しゃれこうべの辻 その3
表で寒風にさらされながら、家族の出迎えを待っている次兄の敬。
墓所という形容がぴったりの、淀んだ空気のただよう屋敷を取り仕切る長兄。
かれらに似ている部分があるだろうかと雲は観察してみたが、共通点は、せいぜい、眉が太い、というくらいであった。
父は落馬事故が起こるまでは、ひとりで家のことを管理し、長兄に引継ぎをしなかったという。
それゆえ、とつぜん家督を継ぐかたちとなった長兄は苦労をした。
もともと、陽気なひとではなかったようだが、最近は、とくに陰の気が濃くなっているようである。
そして、かれのまとう陰の気の原因は、屋敷にもある。
長兄と次兄の母、つまり父の正妻は、性格のきつい女人で、女の子しか産まない長兄の嫁をいびって日々をすごしているのだ。
雲は、正妻は暇なのだと、突き放して思っている。
寝たきりの夫、つまりは雲や長兄の父には、若い妾……というよりは、世話人がいるから、自分が夫の世話をする必要がなく、やることがないので、嫁いびりなどをするのだ。
さらに正妻は、ほかの夫人たちを取り締まって、自分はわがまま放題に毎日を過ごしていた。
長兄は、誰の目から見てもあきらかに、自分の産みの母である正妻を苦手に思っているようだ。
ちゃんと孝行はしているものの、自分の妻をいびり、一族をわがままで引っ掻き回している父の正妻、つまりは実母をうとましく思っている。
それがたまに態度やことばに出るので、正妻もこの長兄に対し、どこかいらいらした態度で接する。
それがまた、長兄のこころを遠ざける原因となっているのだが。
「雲、また槍の稽古か、精が出るな」
あらわれた雲を見るなり、長兄は言った。
長兄は今日も帳簿とにらめっこをしていたようだ。
帳簿のそばには、長兄の妻がいれてくれたであろう薬湯が、湯気をたてていた。
その苦々しいにおいが、雲は好きになれないでいる。
「おまえは本当に槍が好きだな。よい先生がいたら、つけてやってもよいのだが」
一瞬、期待した雲だが、兄の言う、さいごの『だが』に気づいて、はやる気持ちを抑えた。
長兄はわざとではないだろうが、思わせぶりに期待をさせておいて、あとで無邪気に裏切る、という悪い癖を持っている。
このときも、やはりそうだった。
「しかし、槍術ばかりにかまけていてはいけない。われらは誉れ高き趙王の末裔なのだから、文武両道をきわめねばならぬのだ。おまえは今年で十四になるのだったな。ふむ、あらためて見れば、顔立ちもだいぶ大人びてきたように見えるな。ちゃんと、読めと命じていた書物は読んでおいただろうね」
いい話にはなるまい。
そう予想しつつ、読んだ、と答えると、長兄は、やれやれというふうに、太いため息をついた。
長兄は、どんなふうに答えても、落ち込む人だ。
「おまえは、たぶんこの近辺の子供のなかでも、いちばん賢い子だろう。それなのに、賊を相手に暴れるのが好きときている。勇猛なのはいいが、命知らずなのは心配だ。
だいたい、なんだっていつまでも、そんなしゃれこうべを持ち歩いているのだ。気味が悪いとは思わないのか」
雲が持っているしゃれこうべは、ひとりで村はずれを探索していたときに見つけたものだ。
裏街道からちょっとそれた小道の茂みに落ちていたのである。
おそらく行き倒れの旅人の物だろう。
その、物言いたげなしゃれこうべの様子がなぜか気に入って、雲は、きれいに洗って、家にもって帰って、そばに置いている。
古来、しゃれこうべは力の象徴でもある。
頭骨は人間の英気の中心と信じられていたので、そこに故人の力が残っていると思われていた。
それを信じたわけではないが、雲は、なんとなく、この見知らぬ人のしゃれこうべが自分を理解してくれているような、ふしぎな幻想をおぼえていた。
長兄が、しゃれこうべを取り上げようと手を伸ばしてきたので、雲はそれを背中に隠した。
それを見て、長兄はまた、ため息をつく。
「おまえは、顔は父上に似たが、意固地なところはおまえの母親に似たな。取り上げられるのがいやならば、せめて屋敷に持ち込まないようにするか、でなければ、わたしの前に出すな」
しぶしぶだが、雲は、わかりました、と返事をした。
そうしなければ、長兄の小言は果てなく続いただろうから。
なにかと小言や注意の多い長兄だが、自分を嫌っていることはないとは思う。
雲の目から見ても、長兄は気の毒な人だ。
自分の同情が、もしかしたら長兄には伝わってしまっているのかもしれない。
そして、それが年の離れた兄弟の仲を、いまひとつしっくりこないものにしてしまっているのかもしれない。
長兄は、雲の母親のことも持て余していた。
雲の母は、若くて美しいが、なかなか気が強い。
そして、気が強い者同士、正妻……つまり長兄の実母と気が合っていて、いっしょになって趙家の諍いを増やす一因になってしまっていた。
長兄が、ふたりの母の後始末にうんざりしているのは、やつれた様子からよくわかる。
どうしよう、まだ小言はつづくのかな、と思っていると、甘く優しい声が割って入って来た。
「ああ、失礼いたしました。雲さんがいらしたのね」
見ると、父のいちばんあたらしい若い妾が部屋にやってきた。
まだ二十歳なかばだというその妾は、貧しい山村の小作人の娘だったのだが、美貌をみとめられて父に引き取られた。
美しいが、幸薄そうな細い眉をしている。
彼女が嫁ぐとき、妓楼ではたらくよりはましだろうと、妾の実父が言ったという噂だ。
この妾も、この家には、何の期待もしないでやってきたに違いない。
この妾が家に来てからほどなく、雲の父は事故に見舞われ、前後不覚の状態になった。
責任を負わされたというわけではないだろうが、この妾は、父の介護係となってる。
本人はそれに不平を言うわけでもなく、おとなしくその係に甘んじていた。
ほかに帰れるところがないのだろう。
「亥さん、薬を買うお金がなくなったので、すこし分けてくださらないかしら」
「左様でしたか、気づかず失礼を。あとで用意してお持ちしましょう」
「いかほどお持ちくださるの?」
「十ほど」
「わかりました。それではお待ちしております」
それだけ会話すると、互いに目をあわすこともなく、若い妾は父の元へ戻り、長兄はふたたび帳簿へと顔を戻す。
趙家の財務はすべて長兄がおこなっている。
長兄は、なにやらさらさらと帳簿に書きつけると、ふたたび、帳簿から顔をあげて雲を見た。
「なんだったかな。ああ、そうそう、本を読んだかという話であった。読んだとはいうが、ちゃんと身に着けたのか。暗誦できるだろうね、ほら、そこでやってみなさい」
冗談ではない。
雲は、そこでようやく、長兄に、次兄の帰還を告げた。
つづく




