片手を挙げる。
「やぁ少年。こんな森林のど真ん中で、えぐい自由研究でもしてるのかい?」
あまりにも飄々とした態度で返答されたことが予想外だったのか、少年は少し呆気にとられたように眉をひそめ、すぐに冷酷な表情に戻って言い放つ。
「自由研究だと? 愚問にもほどがあるぞ貴様。敵性勢力の有無も把握できていない以上、周囲の索敵と簡易防衛陣地の構築は戦術における基礎中の基礎だ。……貴様、足音の消し方も歩幅の制御も知らないビギナー中のビギナーだな?」
少年はチッと不機嫌そうに舌打ちすると、警戒を解かない鋭い眼光のまま、女のドクターコートや様子を品定めするように観察し始めた。
「なんだ?貴様は医者か科学者が何か?」
「少年こそ、その軍服はコスプレかい?」
少年は微かに風船ガムのように頬を膨らます。
「貴様……もしかしてだが『あの世界』から来た口か?」
「あー……やっぱり。少年も転生者ってやつ? ボクの名前は、す……」
途中で言いかけて、女はスンッと口を閉ざした。そして顎に手を置き、思案するような素振りを見せる。
「ねぇ少年、ボク憧れがあってね。せっかく異世界に来たんだから、和人みたいなダサい本名じゃなくて、かっこいいカタカナ系の名前にしたくてね。そうだなぁ……キャラメル・メイラード! ボクの名前はキャラメル・メイラード! どうだい、かっこかわいいだろ少年!」
目をキラキラと輝かせながら少年を見つめる。
「……は?」
少年は、まるで未知の汚物を見るかのような冷ややかな目で見つめえ返してきた。
「キャラメル……メイラードだと? 貴様、アミノ酸と還元糖を加熱した際に生じる非酵素的褐変反応をコードネームにしているのか? どんなネーミングセンスをしているんだ、貴様は」
「あ、知ってるんだ。さすが軍事少年、知識が偏ってて物知りだねぇ。でもほら、かっこかわいいでしょ? 『キャラメルちゃん』って呼んでくれてもいいんだよ、少年」
「断る。虫唾が走る」
一蹴された。まったくつれない少年である。
「……まぁいい。私のコードネームはフォグ・コラテラル。付随被害のコラテラルだ。元の本名は捨てた」
「ふ~ん、よろしく少年」
「名前で呼べ。……ともかく、私もこれ以上、補給もC4ISRもない森に潜伏し続けるのは悪手だと判断したところだ。仕掛けたトラップを回収したら移動を開始する。足手まといになるなよ、キャラメル……ちゃん」
「あ、なんだかんだ『ちゃん』付けで呼んでくれるんだ。優しいねぇ、少年」
「黙れ。舌を切り落とすぞ。次からは呼び捨てだ」
そう吐き捨てるフォグの頬が、ほんの少しだけ朱に染まっているような気がした。
こうして、怠惰な研究者キャラメルと、物騒な軍事少年フォグの奇妙な異世界探索が始まった。
――森林を抜けること小一時間。
樹木が開けた小高い丘に立つと、眼下に広大な街が見えてきた。
高く聳え立つ石造りの城壁。その内側にひしめき合う、赤レンガの屋根と木造の家屋。石畳の街道を行き交う、馬車や中世風の衣服を着た人々。まさにファンタジー作品でお馴染みの「中世ヨーロッパ風の街並み」であった。
「へぇ……結構大きな街だねぇ。なんとか温かいスープとふかふかの寝床も見つけられそうだ」
キャラメルがドクターコートのポケットに手を突っ込み、呑気に欠伸をかましていると、隣に立つフォグは街を見下ろしたまま、ハッと鼻で笑った。
「呆れたな。笑止千万。まるで児戯だ」
「ん?」
フォグは冷酷なまでに研ぎ澄まされた瞳で街を凝視し、ゾッとするほど美しい、瘴気を放つ歪んだ笑みを浮かべた。
「見ろ、あの城壁の垂直構造。火砲や高射砲の概念がないのか、斜角の計算も死角の潰し込みも甘すぎる。ヴォーバン様式の星形要塞どころか、稜堡すら配置されていない。投石器数台と簡易的な硝薬さえあれば一晩で崩落させられるレベルだ」
「あーはいはい。少年、軍事オタクのスイッチでも入っちゃったかい?」
キャラメルの呆れ顔を無視して、フォグは畳みかけるように分析を続ける。
「それだけではない。主要街道のアクセス、防衛線のキルゾーン形成、補給ルートの脆弱さ……どれをとっても中世の陣列歩兵レベルの無能が集約されている」
「はいはい、分かった分かったって」
キャラメルはやれやれと肩をすくめたが、フォグの反応は違っていた。
フォグはゆっくりと頭を抱え、自身の額を爪が食い込むほど強く押しつけると、喉の奥から軋むような声を漏らした。
「……あは、あははははッ! 虫唾が走るよ、キャラメル……ッ!!」
「……ん?」
「何だこの無防衛な街は……! 誰に対する防衛だ!? 誰を守るための城壁だ!? 設計者の怠惰と無知が、この空間全体に嘔吐物みたいに撒き散らされている……ッ! 兵器と戦術に対する冒涜だ!!防壁とは敵の進撃を止めるための建造物だ。だが見ろ、あの歪な構造を……あれはただの『標的を囲い込むための檻』に過ぎない。中世の怠惰な設計者どもは、住民の命を保護するどころか、自ら焼殺陣地を用意してやったわけだ!」
フォグはバッと腕を広げ、どす黒い三白眼をギリギリまで見開いた。その瞳には狂気的な熱量が爛々と宿り、幼い顔立ちを醜悪なまでに歪ませて笑う。
「見ろよこの美しい無能の結晶を! 門を爆破し、南北の補給路を断ち、水源に毒を撒いてやれば……なぁキャラメル、この中にいる愚民どもはたった一週間で共食いを始めるぞ!? 悲鳴と爆煙と硝煙で、このお粗末な箱庭を地獄の業火で消毒してやれる……ッ!! ああ、なんて愛おしい『絶好の的』なんだ……フハハハハハハハハッ!!!兵法において最大の罪は、無知なまま安全だと錯覚することだ。あの街の住人どもは、自分たちが『準備された火葬場』の中で平和を享受していることにさえ気づいていない……あはハっ、実に滑稽じゃないか!」
「……うわぁ」
あまりのイカレっぷりと迫力に、キャラメルは心底ドン引きしながら数歩後ろへ後退した。
「物騒どころの騒ぎじゃないねぇ、少年……。ボクはただ、温かいスープを飲んで、ふかふかのベッドで眠りたいだけなんだけど……。ねぇ少年。もしかしてあの街の人たち、神様にお祈りとかして平和を守ってるつもりなのかなぁ?」
キャラメルが片手をポケットに手を突っ込んだまま、どこか面白がるように首を傾げる。もう片方の手は城壁に飾られた宗教チックなタペストリーを指さしている。フォグは冷酷そのものの眼差しで鼻を鳴らした。
「ハッ、神への祈りだと? くだらん。神の奇跡に期待する時間があるなら、防壁の斜角を一度でも計算し直すか、砲門の整備でもするべきだな。前線で兵士の命を繋ぐのは、見えぬ神の恩寵などではない。正確な弾道計算と、整備された火薬の精度だけだ」
「相変わらず夢がないねぇ。神様が奇跡を起こして守ってくれるかもしれないじゃないか」
「神が人に理性を与えたのだとしたら、それは祈るためではなく、運命という理不尽を論理で叩き潰すためだ。精神論で弾薬が充填され、祈りで防衛線が強化されるなら、私たちの故郷も、もっとマシだったはずだろう?」
フォグは吐き棄てるように言い放つと、どす黒い三白眼を細め、フッと冷ややかな笑みを浮かべた。
「信仰という名の妄想に溺れ、思考を放棄した無能どもに過酷な現実を教えてやる……それこそが、合理主義者たる私の『務め』というものだよ安心しろキャラメル。温かいスープなら、あの街を灰燼に帰した後にその残り火でいくらでも温めてやる。私はね、資材と命の無駄遣い以外には至極寛容な男なんだ」
中世の都市構造をボロクソに切り捨て、無差別大量破壊の妄想で悦に入る狂気の少年と、それに引き気味の溜息を吐くキャラメル。
異世界の歴史が大きく歪み始める最初の拠点が、目の前に迫っていた。
・クロロフィル(希:Chlorophyll)
葉緑素。植物や藻類などの光合成生物が持つ緑色の光合成色素。わずかに青臭さがあるが、体内で分解されると優れた消臭・脱臭作用を発揮する。
・マッドネス
狂気。精神異常。
・双月
作中のオリジナル用語。実は現実世界でも、地球の初期段階に「テイア」と呼ばれる火星サイズの天体が衝突した後に、2つの月が存在していた時期があったという説があります。
・ドクターコート
簡単にいえば白衣や診察衣のこと。清潔感や権威性を象徴するアイテムである他、汚れを防ぐ、聴診器などをツールの収納の役割を果たす。
・ドラフトチャンバー
化学実験や生物実験で発生する有害なガス・蒸気・粉塵を外部へ強制廃棄し、作業者への曝露の汚染を防ぐための局所排気装置。
・熱力学第二法則
熱の移動やエネルギー変化に方向性があることを示す基本法則。
・エントロピー
科学分野において、状況の複雑さや不確実性を表す指標。
・不活性ガス
他の物質とほとんど化学反応を起こさない安定した気体。窒素、アルゴン、ヘリウムなど。
・三白眼
まぶたを開いた際に、黒目がやや小さく、白目の割合が多いこと。
・ダブルブレスト
ジャケットやコートにおいて、ボタンが縦に二列配置されたデザイン。
・旧ソ連
ソビエト社会主義共和国連邦。1922~1991年まで存在。崩壊により、ロシア・ウクライナ・バルト三国・中央アジア諸国など15の独立国家に分裂した。
・外套
簡単にいえば「コート」。
・ベトナム戦争
1955年~1975年にかけて行われた、社会主義の北ベトナム(ソ連、中国支援)と資本主義の南ベトナム(アメリカ支援)による冷戦下の代理戦争。
・パンジ・スティック
先端を鋭く尖らせた竹や木の杭のこと。
・ブービートラップ
一見すると無害な日常品や遺棄された装備、自然物などに偽装して仕掛けられる、殺傷・妨害用の罠。
・簡易防衛陣地
戦時や災害時に身を守るため、土嚢や木材、土砂などの身近な材料を作って素早く作る、一時的な防御のための小さな拠点。
・メイラード反応
加熱されたアミノ酸と還元糖が結びつき、褐色物質を数百種類の香気成分を生み出す化学反応。
・非酵素的褐色反応
基本的に非酵素的褐変と呼ばれることが多い。酵素の働きを介さず、食品の加熱や貯蔵中に糖とアミノ酸などの成分が化学反応を起こして褐色に変化する現象。
・コラテラル・ダメージ
巻き添え被害のこと。
・C4ISR
指揮(Command)、統制(Control)、通信(Communication)、コンピュータ(Computer)、情報(Intelligence)、監視(Surveillance)、偵察(Reconnaissance)のこと。
・高射砲
迎撃や撃墜を主な目的とした火砲。
・ヴォーバン様式
17世紀のフランス軍事技術者ヴォーバンが発展させた築城方式であり、大砲の普及に対応するため、従来の城壁を低くし、死角をなくすよう星形に配置した。稜堡も星型要塞のこと。
・キルゾーン
主に軍事用語で待ち伏せや効果的な射撃によって敵を殲滅するために設定された殺傷地域。




