しゃれこうべの辻 その5
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敬の帰還を祝う夜の宴は、雲が思っていた以上に盛大なものとなった。
なるほど、これならば幼馴染たちが羨ましがるのも当然である。
飢饉つづきの世の中で、いったいどこから集めたのだろうと不思議におもうほど、豊富に珍味をかきあつめた贅沢なものだった。
雲が、しまりやの長兄にしてはめずらしいな、と思ってその顔をうがかうと、あきらかに不機嫌そうだった。
長兄のとなりでは、正妻……つまりはこの宴の主役たる敬の母……が上機嫌で配膳を仕切っていた。
どうやら、上等な豚二頭を屠るのですまそうとしたのに、かの女に懇願されるか押し切られるかして、贅沢な出費をせざるをえなかったのだろう。
ふだんは奥の部屋に引きこもっている父も、穴倉から担ぎ出されるようにして、年若い妾とともに姿をあらわした。
たがいに仲が悪く、会えば角を突き合わせてばかりのほかの兄たちも、それぞれの母親をともなって、母屋にあつまってきた。
いつもであれば、会うなり牽制しあい、嫌みの応酬になるのが常なのに、ごちそうを前にしては笑顔になってしまうものなのか。
めずらしく誰もが文句ひとつ言わず、むしろ楽しそうであった。
雲の母親も、いつになくほがらかだ。
おそらく正妻の機嫌に合わせているのだろう。
いくら正妻の子分同然になっているとはいえ、母は母。
母が平穏に暮らしてくれればよいと願っていた。
だからこそ、ふだんの母親が険しい顔をしているのが辛かった。
雲は、母が正妻へのおべっかを駆使して、この家で生き抜かざるを得ないことに同情している。
すぐれていたはずの美貌も、若さとともに次第に衰えていくなか、本来なら頼りにになるはずの実家は没落寸前で、後押しを期待できない。
もっというと、この家にしがみつくほか、暮らしていける場所がない。
正妻の気分ひとつで、明日にでもこの家を追い出されてしまうかもしれない不安定な立場なのだ。
女というのは不自由で、哀れなものだ。
齢十四にして、雲は思っていた。
ふと、宴の中心にいて、洛陽での自慢話を繰り広げていた次兄の敬と目が合った。
敬はなにやら意味ありげに、杯を自分の目線に合わせて掲げると、にやりと笑った。
なんとも奇妙な男である。
だんだん酒の力でみんなの目がとろけてきたころだった。
酒に強いらしい敬が、雲の肩越しに、なにかを見つけた。
杯を口から離し、明るい声で呼びかける。
「これはおどろいた。まさか、袁家のあるじにまで、足をお運びいただけるとは」
常山真定の袁家は、宮廷とも深いつながりをもつ、かの名家の一族の遠縁である。
このあたりでは趙家ともならぶ権勢家であり、財産家でもあった。
その袁家のあるじは、趙家の長兄と幼なじみでもあった。
袁家のあるじは、敬を見るなり、言った。
「しばらく見ないうちに痩せたな。道楽息子め、洛陽での生活は、よほどきつかったと見える」
「そうとも、洒落にならないくらいにきつかった。だが、またあんたに会えたのだから、帳消しだな。来てくれてうれしいぞ」
そういいながら、立ち上がった敬と、袁家のあるじは、親しげに手を取り合う。
敬は袁家のあるじにずけずけと言った。
「あいかわらず、うちと違って、そちらはたいしたご威勢だな、金満家め。そんなにぷくぷくと太って、別人かと思うたぞ」
「そちらこそ、あいかわらずの口のわるさだな。おまえについては、二度と常山真定には戻らぬと思っておった。どうだ、故郷はよいものだろう」
「よくもあり、悪くもある」
「どっちだ」
「両方さ」
「ずっとここにいるつもりか」
袁家のあるじのことばに、楽しく飲み食いしていた兄たちが、はっとした顔になった。
長兄に仕切られているこの趙家の残り少ない財産について、だれもが思いを巡らせたようだった。
次兄の敬が財産争いに加わることで、状況はあきらかに変わる。
長兄以外の兄たちは、探るように次兄の顔を見る。
しかし敬は、あいかわらず本音の見えない笑みを浮かべたまま、首を振った。
「ざんねんだが、その留まるつもりはない。このたびふるさとにもどったのは、大事な父母と兄上、それに可愛い弟たちに、今上の別れを告げねばと思うたからだ」
意味ありげなことばに、みな敬にくぎ付けになっている。
敬は、全員の視線を浴びていることを楽しんでいるかのように、一同をじっくり見まわしてから、ゆっくりと宣言した。
「このたび、それがしは義勇軍に入ることと相成った。太学には戻らぬ。大いに軍功をたてて名を成し、身を立てる。二度とここには戻らぬつもりだ」
「なんだと、おまえのような優男に、義勇兵なんぞできるものか」
袁家のあるじの驚きの声に、敬は不敵な笑みを浮かべた。
「それがしが、だれの子か忘れてもらっては困る。常山真定の趙家のあるじといえば、この近在の悪人どもが震えあがるほどの槍の名手であった。その父の血を引き継ぐそれがしさ。出世はまちがいないであろう」
「む、たしかにおまえの父君は、この近辺で知らぬものがないほどの名手であったが」
「そうだとも。父上、お国を荒らす不届きな賊を退治するため、敬は働こうと思っております。常山真定一の豪傑といわれたあなたさまは、敬のこの決意に賛同してくださるでしょう?」
敬が水を向けると、それまで若い妾に食事をさせてもらっていた父が、じっと敬を見返した。
果たして、父がいまの次兄のことばを理解しただろうか。
雲がそう思っているうち、父はうめくように何かもごもごと言った。
雲には、さいごの
「よきように」
だけが聞き取れた。
「父上のお許しが出たぞ。というわけで、それがしは戦場へ行く。おっと、ちゃんと戦場では『常山真定の趙敬』だと派手に喧伝しておくから、それがしのあとにつづきたいと考える弟どもは、遠慮なくつづけよ」
「義勇軍とは、まことですか、敬っ、許しませぬぞ! 亥を差し置いておまえを太学にやったのは、おまえを孝廉にしたかったからなのに、この母のこころがわからぬのですか」
正妻の悲嘆の声を皮切りに、それまで和やかであった食卓が一変した。
その思惑はさまざま。
正妻は、純粋に母親として嘆き悲しんでいたが、長兄は、勝手に話を決めたと怒り、ここぞとばかりに正妻に取り入ろうとする雲の母親は、同情するそぶりを見せて、敬を暗に批判する。
敬がいなくなることで、財産の配分が変わると読んだほかの兄たちは、勇気あることだと褒め称えてはいる。
だが、きっと腹の中では、いいぞ、とっとといなくなれ、とでも思っているのだろう。
蜂の巣をつついたような騒ぎの収拾にかかったのは、袁家のあるじであった。
「ご一同、静まりなされ。お父上が驚いておいでですぞ」
ものは言いようだな、と思いつつ、雲は父親のほうを見た。
本来、騒ぎの収拾をつけるべき父親は、何も興味がなさそうなうつろな眼で、息子と妻たちの起こす騒ぎを、ぼんやりながめているだけ。
それでも、まだ騒ぎをやめない趙一族に、袁家の主は、ぱん、と手を打ってみせた。
ようやく、みな口を閉ざす。
袁家のあるじは、父を見る。
父は、また、何かをうめくようにつぶやいた。
すると、袁家のあるじは、真剣な顔をして、大きくうなずいた。
なにか合図をしあっている。
なんだろう。
ただならぬ雰囲気を察し、しん、と静まりかえった一族に、袁家のあるじは切り出した。
「このはなしは、もうすこし先にしたほうがよいかと思うておったが、仕方ない。
天下は乱れ、敬が義勇軍として旅立つことになった。この家も、わが一族も、そして常山真定も明日どうなるかわからぬ状況なのは、みな承知のことだと思う。それゆえ、この機にみなの耳に入れておくことにした。
ご一堂はご存じのとおり、我が家には跡取り娘とでもいうべき、十六になる娘が一人おる。ざんねんながら息子はいない。そこでわれら袁家では、娘に婿をむかえたいと思うておる。それも、この趙家のご子息のひとりから選ぼうと思うておるのだ。
ついさきほど、その婿取りのゆるしを趙大人よりいただいたことを、この場を借りて報告させていただく」
驚きを通り越して、全員が凍り付いたのがわかった。
とくに、長兄と次兄以外の兄たちは、色めき立ったようだ。
財産家の袁家の婿になれる。
こんないい縁談は、ほかにない。
長兄がすでにがっちりと実権をにぎっている趙家にのこって、肩身の狭い思いをして冷や飯食いをつづけるよりは、ずっとよい。
「で、婿に行くのは、だれです?」
兄たちのひとりが、緊張した口調で問いかける。
すると、世渡りの上手な袁家のあるじは、ほがらかに笑いつつ、
「まあ、あわてるな。いまはまだ、この中から婿に迎えることを趙大人にご承認をいただいた、というだけだ。具体的なところまでは、まだなにも。なにせこちらの家の子息は、みな優秀だからな。われらとしても、だれをわが愛娘の婿として迎えてよいものか、決めかねているのだよ」
そういいながらも、袁家の主は、一度だけ、じっと末っ子である雲のほうを見た。
それから、兄たちにもそれぞれ目線を送ったのだが、その熱量はあきらかに差があった。
雲の兄たちと、兄たちの母の、憎悪と羨望の視線が、徐々に、雲にあつまっていく。
そのなかで、敬だけが、癪にさわるほど、にやにやと、意味ありげな笑みを浮かべつづけていた。
つづく




