35 実験
試作品の完成から1ヶ月。
私はノアと共に、護衛たちに囲まれながら、インガーライン領の第一砦に来ていた。
彼の領の状況や私の要請との兼ね合いで、少々遅くなってしまった。
ルドルフに案内され、歩廊に上る。
半年ほど前のあのときから、何とか復旧させたらしい。
まだ傷跡は残るものの、胸壁や歩廊、見張り台などは問題なく直されている。
「それで、マイラン、と言ったか」
ルドルフが視線をノアに向ける。
「そのイニーグとやらは、どこにどう設置すればいいのだ?」
「俺がやる。ので」
「お前が? あの魔物の中に行くのか」
たどたどしい敬語で応えたノアに、ルドルフが片眉を上げる。
そのまま指さしたのは、歩廊の下に広がる光景だった。
「魔潮でなくてこれだ。最近は常に魔物が襲ってくる。この中に、戦えないお前が行くのか?」
侮るような視線が向けられる。
ノアは言い返すこともせず、静かに彼を見据えていた。
「ルドルフさん」
私が声をかけると、彼の顔がこちらへ向く。
数秒交わった視線はしかし、彼が決まり悪そうに顔を背けたことで断ち切られた。
「皆さんに迷惑はおかけしません。我々のみで行って参ります。お許し、頂けませんか」
小首を傾げて尋ねる。
まあ、すでに当主からは許可を貰っている。
正直、彼に聞く必要などないのだが。
「……私も同行します。この地の魔物に詳しいのは、私なので」
彼は顔を背けたままそう言うと、1人歩廊を降りていく。
その様子にノアと顔を見合わせ、彼の後を追う。
やはり彼は、どうも社交が苦手らしい。
***
第一砦の先に広がるのは、100メートル程の平地と、その先の森。
今回目指すのは、森の浅層部だ。
ノアは中層部が理想だというが、そこまで行くには危険が過ぎる。
「胸壁部の延長線上は、魔物がそこを通るように、木を減らしてある」
ノアが出した設置条件は、平地であることと、魔物の通り道であること。
「お前の言った条件に合うのは、ここだ」
ルドルフが地図の一部を指差す。
そこは、砦から約150メートルほどの位置。
しかし、魔物が通るように設計された道を行くわけにはいかないため、森を迂回することになる。
そうなれば、歩く距離は200メートルほどだろうか。
「ここ最近の様子を見れば、早くて1週間。遅くても1ヶ月以内には魔潮がくるだろう。そのせいで、この辺りは黒溜まりが出来やすい」
ノアがそれに納得し、出発の準備を始める。
オスカーや護衛たちからも、反対の意見はない。
さすがの私も、今回ばかりは行かないわけにいかない。
ルドルフには止められたが、ここでノアに死なれては困る。
それに、結界や加護にも、有効範囲というものがある。
50メートル程度ならまだしも、200は無理だ。
ちょうど太陽が真上に昇る頃。
全員にそれぞれ結界を付与してから、私たちは砦を出発した。
先頭を行くのはオスカーと数名の護衛たち。
その後ろにルドルフや私たちが続き、後方と左右をライと護衛たちが固めている。
平地部分は、胸壁部に群がる魔物を迂回してやり過ごす。
時折襲いかかる魔物も、オスカーや護衛たちが問題なく対処した。
そうして10分もしない内に、森へと入った。
チラリとノアの様子を窺うと、表情こそ変わらないものの、額や首筋は汗で光っている。
無理もない。
彼は今まで、魔物と対峙するようなことはなかったはずだ。
叫び出したり、パニックになったりしないだけ、よくやっている。
森の中では、魔物は唐突に飛び出してくる。
実際には僅かに草の音や息づかいが聞こえるのだが、素人にはまず分からない。
草陰から魔物が飛び出すたび、ノアの足が緩まる。
ルドルフが一瞬ノアに目を向けたのを見止め、私は無言でノアの手を引いた。
森を歩き続けること、約20分。
ようやく目的の地点が見えた。
「あの辺りだな」
ルドルフが声を潜めて指し示す。
その先は思いのほか大きく開けており、疎らに木が生えている。
しかし、こうしている間にも、後方からの戦闘音が消えない。
「いいか、マイラン」
ルドルフが言葉と共に振り返るが、当の彼は近くの木に登り、枝に鏡のような魔道具を括り付けていた。
「お、お前なにを……!」
ルドルフは声を抑えたまま怒鳴る。
それに臆せず、ノアは木から降りて言った。
「改良したスフェルジだ。あれで試作品の様子を見る。……ます」
取って付けたような敬語に、ルドルフは握った拳を震わせている。
「ッいいか。あの魔物の通り道に長居するわけには行かない。1分だ。1分で終わらせろ」
ルドルフは指を立て、ノアに話す。
それにノアがうなずいたのを確認し、ルドルフは護衛たちに振り向く。
「私の合図で飛び出せ。いいな」
彼は魔物の切れ目を見極め、合図を出す。
それと共に飛び出そうとした私を、誰かが後ろから抱き留めた。
その拍子に、ノアの手を放してしまった。
「あんたはダメだろ」
オスカーの声が耳に入る。
首を捻って見えたのは、私に腕を回し、こちらを見下ろすライの姿。
その隣には、剣を抜いたオスカーもいる。
「聖女様はここで見てて」
ライはそう言って私を離すと、背を向けて周囲を警戒しはじめた。
そんな2人の様子に、頭が冷える。
確かにそうだ。
場に流されて飛び出そうとしたが、私の役目は結界の維持。
それはここからでも出来る。
首を振り、思考を整え、ノアたちの様子を見る。
彼らは円を作るように護衛を固め、その中心でノアが設置を進めているようだった。
今はもう、20秒は経っただろうか。
場が開けているということは、音が響きやすいということ。
段々と戦闘音に釣られた魔物が集まりはじめた。
それに伴い、ライに連れられ、彼らから僅かに距離を取る。
40秒経った。
あと20秒ほどか。
2人に背を守られながら、彼らの様子を見る。
――キン。
突然、音が鳴った。
結界が発動した音だ。
そして立て続けに、もう1つ。
――あと10秒。
護衛の一人が、腕を噛まれた。
結界はない。
その一人に結界をかけ直すが、同時にまた音が響く。
音だけでは誰の結界が解けたのか分からない。
――あと5秒。
――4。
――3。
――2。
「完了!」
ノアの声が響く。
「撤退するぞ!」
すぐさまルドルフが指示を出す。
それと同時に――私の左視界が、赤で遮られる。
こちらに駆け寄る彼らの様子が、ゆっくりと見えた。
視線が吸われた先で、ノアの顔が徐々に歪む。
「セラ!」
「聖女様!」
ノアの声と、誰かの叫び声。
それを機に、時間の流れが戻った。
左側に目を向ける。
そこにはすぐそばに倒れたカマキリのような魔物と、焦燥を滲ませる顔でこちらを見る、オスカーとライ。
そして、肩から肘下までを大きく切り裂かれた、自らの左腕があった。
視界に映る赤。
腕から湧き出るそれに、痛みはない。
だが、痛覚はなくとも身体の反応は正常で。
額から脂汗が滲み出す。
それに釣られるように、反射的に顔を歪めた。
「セラ!」
そばに駆けてきたノアには目を向けず、右手をかざし、治療を試みる。
その間にも、辺りからは絶えず戦闘音が聞こえていた。
血が止まる程度に治療し、立ち上がる。
「戻りましょう」
滲む汗はそのまま。
ルドルフに向けて言葉を放つ。
彼は僅かに目を見開き、すぐに鋭くうなずいた。
それに呼応するように、オスカーがすぐさま先陣を切る。
ライは変わらずそばについた。
隣から、ノアの視線が刺さる。
「大丈夫です。止血はしましたから」
顔を向けないまま小声で告げて、歩みを進める。
平地に出る頃には、ノアからの視線はなくなっていた。
***
負傷した護衛たちと自分の腕を治療し終え、ノアのいる客間へ向かう。
廊下で頭を下げるインガーライン家の使用人たちに目礼を返しながら、目的の部屋に辿り着いた。
扉を開けると、ソファに腰掛けるルドルフとノア、そしてオフェリアの姿があった。
音で振り返った3人の視線が突き刺さる。
それに苦笑いを返し、ノアの隣に腰を下ろした。
「お待たせしました、みなさん」
「怪我は大丈夫ですの?」
「はい。この通り、何ともありませんよ」
眉を下げたオフェリアに、左腕を見せる。
そこには綺麗な皮膚があるばかりだった。
彼女はそれにほっと息をつくも、すぐに胸元で拳を握った。
「傷はなくなっても、痛みはあったでしょう? 何ともないなんて、言ってはいけませんわ」
「……そうですね。ありがとうございます。オフェリア」
私が笑みを向けると、彼女はようやく安心したように笑った。
……実際は、まったく痛みなんて感じなかった。
それがいいのか、悪いのか。
ノアからの視線が痛い。
ふと、ルドルフが咳払いを挟む。
「それで、マイランはいつまで滞在するつもりなんだ」
「3ヶ月です」
「さんッ!? ……まあいい。聖女様からの頼みだ。父上も了承済みとのこと。私からはなにも言うまい」
淡々と応えたノアに、ルドルフは引きつった顔で呑み込む。
彼は真面目そうだし、職人気質で自由なノアとは、あまり合わないのかもしれない。
だが、そんなやり取りは、意図せず場の空気を緩ませた。
「結局、そうまでして設置した魔道具は何なんですの?」
オフェリアの言葉に、ノアが私の方に視線をよこす。
実際、今回は私が当主を助けた恩で押し切った面がある。
彼らには実験することと、それに必要なのが黒溜まりだということしか伝えていない。
まあ、何と言うことはない。
念のためだ。
彼らを信用していないわけではないが、ノアの手柄を横取りされては堪らない。
「ふふっ。まだ秘密です」
柔らかく口元を隠し、笑みを向ける。
そうすれば、オフェリアは僅かに肩を竦めて引き下がってくれた。
「ノアは腕がいいですから。ご迷惑をおかけすることはないと、お約束いたします」
そう付け加え、ノアに目をやる。
それを受け取ったノアは、彼らに向かってしっかりとうなずいた。




