【第拾参話】さぁ少年、独裁新天地へ。
街の幹部による「硝酸アンモニウム」と魔力の油の過失爆発により、ルパカトの街は焦土と化し、その余波でニューが命を落とした。絶望に暮れるスクワールや自責の念に駆られるキャラメルに対し、フォグは「無知による人災」と断じ、前を向いて生き抜くよう鼓舞する。悲しみを乗り越えニューの墓を建てた一行は、次なる戦術的拠点を求め、崩壊した街を後にするのだった。
焦土と化したルパカトを後にした四人が、次なる戦略的拠点として辿り着いたのは、広大な平野にそびえ立つ巨大な城壁に囲まれた「王国」の首都であった。立て札には「王国サパニヤ」と記されている。キャラメルとフォグにとって異世界語がなぜ解読できるのか知ったこっちゃないが、そんなのを気にする必要性もなかった。
し城門をくぐり抜けた彼らを迎えたのは、およそ王都と呼ぶには相応しくない、酷く冷え切った異様な光景だった。
「……なんだ、この空気は。ルパカトの活気が嘘みたいじゃねえか」
背中に大剣を背負ったマーシャルが、眉間を深く寄せて周囲を見渡す。彼の言う通り、石畳の広場や大通りを歩く民衆たちの顔には、一切の表情がなかった。粗末な衣服を纏った彼らは、自分たちの体重の倍はあろうかという巨大な石材や建築資材を、ただ黙々と運んでいる。鞭を持った兵士たちが時折怒声を浴びせるが、民衆は反抗するどころか、痛みに対する悲鳴すら上げず、ただ機械のように強制労働に従事していた。
「みんな、おめめが真っ暗だよ……。あんなに重たいものを運ばされてるのに、ちっとも嫌がってない……ううん、嫌がる元気すらないみたい……」
スクワールが、不安げに自身のふさふさの尻尾を抱き寄せる。ニューの理不尽な死という悲劇を乗り越え、彼女の遺志を継いで前を向くと決めたスクワールの目にも、この街の異常性は恐ろしいものとして映っていた。
フォグは重厚なコートの襟元を引き上げ、冷徹な三白眼で周囲の兵士の配置と民衆の挙動をスキャンした。
「……非効率極まりないな。これほどの労働力を徴用しながら、士気の維持すら放棄している。いや、意図的に『放棄させている』のか」
「どういうことだよ、フォグ」
マーシャルの問いに、フォグは冷ややかに鼻を鳴らし、ルパカトでの観察データと現在の状況を照合しながら口を開いた。
「ルパカトの街並みや道中のインフラ水準を見る限り、この世界の文明レベルにおいて、これほど広範囲に及ぶ強力な中央集権体制を敷くことは物理的にも経済的にも極めて困難なはずだ。通信網や交通網が未発達な状態で国家が武力を完全に独占し、一人の王が絶対的な権力で広域を牛耳るには、膨大な常備軍と官僚制、そしてそれを賄うだけの強固な経済基盤が必要になる」
フォグは周囲の巨大な建造物と、疲弊しきった民衆を忌々しげに見つめる。
「しかし、この王国の状況はどうだ。我々の村の社会学的な発展プロセスから見ても明らかに矛盾している。一人の独裁者が広域の労働力を完全に搾取・統制し、かつそのコストを暴力にのみ依存している。この規模の集権システムを武力弾圧だけで維持すれば、通常なら反乱への対処コストが統治コストを上回り、数年以内に体制は自重で崩壊するはずだ」
「相変わらずお前らの村の学問は難しすぎてよく分からねえが……要するに、なんで誰も暴動を起こさねえんだってことだろ? 魔法で精神でも操られてるのか? それとも変な薬でも盛られてるのか?」とマーシャルが首を傾げる。
その疑問に答えたのは、白衣のポケットに両手を突っ込み、だるそうに欠伸を噛み殺しているキャラメルだった。
「ううん、薬物や精神操作魔法のような『外的要因』に頼っているようには見えないねぇ。彼らの瞳孔の散大具合、浅く早い呼吸、そして疼痛に対する反射の遅延……外形的な生体反応の観察だけでも、極度なストレスによる自律神経系の異常が伺えるよ。彼らを支配しているのは、純粋な『恐怖』だけだ」
キャラメルは虚ろな目で石材を運ぶ民衆の一人を指さした。
「ボクの村の心理学でいう『オペラント条件づけ』を利用した究極の恐怖政治さ。おそらく、密告社会という相互監視網と、見せしめによる回避不能な過酷なストレスを与え続けているんだ。その結果、大脳辺縁系の扁桃体が常に過活動を起こし、ストレスホルモンを持続的に過剰分泌している。それが論理的思考を司る前頭前野のニューロンを物理的に萎縮させ、生物学的な『学習性無力感』を引き起こしているんだよ。魔法なんて使わなくても、絶え間ない恐怖と暴力だけで、人間の脳細胞はここまで綺麗に壊れるんだねぇ」
「オペ……なんだって? いや、もういい。とにかく、こいつらは心が完全に折られちまってるってことだな」とマーシャルが目を白黒させ、スクワールも「お姉ちゃんたち、また難しい呪文唱えてる……」と目を回す。
「……統治コストを物理的・心理的抑圧のみに極振りし、労働力というリソースだけを抽出するシステムか」
フォグはギリッと奥歯を噛み締め、どす黒い瞳に狂気的な熱量を宿した。
「虫唾が走るな。兵力としての自己保存本能すら奪い、ただ恐怖で縛り付けるなど、人的資源の運用として下策中の下策だ。このような脆弱な基盤の上に成り立つ独裁国家など、奴らが最も依存している労働という歯車の回転を、物理的ではなく構造的に停止させてやれば、自重に耐えきれず容易く瓦解する」
「……少年、相変わらず物騒な戦術演算を回してるねぇ」
キャラメルがフォグの小さな頭に大きな手を置き、くしゃくしゃと撫で回した。フォグは「むぐっ……! 軍事的な考察中に不法接触を図るな!」と頬を朱に染めて抗議するが、キャラメルはふにゃりと笑って彼を胸に抱き寄せた。
「でも、同意するよ。ボクたちの化学と軍事の力で、この理不尽な恒常性をぶっ壊して、彼らの脳細胞に正常なシナプス結合を取り戻してあげようか。ニューちゃんが命を懸けて守ってくれたこの世界で、こんな間違った構造の国を放置しておくわけにはいかないからねぇ」
「お姉ちゃん、お兄ちゃん……! わたしも、がんばる!」
スクワールが尻尾を立て、決意を込めた瞳で二人を見上げる。マーシャルも背中の大剣の柄をポンと叩き、獰猛な笑みを浮かべた。
「ハッ、ルパカトの時みたいに、またとんでもねえ花火を打ち上げてくれそうだぜ。俺も前衛として、そのイカれた王様の首を叩き切る準備をしておくとするか」
未発達な異世界に現れた、最も合理的で最凶の二人。彼らの次なる蹂躙のターゲットは、歴史と科学の摂理に反した「絶対的独裁国家」に定まった。
・疼痛
体に傷や異常が起きたことを知らせる不快な感覚や、医学的な「痛み」の言葉。
・オペラント条件づけ
自発的な行動の後に起こる結果(報酬や罰)によって、その行動の起こりやすさが変化する学習の仕組み。
・恐怖政治
恐暴力や処刑などの厳しい手段で反対する人を抑え込み、社会を支配する政治のこと。フランス革命の時期に、マクシミリアン・ロベスピエールが率いたジャコバン派が行った統治がその由来。
・大脳辺縁系
感情や記憶、本能をつかさどる脳の古い部分で、主な構成要素として海馬、扁桃体、帯状回がある。
・前頭前野
額のすぐ後ろにある脳の部位で、思考、感情のコントロール、記憶を司る「人間らしさ」の中心的領域。
・学習性無力感
何をしても状況が良くならない失敗体験を何度も経験した結果、「どうせ何をやっても無駄だ」と学習してしまい、逃れる努力すらしなくなる心理状態。
・ホメオスタシス
外部の環境や体内の変化にかかわらず、生物が体内の状態(体温、血圧、血糖値など)を一定に保とうとする仕組み。




