27 出発
街は期待に浮かされた民衆でごった返していた。
足元には花びらが散り、耳には祝福と歓声が届く。
そんな喧騒の中、私はひっそりと群衆の間を縫って歩いた。
卒業パーティーから2日後。
街では勇者一行の出立パレードが開かれている。
私もそこに出る予定だった。
だが、たとえ国が私を認めても、国民が認めるかは、また別の話。
力の弱い方。
慣例とは違う方。
神秘的な外見や雰囲気で押し通すのにも、限界がある。
パレードに出席してそう囁かれるくらいなら、自分の株を上げた方がいい。
そう考えた私は王に断りを入れ、ティラミアたちよりも先に旅立つことになった。
そのときの王の様子を思い出し、背筋に悪寒が走る。
一瞬だけ細められた、あの目。
叙任式でも同じものを感じた。
自分がチェスの駒にでもなったかのような、そんな気分になるあの目が、どうにも苦手だ。
そんな記憶を振り払うように、小さく首を振った。
しばらく歩いて、ようやく人並みを抜ける。
ついたのは、王都中心部の西北部。
目線の先には、広場に置かれた大きなゲートと、数十ほどの騎士たちの姿があった。
そのゲートが、私の旅の入り口だった。
ふと、騎士たちの中から1人が抜けだし、私の前で止まると、その場に跪く。
「オスカー・ドルンロイトと申します。隻腕の身ですが、しっかりお守りしますよ。聖女サマ」
私の手を取ってそう話したのは、どこか退廃的な空気を放つ男性騎士だった。
彼が、この隊を率いているらしい。
取られた手をそのままに、挨拶を返す。
影のあるブルーグレーの瞳と、視線が交わった。
冷たい、観察するような目。
一体何が気に入らないのやら。
彼から視線を外し、取られた手をそっと解く。
他の騎士たちとも挨拶を交わし、ゲートへと歩み寄った。
瞬きの間に、空気が変わる。
潮の匂いを含んだ風が頬を撫で、湿った空気が肌にまとわりついた。
降り立ったのは、ケークスヴィア都市。
視線を巡らせれば、レンガ造りの家々が映る。
濃淡の違うレンガで作られた建物が整然と並び、素朴な暖かさを感じさせた。
ゲートがあるのは、王都と同じく広場のようだ。
砂利の敷かれた地面を踏む。
少し離れた場所では、大型スフェルジに人々が群がっていた。
そこから漏れ出る音を尻目に、迎えの姿を探す。
「セラ・ヴェイルン聖女様でいらっしゃいますか!」
焦燥を含んだ声が、穏やかな空気を裂く。
声の方に顔をやれば、広場の入り口から駆け寄る兵士がいた。
彼の纏う鎧には、所々赤が散っている。
思わず、視線が固まる。
「昨日早朝、インガーライン侯爵領にて、魔潮が発生しました! かの領地は先日、四天王の誕生が確認されたばかり。どうか……どうか、お助け願います!」
敬礼した腕を振るわせ、声を揺らして兵士は叫ぶ。
周囲の視線が、一斉にこちらを向いた。
……嫌なことをしてくれる。
真剣な表情を守りつつ、内心毒づいた。
インガーライン。
聞き覚えのある名だ。
予定していた領ではないが、この状況では断りようもない。
オスカーと短く視線を交わし、兵士へと向き直る。
「案内してください」
その一言に、兵士の顔に希望が灯った。
彼は侯爵領への巻物――スクロールを持っていたが、それは今通ってきたゲートには使えないらしい。
民間用だからだと。
そのため、都市の入り口横にあるゲートまで向かうことになった。
彼の連れてきた馬は2頭。
1頭に乗れるのは精々2人。
……魔潮の危険に晒されている場所に、4人で向かう。
眉間に皺が寄りそうになるのを、ギリギリで抑えた。
緊急時なのは分かる。
だが、さすがに少なすぎるだろう。
もう少し、聖女を大事にして欲しい。
そんな私をよそに、彼らは素早く動き出す。
兵士の後ろには、ライという青年騎士が。
私とオスカーは、もう1頭に跨がる。
残りの騎士たちには、兵士が急いで書いた雑な地図が渡された。
戸惑う騎士たちを置き去りに、兵士は馬を走らせる。
オスカーは「後ほど合流しよう」と騎士たちに言い残し、馬腹を蹴り後を追った。
「これは第一砦の地下ゲートに繋がっています! 到着次第、真っ先に負傷兵たちを治して欲しいのです!」
馬を走らせ、スクロールを見せながら、兵士が叫ぶ。
その言葉に、「は?」と喉まで出かかった声を飲み込んだ。
負傷兵の治療は私の役目だ。
それはいい。
だが、第一砦。
名前からして、最前線だ。
そこへ行けと。
この人数で?
目線で訴えても、兵士は気づかない。
そのまま入り口の門へと辿り着き、馬を下りる。
オスカーたちはなんの疑問もないようで、兵士に続いて神妙な面持ちでゲートに向かった。
重い足を引きずりながら、せめてもの抵抗として、彼らと自分に加護と結界を付与する。
――もう、行くしかない。
逃げそうになる焦点を引き留め、ゲートを見つめる。
低い唸りと共に起動したゲートの先は、光に覆われて何も見えない。
胸の奥には、拭いきれない嫌な予感がこびりついていた。
***
ゲートの先は、薄暗い石造りの部屋。
そこに一歩踏み出すと同時に、兵士の叫びが耳を刺す。
「うわあああッ!」
続いて響く、キンッという音。
それが結界の発動音だと気づいたときには、倒れてきた兵士に巻き込まれ、地面に背中を打ち付けていた。
上に被さる兵士を除けた先に見えたのは、爪を振り下ろす魔物の姿。
「オスカー!」
短く名を呼べば、ゲートから飛び出したオスカーが魔物を切り裂く。
頭が2つある、狼のような魔物。
室内を軽く見ただけで、あと4体はいる。
「ゲートの後ろにまわれ!」
オスカーの指示に従い、気絶した兵士を引きずって移動する。
その間にゲートから来たライも加勢した。
うるさい心臓をそのままに、兵士の様子を見る。
怪我はない。
結界に弾かれたからだろう。
ならどうして気絶したのか。
脳裏に過ぎったその疑問を振り払い、兵士の頬を叩き、覚醒を誘う。
彼が意識を取り戻したのは、オスカーたちが魔物を倒しきるのと同時だった。
オスカーが剣をしまい、兵士に近づく。
「起きたか」
オスカーは言葉と共に胸ぐらを掴み、持ち上げた。
突然の暴挙に、目を見開く。
止めようと腰を上げたが、視線で制され、動きを止める。
「どういうことだ」
オスカーが低く問う。
「し、知らな、かった。……陥落し、てる、なんて。知らなかった」
兵士はオスカーの腕を掴みながら、食いしばったまま言葉を漏らす。
途切れる言葉は聞き取りづらい。
それでもそこに、嘘はない。
オスカーも同様に判断したのか、しばらく見つめた後に手を離した。
咳きこむ兵士に目もくれず、入り口の扉に耳を付けたライが口を開く。
「隊長、外から鐘の音がする」
その言葉に耳を澄ませば、確かに。
微かに鳴り響く鐘が聞こえた。
「……拠点放棄の合図です。ここが持たなくなったから、第二砦に後退したんだ」
兵士は、吐き捨てるようにそう言った。
いくら耳を澄ませても、聞こえるのは鐘と雑多な足音のみ。
本当に、誰もいないのか……?
ポケットから地図を取り出す。
出発前に宰相から受け取った、各地の防衛拠点とその周辺を記したものだった。
私が来ることを分かっていながら、普通に撤退するとは思えない。
伝令……いや、小隊くらいは残しているはず。
地図を開く。
心臓がやけにうるさかった。
「……第二砦までは、7キロあります。……俺の、せいです。俺の……」
兵士のその声だけが、やけに鮮明に聞こえた。
沈黙が落ちる。
観測所は。
補給所とか。
軍の設備だし、あるだろう、そう言うの。
しかし、地図を見ても、何もない。
第一砦と第二砦。
その間には、土地を示す白だけがあった。
頭が働かない。
7キロ。
魔潮の中を、7キロ。
……無理だ。
耳には絶えず、魔物の咆哮や足音が響く。
ここに食糧はない。
迂闊に外に出れば死ぬ。
第二砦へ向かうのは不可能。
力の抜けた手から、ポトリと地図が落ちた。
……欲で功を焦ったからか。
ティラミアに、押し付けたから。
村人たちを、見捨てた罰が当たったのか。
徐々に、視線が下がる。
そのとき。
――金属のぶつかる音が、僅かに鼓膜を揺らした。
弾かれるように顔を上げると、オスカーと視線が交わった。
彼の目が、微かに開く。
しかし、それも一瞬。
オスカーはすぐに視線を外し、扉へ向かって歩き出す。
「隊長……?」
ライが問いかけると、オスカーは顎をしゃくって答えた。
「音が聞こえた。人がいる。お前も来い」
オスカーの言葉にハッと息を呑んだライは、すぐに表情を切り替え、オスカーに続く。
「じゃあ、聖女サマ。あんたはそいつと待っていてください」
オスカーはわざとらしくそう言うと、そのまま部屋を出て行った。
どれくらい経っただろうか。
数分にも感じるし、数十分にも感じる。
その間、沈んだ様子で下を向く兵士との間に、言葉はなかった。
ふと、石の上で何かを引きずる音と共に、コツコツと響く足音を捉えた。
近づくそれに耳を澄ませ、扉を見据える。
やがて開いた扉の先にいたのは、少し汚れを纏ったオスカー。
そして、血だらけの兵士に肩を貸す、ライの姿だった。
「……先、輩?」
声を上げた兵士を横目に、立ち上がる。
ライが下ろした兵士に駆け寄り、すぐさま治癒を施した。
彼らが連れ帰ったのは、重傷者1人。
その意味が分からないほど、鈍くはない。
視界の端でしゃがみ込んだオスカーを横目で見ると、その手にはスクロールが握られていた。
彼はそれを見せつけるように揺らし、うなずく。
視線を戻しながら、息を吐く。
「オスカー、ライ。お疲れ様でした」
自然と、言葉が漏れていた。
兵士の様子を確認し、治癒を止める。
駆け寄ってきた兵士が彼を揺り起こすのを見ながら、僅かに肩の力を抜いた。




