36 【ノア視点】ノア・マイラン:隣
侯爵家に滞在してちょうど3ヶ月。
その昼前頃に、イニーグの試作品が停止した。
予測時期とピッタリ同じ。
設置したスフェルジの位置も的確で、イニーグの様子もつぶさに観察できた。
手帳を開き、記録する。
効果が切れる1週間前から、徐々に効力が落ちていった。
これじゃダメだ。
セラは3ヶ月以上持つのはよくないと言ったが、これでは本来の効力が2ヶ月と3週間しか発揮できていないことになる。
そんな中途半端は気持ちが悪い。
理想は3ヶ月経ったらプツリと効果が切れること。
もちろん、それまで効力は一定に保たせる。
ページを一枚めくり、真っ新な面に思考を書き連ねていく。
動力をいじる必要はない。
師匠とセラのお陰で編み出したあの紐は、きっちり3ヶ月で効力を無くした。
となると問題は本体の方。
以前から気になってはいた。
水晶と動力を繋ぐ魔道具部分に、僅かに隙間がある。
そこから紐に込めた魔力が漏れ出した可能性が高い。
そこまで書いて、手が止まる。
脳裏に浮かぶのは、イニーグを設置したときに腕を切り裂かれたセラの姿。
彼女はもう半年ほど、左腕の感覚が戻っていない。
それは当然、今も。
……完成させることが、報いになるはずだ。
再び手を進めようとして、しかし、釈然としない気持ちが残る。
いつかの日、リゼットに連れられて大型スフェルジ越しに見た、勇者一行。
その中にいた、金茶髪の聖女。
セラは以前、感覚が無くなる代償は、おそらく自分だけのものだろうと言っていた。
命をかけているのは分かっている。
俺もそれに守られていることも。
だが、その聖女に対する理不尽な苛立ちが湧くのを、止められなかった。
無意識に握り込んだペンが音を立てる。
それと同時に、ノック音が鳴った。
「ノア」
聞き心地のいい、穏やかな波のような声。
振り向いた先には、セラがいた。
部屋の前に護衛を残し、こちらに近づく彼女を上から下まで見回す。
彼女と知り合ってからしばらくしてついた、クセのようなものだった。
「身体の調子は」
俺の問いに答えないまま、セラはベッドに腰掛ける。
「試作品はどうです?」
「悪化はしてないな」
流そうとする言葉を無視して問う。
「……ええ。大丈夫ですよ」
渋々といったように返されたそれは、最早定型文となっている。
見たところ、右手の指先も戻ってはいないだろう。
無意識だろうが、セラは感覚の無い場所に爪を立てるクセがあった。
今も、右手の指先に親指で爪を立てている。
「試作品は今止まったところだ」
「予定ピッタリじゃないですか。さすがですね」
微笑む彼女から目を逸らす。
「改良点も見つかった。そこを調整すれば……」
「完成、ですか?」
俺の言葉を引き継いだ彼女に視線をやる。
先ほどと同じように微笑んだ顔には、僅かに本物の喜色が見えた。
「ああ。俺の想定だと1ヶ月で出来る」
「へえ、約束よりもずっと早いですね」
魔王が討伐されるまでに完成させるという約束。
魔王が誕生するのは、約3ヶ月後。
慣例通りなら誕生から数ヶ月で討伐が完了する。
今代の勇者一行も、先日カラメリアの四天王を倒したと聞いた。
慣例をなぞることになるだろう。
なにも起きなければ、約束を破ることにはならないはずだ。
「となると……完成する頃に、陛下に謁見できるよう、お願いしておきましょうか」
「は?」
セラからの言葉に、思わず間抜けな声が漏れる。
「謁見? 陛下に?」
「はい。ノアの発明は、確実に広めるべきものですから」
こともなげに言う彼女が、一気に遠く感じる。
こんな感覚は、初めて会ったとき以来だった。
国王陛下なんて、ただの庶民じゃ会おうなんてことすら思わない天上の人間だ。
たまに大型スフェルジを通して、その姿を見ることがあるくらいだろう。
「……なにを企んでる」
セラは、見かけ通りのお綺麗な聖女様じゃない。
もっと計算高く、人間らしいのが、彼女だ。
そんな彼女が、お綺麗な仮面を取り去って、その内面を見せてくれたとき、何ともいえない優越があった。
人間らしい、セラらしい方が、好感も持てた。
そんな彼女のことだ、何かしら考えがあるに違いない。
俺の問いに、セラは珍しく視線を彷徨わせ、言葉を探しているようだった。
「いえ……その」
口ごもるセラを見つめる。
「イニーグを陛下にお見せすれば、実地試験も成功済みですし、必ずご興味を持って頂けるはずです」
彼女は視線を逸らしたまま、言葉を続ける。
「発明品としてみてもとても画期的で、国としても魔物の被害を減らすことの出来るイニーグは、当然ほしいものでしょう」
なにが言いたい。
思わず眉根を寄せる。
結論を避けるようなそれに、どうにも胸がざわついた。
「これほどの功績をなせば、名誉爵位なども頂けるはずです」
「別にいらねぇ」
「分かっています! それは、分かっていますが……」
咄嗟に挟んだ言葉に、セラがこちらを見て声を荒げた。
そんな彼女に驚く。
何かがおかしい。
俺が口を開く前に、視線を落としたセラが、話を続ける。
「名誉爵位ならば、領地もありません。貴族のパーティーに出席する義務もありません」
「セラ」
「手頃な場所に屋敷をもらえるでしょうし、研究もやり放題です」
「セラ」
「それに――」
「セラ!」
下を向いたまま話し続けるセラを呼び止める。
ハッとしたように顔を上げた彼女は、見たこともないほど瞳を揺らしていた。
眉は下がり、僅かにあいた口を震わせている。
いかにも、不安そうだった。
自分の目が見開かれるのがわかる。
気づけば立ち上がり、彼女の前に膝をついていた。
膝の上で握られた両手を取り、優しく解いていく。
「セラ、落ち着け」
目を見て、ゆっくりと、言い聞かせるように口にした。
俺に、気の利いた言葉は使えない。
緊張のほぐし方なんて知らない。
ただ、ギュッと耐えるように握られた手を、解いてやらないと。
そう思った。
「……感覚が、戻りません」
俺の目を見たまま、彼女が話す。
震えた声だった。
「もう半年です。一生、戻らないかもしれません」
「まだ分からない」
彼女は緩く首を振る。
「……自業自得だということは、分かっています。私は今まで、自分のために、欲のために、動いてきました。生きてきました」
赤い瞳が、暗く沈んでいる。
「見捨てて来ました。たくさん。押し付けても来ました。でも、後悔、しているわけじゃありません」
彼女が俯く。
「きっと、何度繰り返しても、私は同じ決断をする。……結局、因果応報、というやつですね」
彼女は一瞬俺を見て、自嘲気味に口元を歪ませたまま、左腕を見下ろした。
その瞳は依然として、今にも泣き出しそうに揺れている。
彼女はそれっきり、口を閉じた。
左腕を見たまま、視線はどこか遠くに向いている。
ぼうっとした表情の彼女は人間味がなくて、思わず両手を握る力を強めた。
言葉を、探した。
せめてなにか、気の利いたことを言おうとした。
「……俺に、爵位を取って欲しいのか」
だが結局、口から出たのは、そんな愛想の欠片もない言葉で。
でも彼女はおそらく、慰めを求めてはいなかったから。
自虐して。
自嘲して。
それでも。
何か重いものを抱えていても、それを放り投げたり、見ないふりをするほど、弱くはない。
それが、彼女だと思ったから。
ゆっくりとこちらを見た彼女は、目元を緩めて、口角を上げた。
「私の隣に、いて欲しくて」
それはこれ以上無いほど儚く、美しい笑みだった。
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