しゃれこうべの辻 その6
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宴のあと、雲は敬に呼び出された。
趙家の屋敷を一望できる、土塁のうえに来いという。
土塁は、このところ力をつけてきている黒山賊の襲撃を避けるため、村のひとびとが総出でつくったものだ。
厚い雲に覆われて、星空は見えない。
ひゅう、と寂しげな風が、土塁のうえに生え始めている雑草をさわさわと揺らした。
家は目の前にあるというのに、なぜか、この世に自分だけ取り残されてしまったような、さびしい気持ちになる。
雲はおのれの体を抱えるようにして、寒風をやりすごした。
土塁のうえに腰かける。
いつだったか、長兄が機嫌のよい時に話をしてくれた。
この土塁をつくろうと言い出したのは父であったそうだ。
「父上がまだ若くて、天下無双の槍の名手として鳴らしていたころは、襲ってくる賊を、ほとんどひとりで蹴散らしていたのだがな。事故を予見していたのか、あるいは、おのれの力が落ちていることを実感していたためか、わからぬが、それまで必要のなかった土塁をつくろうと言い出しだのだ」
父には好色という悪い欠点があったが、しかし隣人を思いやる人であったのはまちがいない。
いまでは見る影もない父だが、土塁のはなしを聞いて、雲は父を見直したものだった。
父については、ほかにもさまざまな武勇伝が村に残っている。
だが、その勇壮な姿をしのばせる手がかりは、この土塁のほか、もうどこにもない。
賊と戦って、守り抜いた土地には、閉そく感ばかりがただよう。
英雄の抜け殻を中心に、いかにちっぽけな土地で生き残るか、そればかりを考えて岩の裏のだんごむしのようにうごめいている、趙家の人々。
土塁の上に座り込んだ雲は、となりに、例のお気に入りのしゃれこうべをともにならべた。
そして、家の様子をみつめる。
じっと目をこらしていると、おのれが闇と同化して、すべてを見通せる力を得たような錯覚さえおぼえる。
家のなかの明かりがちらちらとうごいている。
まだほとんどの者が起きているのだろう。
これがおのれの世界なのだ。
闇から俯瞰するおのれを取り巻くすべてを見たとき、雲は、叫びだしたくなる気持ちをおぼえた。
ずっとここにいなければならないのか。
うぬぼれでもなんでもなく、袁家の婿養子の件は、まちがいなく自分にまわってくるだろう。
以前から、袁家のあるじには気に入られていた。
袁家の婿になれば、もうここから逃げられない。
さまざまなしがらみが、四方から手を伸ばしてきて、自分をがんじがらめにしてしまうだろう。
ふと、宴の前の、幼馴染たちの顔が浮かんだ。
かれらが雲との隔たりを、現実のものとして受け入れつつあるように、自分もまた、責任ある身であることを、受け入れなければならないときがきているのか。
あきらめることが、成長する、ということなのだろうか。
「律儀だな、末っ子。ちゃんと来るとは感心だ」
酒で上気した頬を夜風になぶらせて、敬は明るい声を夜闇にひびかせやってきた。
完全には酔っぱらってはいない様子で、足取りはしっかりしている。
すらりと背の高い敬は、風にゆれる雑草を蹴散らす。
腰に佩びた、波飛沫に跳ねる、向き合う二対の魚の意匠の帯飾りが、耳に心地よい音を立てた。
「どうした、袁家の婿になれるという幸運がせっかく舞い降りてきたのに、浮かぬ顔だな。お母上も喜んでおられるだろう」
気にさわるほどに明るい声に、雲は無言で抗議のまなざしを向ける。
そんな嫌味を言いにきたのであれば、いますぐ部屋にかえってしまおうと思った。
「おやおや、ほかの連中は、袁家の婿の座を咽喉から手が出るほどに欲しがっているぞ。それなのに、幸運にめぐまれた末っ子は、まるで大荷物をかつがされた驢馬のような顔をしているな。
まあ、たしかに袁家の跡取り娘は、あまり見栄えがよくないから、しかたないか。ただし、性格はたいへんに良い。えてして、名家の娘というものは、おっとりしていて気立てが良いものだが、あの娘はまさに、その典型と言うべき娘だ。最初はしっくり来ないであろう。だが、年数が経てば、妻にしてよかったと思わせてくれる、よい娘だぞ」
敬は、十六のときに洛陽に遊学に行って、それきり一度も常山真定に戻ってこなかったという。
それなのに、よく袁家の事情まで知っているものだと感心していると、敬は傲然と胸を張った。
「おどろいたか、わたしはなんでも知っているのだ。袁家の主は、おまえが常日頃から、もくもくとおのれを鍛え、しかも兄上の言いつけをよく聞いているを知っているのさ。大人しくて真面目。まさに婿養子にぴったりな性格だ。もしおまえがこの話を蹴ったら、ほかのおまえの兄どもに話が行くだろうが、向こうとしては残念がるだろうな。見る人は見ている、ということだ」
袁家のあるじは、嫌いではない。
跡取り娘のほうの顔は、まともに見たことはないが、夫人のほうはよく知っている。
美人というわけではないが、陽だまりのような、ほっとする雰囲気のある、品のよい女性であった。
袁家のあるじは、雲の父親とちがって、妾をもたずに、この妻にのみ尽くしているという。
長兄のお使いで袁家の屋敷に行ったことがあるが、風通しの良い、明るい空気につつまれた家だった。
婿養子にいったら、その家族の一員として迎えられるのだ。
そんなことを雲が考えていると、となりの敬が唄うように言った。
「天下は乱れに乱れまくっておるぞ。常山真定に閉じこもっている分は、まださほど感じないでいるだろうが、やがて、戦火は全土に飛び火しよう。下手をすれば劉氏の天下が覆るやもしれぬ。そうなれば、もっとも皇位に近いのは、劉氏の一族ではなく、四世三公の袁一族の中のだれかであろうな。いまのうちに、袁の一族と縁を結んでおくことは、けして損ではない。本家とは血が遠いとはいえ、袁家は袁家だ。
父上はあんなふうになってしまったが、かんぜんに思考力をなくされたわけではない。情勢を見越して、袁家の申し出を受けたのだろう。不器用な長兄では、とても話を受けきれなかっただろうさ。あちらは、おまえを気に入っている。このまま進めば、春にでも祝言となろう」
つづく




