28 危機
ゲートを潜った先の景色は、ほとんど変わらない。
だが、上から響く騒音が鼓膜を刺激する。
目覚めた兵士はトムと名乗った。
彼を先頭に、地上への階段を駆け上がる。
その先の扉を開けると、一気に違う空気が流れこむ。
それと同時に、あらゆる音が鮮明になる。
魔物の咆哮。
兵士の怒号と悲鳴。
門壁を叩く振動で、地面は絶えず揺れていた。
「こちらです! あのテントに、怪我人がッ!」
埃と鉄の匂いがする。
トムが指さした方に目を向ければ、血にまみれた兵士が、仲間に運ばれていくのが見えた。
そちらへ走る彼に続こうとして、ふと、足を止める。
「聖女様!? お早く!」
振り向いたトムが声を上げる。
オスカーとライも、こちらを見ていた。
でも、ダメだ。
やけに冴えた頭は、今やるべきことを弾き出す。
「まずは、魔物をどうにかしなければいけません。……指揮官の元へ、案内してください」
私の言葉に、彼らは目を見開く。
そのなかで、オスカーだけは、僅かに眉を上げていた。
……私だって、後方に行きたい。
だが辺りには、今にも門壁を突き破らんとするほどの音が響いている。
人間の声よりも、魔物の声の方が多い。
ここも、いつまで持つか分からない。
ここが陥落すれば、私たちは終わりだ。
渋々と言った風に歩き出すトムを追う。
私の身の安全と立場。
どちらも守れる策が、ひとつだけ。
最善ではない。
だが、これよりマシな手も、思い浮かばなかった。
トムに案内されて辿り着いたのは、門上部の見張り部分。
そこには、指示を出しながら魔法を放つ青年がいた。
目に痛いほどの金髪に、青い目。
既視感のある色彩に、やっぱりかと、得心した。
「ルドルフ様!」
トムが呼びかけると、青年はバッとこちらに振り向いた。
私を視界に留め、目を細める。
一歩、彼に歩み寄る。
彼が口を開く前に、言葉を投げた。
「結界を張ります。魔物を出来るだけ一箇所に集めてください」
一瞬の沈黙。
それを破ったのは、オスカーだった。
「……なるほど? 攻撃を集中させて上から叩くのか」
彼は小首を傾げながら言う。
それにうなずきを返すと、ハッとしたような視線が集中する。
同時に、トムから唖然としたような目が向けられる。
「門壁には、魔道具で結界が張られていますよね? 私がその上に結界を施し、補強します」
元々、防衛拠点の胸壁となる部分には、魔道具で結界が張られているはずだ。
だが、それの耐久値はそれほど高くない。
だから、私がそれを補強する。
砦全体に結界を張れるほど、私の力は便利じゃない。
でも、箇所を絞ればなんとかなる。
その間、彼らに加護や結界を施すことは出来ないが……頑張って貰うしかない。
「確かに、それなら……」
ルドルフと呼ばれた彼は、胸元の赤いブローチを握り、呟く。
彼らは砦を守りながら戦っていたのだ。
それがなくなれば、多少は状況も変わるだろう。
やがて彼は、まっすぐにこちらを見据えて、うなずいた。
「やろう」
彼はそのまま兵士たちへと指示を出す。
遠距離攻撃を持つ者は歩廊に集まるように、と。
「き、危険です。ルドルフ様! それを使うのはここでも良いじゃないですか! それに、囮なら俺が!」
トムが声を上げる。
指揮官に渡される赤く濁ったブローチ。
魔力を流すことで魔物を引き寄せるそれは――引き寄せの石と呼ばれている。
トムが私に、信じられないものを見るかのような視線を向けたのも当然だ。
私ははじめから、指揮官である彼に、囮になれと言っているのだから。
「ダメだ」
彼はトムの言葉に短く返し、視線を下に向ける。
その先では、今も兵士たちが戦っている。
彼は視線を戻し、トムに向き直った。
その瞳に、迷いはない。
「これは私が父上から託されたもの。……私の役目だ」
彼の言葉に、トムは拳を握り締める。
その肩を、オスカーが軽く叩いた。
「俺に遠距離手段はないんでな。……俺も行く。ライ、聖女サマを頼んだぞ」
オスカーはそう言って、彼に続いて下へと降りていく。
止める暇もなかった。
慌てて振り向き、彼らの背に言葉を投げる。
「ご武運を」
***
――パキリ。
結界が音を立てる。
またひびが入った。
魔道具の結界は、もうほとんど意味をなさない。
私の結界が命だ。
すぐさま修復し、結界の維持を続ける。
頭痛がひどい。
あれから、どれくらい経った。
周囲は既に闇に包まれ、光源は門壁に埋め込まれた魔道具の僅かな光のみ。
「矢が切れたぞ!」
「なんでもいい! とにかく投げろ!」
「魔力も限界だ!」
「補充鉱石は!?」
「もうとっくに切れてるよ!」
歩廊にいる兵士たちからは常に怒号が響く。
「まだ持つ?」
ライが魔法を放つ合間に問う。
「……もちろんです」
そう言いながら、左手で補充鉱石を握り、魔力を補充しようとして――。
掌からこぼれ落ちた鉱石が、コツンと音を立てた。
「聖女様?」
ライの声に、意識を割けない。
左手の感覚が――ない。
ゾッと、背筋が凍る。
手首から下。
動かすことは出来る。
だが、どんなに強く握り込んでも。
爪を肌に立てても。
何も、感じない。
触っている、はずなのに。
痛みが、あるはずなのに。
呼吸が浅くなる。
そのとき、パキリという音が鼓膜を揺らした。
一瞬で音が戻り、ハッと顔を上げる。
隣から、ライの視線を感じた。
「……なんでもありません」
辛うじて彼の言葉に返しながら、右手で鉱石を拾い、結界を修復する。
ぼやける視界は、強い瞬きで誤魔化した。
***
魔物の波が途切れたのは、それから1日後の夜だった。
歩廊を見れば、疲労で倒れ込む兵士たちが、折り重なるように転がっている。
私も見張り部分から降りようとして、グラリと身体が揺れた。
「大丈夫?」
ライがそんな私を受け止める。
差し出された手を掴み、再び足を動かした。
足元がフワフワして、覚束ない。
なんとか降りきると、そのまま怪我人のテントへ向かう。
そこには数え切れないほどの兵士たちで埋め尽くされていた。
数人の女性たちが動き回り、簡単な治療を施している。
ライの手から離れ、声をかける。
彼女たちは、私を見て驚きを見せた後、すぐさま近くの椅子を勧めてくれた。
このテントの癒し手は、村の女性たちが担っているらしい。
男だけに任せていられない、と。
逞しい女性たちだ。
頭が重いのを無視して、立ち上がる。
止めに入るライと女性たちの声を聞き流し、重傷者から治療に当たる。
いつもより光が弱い。
私だって、やりたくない。
もう眠ってしまいたい。
でも、ここで休んだら、それは“私”じゃない。
その意思だけで動き続けた。
左腕の感覚は、もうなかった。
***
「ありがとう……ありがとうッ」
私の手を掴み、泣き崩れるのは、ルドルフ・インガーライン。
その姿に、砦での勇敢さは見る影もない。
ベッドで静かに眠る初老の男性に目を移す。
彼はインガーライン侯爵家の当主。
ルドルフの父親だった。
あのあと、魔潮が一時的な収まりを見せたことを確認し、私は侯爵家へと招待された。
ルドルフに急かされるように屋敷に上がり、通された部屋にいたのが、荒い呼吸を零す当主の姿だった。
彼は第一砦の指揮の際、魔物の攻撃を受けたらしい。
それによって、戦線を離脱。
代わりの指揮役としてルドルフが駆けつけたときには、第一砦は壊滅状態だったと。
「砦があの状態で、神官の元にもいけなかった」
ルドルフはそう口にすると、僅かに唇を噛んだ。
彼に頼まれ、周りにメイドやオスカーたちがいる中、断れるはずもなく。
私は疲労状態のまま、当主の傷を癒したのだ。
私の左手を取ったまま泣き続けるルドルフ。
取られたその手からは、相変わらず何も伝わらない。
窓の外には、嫌味なほど綺麗な月が輝いている。
瞼が重い。
頭が重い。
身体が重い。
私の腕は、どうなった。
早く休ませてくれ。
1人にしてくれ。
そればかりが浮かぶ。
すると、突然。
部屋の扉が勢いよく開かれた。
目を向けるより先に襲う、ドンという衝撃。
それを感じるのと同時に、床に身体を打ち付けた。
肺から空気が押し出される。
「オフェリア!?」
ルドルフが声を上げると同時に、オスカーが私の上から彼女をどける。
遅い。
喉に出かかった悪態を飲み込み、身体を起こす。
そのまま、オフェリアの方へと視線を向けた。
「セ、セラ。……あり、がとう。お父様を、お兄様を……民を、助けてくれて。ありがとう」
顔中を湿らせ、くしゃくしゃにしながら、彼女は泣いていた。
私は無言で立ち上がり、彼女にハンカチを差し出す。
「私は、私の出来ることをやっただけですから」
抱きついてくる彼女をそのままに、小さく息をつく。
――なんでも良いから、早く休ませてくれ。
胸に抱いたその言葉は、誰にも気づかれることはなかった。
***
侯爵家に泊めてもらい、迎えた次の日。
メイドに叩き起こされた私は、再び第二砦へと戻って来ていた。
身体の疲労は取れていない。
背後に立つオスカーからも、あくびを零す声が聞こえた。
先導するルドルフに、それを気にした様子はない。
よほど社交が苦手らしい。
「見てくれ」
歩廊に登って足を止めたルドルフは、言葉と共に下を指さす。
その先を辿ると、あるのは宙に留まる黒い靄。
「黒溜まりだ。まだ小さいが、明日になれば更に大きくなる」
そこで言葉を切ったルドルフは、こちらに向き直る。
続く言葉は想像に難くない。
心底聞きたくない。
しかしそんな私にはお構いなしに、彼は話す。
「四天王が誕生したのは知っているだろう。……こんなもので終わるはずがない。襲撃の波が途切れているうちに、第一砦を立て直すつもりだ。聖女セラ……あなたに、その道中の浄化を頼みたい」
オスカーに視線をやる。
「俺は良いですよ? 聖女サマ」
肩を竦めて言う彼の隣でライも同意するようにうなずいた。
断れよ。
お願いだから。
やる気をみせる彼らに、内心毒を吐く。
こうなってしまっては、私にはもう拒否権はない。
「……わかりました。微力なが――」
「聖女様!」
言葉の途中で、私を呼ぶ声が被る。
そちらに目を向ければ、巻物を持った兵士が、こちらへ駆け寄ってくる。
「こちら、至急の伝令ということでお持ちいたしました」
渡された巻物を開く。
そこには、元々行くはずだった領からの要請が記されていた。
それと共に巻かれていたスクロールが、ヒラリと落ちる。
……これなら、仕方がないな?
「申し訳ありません。他にも、助けを待つ方がいるようです。浄化はこの砦周辺のみになってしまいますが……」
窺うようにルドルフを見る。
僅かに肩を落としながら、彼は了承を示した。
オスカーたちに視線を送り、歩廊を後にする。
足が少しだけ軽くなった気がした。
しかしそんな気持ちも、数十分かけて浄化を済ませる頃には消えていた。
考えてみれば、行く先にあるのは休憩ではない。
力を酷使する場所が変わるだけだ。
こんなことが続くのかと、溜息を零す。
重い身体のまま、ゲートに向かった。
起動したゲートを前に、この先がここよりもマシなことを祈る。
頬を撫でた生ぬるい風が、答えを教えていた。




