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【第拾漆話】さぁ少年、反逆の蜂起だ。

一時撤退を果たしたフォグたちは、サパニヤ王国の弱点が民衆の労働力にあると見抜き、都市全体の労働を停止させる「ゼネスト」を計画。奇妙な変装で王都へ潜入すると、フォグの巧みな演説によって民衆の闘志を解き放つ。化学強化された「ゲバ棒」を手に取った民衆とともに、一行は国家システムを麻痺させる決起の時を迎える。

決行の朝を迎えた貧民窟の隠れ家。 窓から差し込む薄暗い暁光(ぎょうこう)の中、フォグは軍服の重厚なボタンを留めながら、微かに息を荒くしていた。先日の魔力枯渇による急性症状のフラッシュバックか、交感神経が優位になり、心拍数が不規則に上昇している。


(……チッ、戦術的欠陥だ。前頭葉の演算処理に対する無意識の恐怖(ストレッサー)が、身体的挙動にノイズを生んでいる)


ギリッと奥歯を噛み締めたその時、背後からふわりと甘い匂いが包み込んだ。


「……んぐっ!?」


キャラメルが、だるそうな動作で背後からフォグの小さな体をすっぽりと抱きしめたのだ。身体が背中に押し当てられ、温かな体温が強制的に伝達されてくる。


「こら少年。筋肉が 緊張 (スティッフ)してるよぉ。自律神経(じりつしんけい)のバランスが崩れてるんじゃない? ボクが副交感神経を優位にして、リラックスさせてあげる」


「は、離れろキャラメル! 作戦行動直前の過度なスキンシップは、指揮官の威厳を著しく損なう……ッ!」


「いいからいいから。少年の脳細胞がまたオーバーヒートしないように、ボクが 冷却(クーリング) してあげてるんだからさ」


耳元で囁く気だるげな声と、優しく頭を撫でる大きな手。フォグの抗議の声は徐々に小さくなり、やがて諦めたように小さく息を吐いた。


(……悪くない。体温の伝導が、確かに心拍数を安定させている)


「……今回だけだ。私の 演算(プロセッシング)を信じろ。今度は魔力を過剰消費する面制圧ではなく、貴様の化学と連動した複合戦術(ふくごうせんじゅつ)でいく」


「うん、分かってるよ。ボクの物質量計算が、完璧にサポートするからねぇ」


シリアスな緊張感を甘い化学反応で溶かした二人は、不敵な笑みを交わし、隠れ家の扉を開けた。


――王都の中央広場。 太陽が完全に昇っても、巨大な石材を運ぶ民衆の姿はなかった。広場を埋め尽くす数百人の労働者たちは、一様に座り込み、一切の労働を放棄していた。


「おい貴様ら! 何をしている、早く石を運べ!」


兵士長が怒号を上げ、見せしめとして鞭を振り上げた瞬間。


「立ち上がれ、労働者(プロレタリアート)諸君!! 今こそ搾取の連鎖を断ち切る時だ!!」


広場の時計塔の上から、拡声器代わりのメガホンを持ったフォグの声が響き渡った。それを合図に、座り込んでいた民衆が一斉に立ち上がる。彼らの手には、キャラメルが細胞壁を強化し、鋼鉄並みの強度を与えた『強化ゲバ棒』が握られていた。


「構えろォッ!! 俺たちはもう、使い捨ての歯車じゃねえ!!」


マーシャルの怒号にも似た号令のもと、民衆たちは整然と並び、前方にゲバ棒を突き出す。かつて地球の古代ギリシャで用いられた 重装歩兵の密集陣形(ファランクス)だ。 強化ゲバ棒の圧倒的な剛性と、テコの原理を利用した集団の押し出しの前に、兵士たちは手も足も出ず次々と無力化されていく。


――王城のバルコニー。


「……これは、どういうことだ」


眼下の光景に、トルスタン王の優しげな仮面は完全に剥がれ落ち、額に青筋を浮かべていた。恐怖で支配していたはずの歯車たちが反逆している。


「サードハンド、ワンフィン。あのネズミどもを今すぐ 駆除しろ。広場を血の海にしてでも、労働を再開させるのだ」


「……あーあ。ストライキの鎮圧なんて、一番ダルい仕事じゃねえか」


「仕方ないさ。とっとと終わらせて美味い酒にしようぜ」


広場に現れた二人の特級刺客。 かつてなら彼らの登場だけで民衆は絶望し、ひれ伏していただろう。だが、今の彼らの瞳には、フォグによって点火された怒りのアドレナリンが燃えていた。


「下がれ、お前ら! ここは俺たち前衛の仕事だ!」


マーシャルが大剣を構え、民衆の盾となるように前に出る。サードハンドが深く煙草を吸い込み、ワンフィンがスキットルを構えようとしたその時。


「させないよぉ、おじさん」


広場に舞い降りたキャラメルが、白衣を(ひるがえ)して二人の前に立ち塞がった。その隣には、フォグが冷徹な視線を向けている。


「ガキ共、また来たのか。俺の〈 茶琥瑠(チャコール)濾過(・フィルター )〉の前じゃ、物理攻撃は無駄だと――」


「無知だねぇ。活性炭による物理吸着には『破過点(はかてん)』が存在するんだよ」


キャラメルが指を鳴らすと、サードハンドの周囲に高密度の『過熱水蒸気』が発生した。水分子による 毛管凝縮(もうかんぎょうしゅく)でフィルターの細孔(さいこう)が完全に飽和し、煙の緩衝材が一瞬で機能を停止する。


「チッ、ただの小賢しいガキじゃねえな。なら本気で行くぜ。ワンフィン、合わせろ!」 「ええ! 甘く見ないでよ! 〈飽和蒸気・永澄空(エバークリア)〉!」


ワンフィンがスキットルから液体を空中に散布する。それは瞬時に霧となり、広場を包み込む。


「それに俺の特製ブレンドを添えてやる。〈 苦艾酒(アブサン)受動喫煙(パッシブスモーキング)〉!」


サードハンドの煙が致死性の毒煙霧となって民衆たちに襲いかかった。


「少年、マズいよ! ツジョンによる強力な幻覚作用に加えて、一酸化炭素のヘモグロビンへの結合親和性は酸素の約250倍! このままじゃ全員の細胞呼吸が停止して全滅する!」


キャラメルが焦りの声を上げる。


だが、フォグの瞳には恐怖ではなく、爛々とした狂気が宿っていた。


「ハッ、毒ガス戦か! 素晴らしい! かつて私の世界にあった第一次世界大戦のイーペル戦線を彷彿とさせるな! だが三流ども、化学兵器の運用には気象条件の完全な掌握が不可欠だということを教えてやろう!」


フォグは悪魔のように微笑み、的確な指示を飛ばす。


「スクワール! 仰角45度で気流を起こせ!」


「う、うんっ! 〈胡桃(クルミ)風媒花 (ふうばいか)〉!」


スクワールが生み出した巨大な花が扇風機のように風を起こし、毒ガスを上空へ押し流そうとする。


「させねえよ! 〈三鞭酒(さんぴえんちゅう) 〉!」


ワンフィンがアルコールの炎で作られた鞭を振るい、葉を燃やそうと肉薄する。


「やらせるかァッ!!」


そこに割り込んだのはマーシャルだった。大剣を鈍器のように振るい、強引な物理的破壊力で炎の鞭を叩き散らす。


さらに、背後からは密集陣形を組んだ民衆たちが「うおおおおッ!!」と雄叫びを上げ、強化ゲバ棒の 槍衾 ( やりぶすま ) でワンフィンとサードハンドを物理的に押し込み始めた。


「ちぃっ……! なんだこのゴミ共の圧力は!」


「させないよぉ! 〈 極低温(クライオ)液体( リキッド・)酸素 ( オキシジェン)〉!」


キャラメルが指を鳴らし、極低温の液体を散布。炎の残滓を一瞬で鎮火させると同時に、周囲の酸素濃度を急激に引き上げ、一酸化炭素の結合を強制的に阻害する。


「おのれ……! 厄介なガキどもと、 狂った奴隷どもめ。なら、これでどうだ!」 サードハンドが吸い殻を投げ捨て、新たな煙草に火を点ける。


「〈 煙霧装甲 ( エアロゲル)〉」


サードハンドの体から溢れ出した煙が、空気の99%を占める超低密度の固体『エアロゲル』のような性質を帯びて広場を覆う。それは凄まじい反発力でマーシャルや民衆たちを弾き飛ばすと同時に、フォグたちの周囲の酸素を物理的に遮断する絶対的な 閉鎖空間を形成し始めた。


「ぐあっ……!」


吹き飛ばされたマーシャルたちが立ち上がろうとするが、煙の壁は硬質のガラスのように彼らを阻む。


「少年、これマズいよ! 煙の密度が高すぎて、熱放射も光も完全に遮断されてる! 完全な断熱材だ!」


「焦るな。 視認(ライン・オブ・サイト)が確保できずとも、 飽和攻撃で面を制圧するまでだ。――『軍事』属性、位相展開。〈 携帯式対戦車ロケット ( RPG-7 ) 〉!!」


ズドォッ!!! フォグが放ったロケット弾が煙の壁に直撃する。しかし、爆風と熱波はエアロゲル状の煙に完全に吸収され、無慈悲に霧散してしまった。


「無駄だと言ったはずだ。俺の煙は質量を持たねえ盾だ」


煙の向こうから、サードハンドの気だるげな声が響く。


「そして、とどめ。坊やたち」


ワンフィンの艶やかな声と共に、フォグたちの足元に巨大な 魔法陣が展開される。


「〈広域焼夷(デイジー・カッター) 息吹酒(スピリタス)〉!!」


広場全体を包み込むほどの超高濃度のアルコールが、足元から間欠泉のように噴き上がり始めた。サードハンドの断熱ドームの中に充満していく可燃性ガス。


(……チッ、戦力差を覆すには、出力が足りない。前頭葉の演算領域が……!)


フォグは奥歯を噛み締め、冷や汗を流す。


「フォグ! キャラメル!」


ドームの外から、マーシャルが巨大な大剣で何度も煙の壁を叩き割り、民衆たちが強化ゲバ棒で壁を突き崩そうと必死に足掻いている姿が、薄れゆく視界に映った。


「少年、無理しちゃダメだ! これ以上魔力を回したら、君の エントロピーの増大が抑えきれなくなる!」


キャラメルが悲痛な声を上げ、フォグを庇うように強く抱きしめる。


「終わりだ、ガキ共。王様の邪魔をするからこうなる」

・自律神経

体温、呼吸、心拍などの生命活動を無意識にコントロールする神経であり、活動的なときに働く交感神経と、休息時に働く副交感神経の2つに分かれている。


・ファランクス

古代ギリシャなどで用いられた、武具を持つ重装歩兵による密集隊形。


・破過点

活性炭やシリカゲルなどの吸着剤にガスや液体を通す際、吸着しきれなかった成分が処理装置の出口側から漏れ出し始める時点。


・加熱水蒸気

100℃を超えてさらに加熱された、目に見えない高温の無色透明な水蒸気。


・毛管凝縮

多孔質体の細い孔(毛管)の中で、気体が本来の飽和蒸気圧よりも低い圧力で液体に変わる現象。


・アブサン

ニガヨモギ、アニス、ウイキョウなどのハーブを主成分とする、アルコール度数が非常に高い(26%〜90%)緑色や透明の薬草系リキュール。18世紀にスイスで生まれ、19世紀のヨーロッパでゴッホやピカソなどの芸術家に愛されたが、幻覚作用を引き起こすとされる成分・ツジョンの影響で長年製造禁止となった禁断の酒。


・ツジョン

ヨモギやセージなどの薬用植物に含まれる精油成分。かつて多くの芸術家を魅了したお酒・アブサンの主原料であるニガヨモギに含まれている。


・ヘモグロビン

赤血球に含まれる鉄分を含んだ赤い色素タンパク質であり、主に肺から全身への酸素の運搬や、基準値と健康状態に関わっている。


・結合親和性

2つ以上の分子が結合する強さや、結合しやすい性質。


・第一次世界大戦

1914年7月28日から1918年11月11日まで続いた人類初の全体的な世界戦争であり、イギリス・フランス・ロシア等の連合国側とドイツ・オーストリア等の同盟国側が戦い、四つの大帝国が崩壊した。


・第二次イーペル会戦

第一次世界大戦中の1915年4月22日から5月25日にかけてベルギーのイーペル周辺で行われた、ドイツ軍による大規模な攻勢。緑黄色の塩素ガスが連合軍の陣地を襲い、前線に大きな混乱と甚大な被害をもたらした。


・風媒花

虫や鳥ではなく、風の力で花粉を運んでもらい受粉する花のこと。クルミの花は風媒花の一種。


・三鞭酒

オットセイ、鹿、狼などの動物の陰茎のエキスを、高梁酒などの白酒に漬け込んで作った中国の伝統的な薬味酒。「三鞭酒」自体は当て字でシャンパンとも読む。


・液体酸素

極低温で冷却されて液体になった酸素であり、薄い青色を示し、磁石に引き寄せられる性質を持ち、気化すると体積が約800倍に膨らむ。製鉄や医療、ロケットの燃料などに使われる。


・エアロゲル

エアロゲルは、体積の90%以上が空気でできている「世界一軽い固体」と呼ばれる超多孔質素材で、驚異的な断熱性 や「凍った煙」のような半透明な見た目を特徴とする。


・デイジー・カット

主に地表の構造物や植生を広範囲に薙ぎ払う大型爆弾の軍事スラング。


・スピリタス

アルコール度数96度を誇るポーランド産の非常に強いウォッカです。70回以上の蒸留を繰り返して作られる、世界最高純度のお酒として知られる。

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