【第拾陸話】さぁ少年、ゼネストの用意だ。
トルスタン王との決裂直後、刺客として現れたサードハンドとワンフィンの風変わりな特殊能力に苦戦を強いられるフォグたち。物理攻撃を緩和・相殺され、フォグは「魔力演算」による前頭葉の限界を迎えて膝を突いてしまう。キャラメルの咄嗟の機転とフォグの土壇場の召喚魔法「ブラックバード」により、一行は圧倒的な超音速離脱で一時撤退に成功するのだった。
漆黒の超音速機『ブラックバード』が、王都から遠く離れた深い森の奥地へと着陸した瞬間、その巨大な質量は黒い魔力粒子となって霧散した。
「ゲホッ、はぁ、はぁ……ッ!」
地面に降り立ったフォグは、激しい頭痛と吐き気に襲われ、その場に膝をついた。質量保存の法則を無視した巨大兵器の魔力演算は、彼の幼い脳の処理能力を限界まで焼き切っていた。
「はいはい、お疲れ様、少年。無理しちゃって、可愛いねぇ」
キャラメルが素早くしゃがみ込み、ぐったりとしたフォグの小さな体を、自身のふかふかとした豊かな胸元へとぎゅっと抱き寄せる。フォグは「むぐっ……酸素が……」と抗議の声を漏らすが、抵抗する力すら残っておらず、おとなしくその甘い体温に身を委ねた。
「とりあえず、今日はここで野営だ。……スクワール、頼めるか?」 「うんっ! 任せて、おじさん!」
マーシャルの声に、スクワールが元気よく尻尾を立てる。彼女は両手を地面にかざすと、淡い緑色の魔力を放った。
「〈掌状の殻檻・野営型〉!」
以前、ゴブリンを閉じ込めた巨大なクルミの殻の魔法が、今度はドーム状の快適なテントとして実体化する。
「おー、相変わらず便利だな。じゃあ火を起こすか……」
「あ、火ならボクがやるよぉ」
マーシャルが火打ち石を取り出そうとしたのを、キャラメルは手で制した。彼は白衣のポケットから小瓶を取り出し、紫色の粉末・過マンガン酸カリウムを薪の隙間に落とす。続けてグリセリンを数滴。一瞬の静寂の後、じわじわと白い煙が立ち上り、次の瞬間、妖艶な紫色の炎がボワッと燃え上がった。計算通りの確実な熱化学反応。凍える夜を十分に癒やす、温かな焚き火の完成だった。
「貴様のポケットにはなんでも入っているのか?」
「ううん、魔力を使って薬品を召喚しているんだよぉ」
「すげえな……。飯の支度は俺がやる」
マーシャルが干し肉を炙り始める中、火を囲む四人の間には、一時的な休息の和やかな空気が流れた。
しかし、その炎の揺らめきの中。 キャラメルは、スクワールが焚き火の影で「ある物」を大事そうに見つめているのを、特有の観察眼で見逃さなかった。 それは、燃え盛るルパカトの街で、ニューの胸を貫いたあの忌まわしい木枝によって焦げた、彼女の愛読書『葦紙』の切れ端だった。
スクワールは、その血と煤にまみれた紙片を、自身の植物魔法で編んだ蔦で手首にきつく縛り付けていた。かつて彼女が奴隷としてつけられていた『従属の輪』と同じ位置に。
「……さて。戦力回復の最中だが、作戦会議に移行する」
キャラメルの胸の中で少し体力を回復したフォグが、冷徹な三白眼を開いて口を開いた。
「あの王様、トルスタンについてだ。奴の統治システムは、王権神授説や血統に基づく正当な『絶対王政』ではない。あれは歴史的・政治学的に見れば典型的な『僭主政』だ」
「せんしゅせい?」とマーシャルが首を傾げる。
「ああ。非合法的な手段で権力を簒奪し、正統な権威を持たないまま、傭兵や私兵、そして民衆への過剰な『恐怖』のみで体制を維持する独裁者のことだ。あの広場で、倒れた民衆をゴミのように処理した手際……人的資源をただの使い捨てバッテリーとしてしか見ていない。リーダーとしての特性は『極度の自己保存と他者へのパラノイア』だな」
「なるほどねぇ。でも少年、一つ解せないことがあるんだ」
キャラメルが、フォグの頭を撫でながら焚き火を見つめる。
「この世界は基本的に『炎』や『水』、『風』といった自然属性の魔法が中心って聞いたけど。なのに、あの二人……サードハンドの『煙草』や、ワンフィンの『酒』なんて、明らかに高度に精製された化合物を魔力波長に組み込んでいる。あれは異常だよぉ」
「確かに……。俺も長く冒険者をやってるが、あんな変則的な技を使う奴らは見たことがねえ」
マーシャルの言葉に、フォグが顎に手を当てる。
「どちらにせよ、今考えても分かることじゃないねえ。……で、少年。どうやってあの国を壊すんだい?」
キャラメルの問いに、フォグは獰猛で狂気的な笑みを浮かべた。
「僭主政の最大の弱点は、統治の基盤が『民衆の労働力』と『恐怖による服従』の上にしか成り立っていないことだ。ならば、王の首を直接狙う必要はない。国家という機械の歯車を、根元からへし折る」
フォグは立ち上がり、焚き火の光を浴びながら宣言した。
「我々が仕掛けるのは、広域の『ゼネラル・ストライキ』だ。大規模の労働の完全放棄を引き起こす。民衆が恐怖から解放され、一斉に労働を放棄し暴動を起こせば、生産基盤を持たない僭主の軍隊は数日で兵站が崩壊する。そうなれば、あとは私が直接、王座を物理的に『監査』してやるだけだ」
小さな最凶の戦術家と、ダウナーな化学者の計画。 それは、力でねじ伏せるだけではない。国そのものを内部から機能不全に陥れる、異世界の人々には想像もつかない現代の「社会ストライキ戦術」の幕開けであった。
──数日後、王都の巨大な城門前。厳重な警備が敷かれる中、四人の奇妙な集団が検問の列に並んでいた。
「……なぜ私が、このような非合理的な擬装を強いられねばならんのだ」
鼻の下に不自然なほど巨大な「ちょび髭」を貼り付け、度の強い瓶底メガネをかけたフォグが、忌々しげに呟く。その姿は、かつての地球における三流コメディアンか、うさん臭い詐欺師にしか見えなかった。
「文句を言わないの、少年。人間の認知バイアスとゲシュタルト崩壊を利用した、完璧な『心理的迷彩』だよぉ」
隣に立つキャラメルは、なぜか「荷物」と書かれた粗末な木箱をすっぽりと被り、目の部分だけ穴を開けただけの姿であった。
「俺なんてどう見ても無理があるだろ……」
大剣を布でぐるぐる巻きにして「巨大な編み棒じゃよ」と言い張る、筋骨隆々の老婆風の衣服を着たマーシャル。
「わたし、地元のキノコだよっ!」 スクワールに至っては、大きめの笠を被ってしゃがみ込み、完全に『巨大な毒キノコ』として荷車に乗せられていた。
奇跡的にも、あるいは兵士たちの前頭葉が恐怖政治による過度なストレスで萎縮していたためか、あまりの馬鹿馬鹿しさに逆に疑われず、四人は夜の貧民窟へと潜入することに成功した。
暗く冷え切った広場。 密かに集められた数百人の民衆たちは、相変わらず学習性無力感に支配された虚ろな目をしていた。彼らの大脳辺縁系を再起動させるため、木箱の上に立ったフォグはちょび髭を引き剥がし、冷徹な三白眼を爛々と輝かせた。
「――聞け、労働者諸君!」
静かな、しかしよく通る声が響く。フォグの演説は、最初は低くゆっくりと、しかし徐々に熱と狂気を帯びていく、かつて地球に存在した独裁者を彷彿とさせる演劇的なアジテーションであった。
「君たちは何だ? 思考を奪われ、ただ石を運ぶためだけの有機バッテリーか!?社会の犬としてリードを繋げられたままなのか!? 否! 君たちこそが、この国家のインフラストラクチャーを支える絶対的な基盤である!」
フォグは両腕を大きく振り上げ、民衆の目を一人一人射抜く。
「僭主トルスタンは君たちに恐怖を与え、労働力を搾取している! だが思い出せ! 生産手段を持っているのは誰だ? 国家の歯車を回しているのは誰だ? 君たちだ! 君たちが歩みを止めれば、この国はたった一日で干上がる! 恐れるな! 恐怖のコルチゾールを、怒りのアドレナリンで上書きしろ! 我々は搾取される肉の塊ではない、歴史を動かす『炎』だ!!」
身振り手振りを交えた、狂気的で圧倒的な扇動。 その熱量と、自分たちの価値を強烈に肯定する言葉に、民衆たちの暗い瞳へポツリ、ポツリと、かつて失われた闘志の火が灯り始めた。
「少年、見事な大衆心理のハッキングだねぇ」とキャラメルが感心する。
「だが、彼らには武器がないぞ。フォグ、お前のあの鉄の筒とやらを全員に出してやれないのか?」
マーシャルの問いに、フォグは首を横に振る。
「不可能だ。先日RPG-7やFMG-9を演算した際、私は急性魔力枯渇を引き起こした。大隊規模の近代兵器を魔力で質量投影すれば、私の脳細胞が物理的に焼き切れる。それに、素人に銃器を渡してもトリガー管理ができず、同士討ちの温床になるだけだ」
フォグは足元に転がっていた角材を拾い上げ、ニヤリと笑った。
「そこで、代替の武装を提案する。かつて私のいた世界で、新左翼活動家と呼ばれた反体制のプロレタリアートたちが愛用した、最も安価で大量生産可能な革命兵器――通称『ゲバ棒』だ」
「ゲバ棒……? ただの四角い木の棒じゃねえか」
「そうだ。だが、ただの木ではない」
「スクワールちゃんのクルミの殻の時と同じだよ。この角材の細胞壁のセルロースミクロフィブリルの配向を整え、リグニンの架橋反応を化学的に促進させる。そうすれば――」
キャラメルが魔力を通すと、ただの角材が鈍い金属のような光沢を放ち始めた。
「これで、鉄パイプと同等のヤング率と耐衝撃性を持つ『強化ゲバ棒』の完成さ。打撃力は折り紙付きだよぉ」
「ハッ、なるほどな。剣術の基礎を教え込むには丁度いい長さと重さだ」
マーシャルが大剣を置き、強化ゲバ棒を手に取って鋭い素振りを披露する。空気がブワッと鳴った。
「いいかお前ら! 刃筋を気にする必要はねえ! 肩の力を抜いて、遠心力とテコの原理で思い切り叩き込むんだ! 足腰の踏み込みが全てだ、俺がみっちり教え込んでやる!」
マーシャルの熱血指導により、民衆たちは次々と強化ゲバ棒を手に取り、その構えを学び始めた。その熱気の中、スクワールは強化ゲバ棒を両手で握りしめ、ニコニコと極上の笑顔を浮かべていた。
「えへへ……! これがあれば、悪い兵士さんたちを『えいっ』て追い払えるね! わたし、みんなを元気にするために、お姉ちゃんの分もいーっぱい頑張るんだから!」
元気いっぱいに素振りをするスクワール。しかし、その手首には、ニューの遺品である焦げた『葦紙』の切れ端が、蔦でしっかりと結びつけられていた。彼女の死を乗り越え、純粋すぎるほど真っ直ぐに前を向こうとする彼女の小さな背中。
「……ふふ、頼もしいねぇ、スクワールちゃん」
キャラメルは、無理をしてでも元気に振る舞う彼女の健気さと、純粋ゆえの危うさに少しだけ胸を締め付けられながらも、優しくその頭を撫でた。そして、前頭葉の機能不全を起こした支配者への、特大のストライキの準備を進めるのであった。
・過マンガン酸カリウム
強い酸化力を持つ黒紫色で金属光沢のある結晶。水に溶けると濃い赤紫色になる。化学の実験や工業、消毒などの分野で広く使われている。
・グリセリン
無色透明でわずかな甘みを持つ3価のアルコールであり、主に保湿、保水、温感付与の目的で使われる。
・パピルス
古代エジプトで文字を書くために使われた古代エジプトの代表的な筆記媒体、およびその原料となるカヤツリグサ科の植物のこと。英語の「paper」の語源でもある。
・王権神授説
国王の権力は神から直接授けられたものであり、絶対的で誰にも逆らえないとする政治思想。
・絶対王政
16世紀から18世紀のヨーロッパで見られた、国王が絶対的な力で国を治めた政治の形。
・僭主政
古代ギリシアの都市国家でみられた、非合法な手段で権力をにぎった一人の支配者による独裁政治。
・パラノイア
「他人が常に自分を狙っている」と思い込む被害妄想、偏執病のこと。
・ゼネラル・ストライキ
企業や組織の枠を超え、全国規模や都市・主要産業全体で多数の労働者が一斉に仕事をやめて行う、大規模な抗議活動。
・認知バイアス
これまでの経験や先入観、直感などによって物事の判断が歪み、不合理な選択をしてしまう人間の思考の癖。
・ゲシュタルト崩壊
同じ文字や図形などを長く見続けることで、全体のかたちが分からなくなり、バラバラな部品に見えてしまう現象。
・プロレタリアート
資本主義社会における賃金労働者階級のこと。自分で工場や機械などの財産を持たず、自分の労働力を売ることで給料をもらい、生活している人たちを指す。
・アジテーション
人々の感情を激しく揺さぶり、特定の行動や思想へ誘導する「政治的扇動」のこと。
・社会の犬
組織や社会の言いなりになって忠実に働く人を皮肉る言葉。
・コルチゾール
副腎皮質から分泌される生命維持に不可欠なホルモンであり、主に糖代謝の促進、血圧や血糖値の維持、抗炎症および免疫抑制の働きを担う。
・アドレナリン
心拍数や血圧を上げて体を動かしやすくするホルモンです。危険なときにたくさん出て、力を発揮させる。
・新左翼活動家
1960年代以降に既存の共産党や社会民主主義などの「既成左翼」を批判し、国家体制の変革や革命を目指して反体制運動を行った人物、またはその思想的潮流に属する活動家の総称。
・ゲバ棒
ドイツ語の「ゲバルト(Gewalt=暴力・実力行使)」に由来する言葉で、1960年代から1970年代の学生運動や労働争議において、新左翼などの活動家が武器として使用した角材や棒状の物。
・テコの原理
一本の棒を使い、支点・力点・作用点という3つのポイントで小さな力を大きな力に変える仕組み。




