しゃれこうべの辻 その2
少年が迷惑そうにしているのを、むしろおもしろそうに見ながら、男は言った。
「さてはて、寂しいな、ひとりきりで槍の稽古なんぞ。しかも、観客がこいつだけとはな。ぼうず、こいつはどうした」
男はふざけた調子で、柵にかけてあったしゃれこうべの白い頭をぺちぺちと叩いた。
ますます少年は、きれいに整った眉をひそめる。
男はそれを見ると、楽しくて仕方ない、というふうに、またも声をたてて笑った。
「すまぬ、怒らんでくれ。変わった友達がいる奴だと思ったのだ。ぼうず、名前は?」
趙だ、と答えると、男はまた快活に笑った。
「そうではない。名だ。それを言うならば、俺も趙だぞ」
少年は、はじめて、ひそめた眉を解いて、真正面から男を見た。
いや、観察した。
そういえば、この男の顔、眉のあたりが、いちばん上の兄に似ている。
男は、村の少年たちが踏み荒らしていった地面を見た。
ついさきほどまで、仲間たちが一緒に槍の稽古をしていたので、地面には足跡が残っていたのだ。
「ふん、人望がないわけではないのだな。まったくひとりぼっちというわけではないらしい」
男は柵をくぐって、さらに雲に近づいてきた。
身構える雲に、男は人懐こい笑みを見せる。
「わたしは、おまえの三番目の兄だよ。名は敬という。さて、ほぼ初対面だな、末っ子。おまえがまだ幼いころに別れたきりか。名前はなんだったかな、名乗れ」
雲だ、と答えると、三番目の兄、敬は鼻で笑った。
雲はむっとして敬をにらみつける。
しかし敬はすぐさま手をひらひらと蝶の羽根のように動かして、言った。
「すまぬ、おまえを笑ったのではない。そんな名前をつけた父上を笑ったのさ。あの色ボケじいさん、いまだに家門を盛り立てたいという妄執から逃れられぬらしいな。
ところで、雲よ、ほんとうにおまえが末っ子だろうな。まだほかに下がいる、というのなら、わたしはこのまま回れ右をして、洛陽へ帰るが」
雲にはたくさんの兄がいたが、そのなかに、洛陽の太学に、遊学している兄がいるということは、だれかが話していた。
趙敬というのは、おそらく長兄と母親をおなじくする、兄だろう。
雲は理解し、同時に、長兄に次いで、家の事情にくわしい『大人』がやってきたことに安堵した。
幼いころに別れたきりの兄が、話のわかりそうな大人だ、ということもありがたかった。
表情には出さなかったけれど。
「字はもう貰ったか? なに、ない? ふむ、兄上め、家事にかまけて怠慢だぞ。ちなみにわたしの字は叔斉。名といい字といい、いかにもとってつけたような名前だろう。
ほんとうはわたしは三男なのだが、期待されていた次男が幼くして死んでしまい、そのまま繰上げで次男になった。つまり、まるで期待をされなかった次男なのさ、わたしは。おかげで期待されないどおりの男になってしまった」
趙家の人間にしては、よくしゃべる次兄は、青白い顔を上気させて笑い、無口な末っ子の肩を親しげに叩いた。
これで他人ならば、図々しいやつと思って、雲は近づくことをやめただろう。
しかし不思議に、目の前の男が実の兄だと思うと、苛立ちも軽く、むしろ慕わしささえおぼえた。
やけになれなれしい陽気な次兄は、自分にも顔立ちが似ているような。
雲は今年の正月で十四となった。
あと十数年たてば、次兄と似たような風貌になるかもしれない。
じっと観察していると、なにがおかしいのか、次兄は口を大きく開けて、けらけら笑った。
「さて、父上と母上、それとわれらが墓所の番人たる兄上と、わが弟たちは元気かな? そうか、元気か、よろしい、おまえたちの兄弟が、はるか洛陽より戻ってきたと伝えてくれ。知らせを聞いた父上の心の臓がそのまま止まってしまっても、延命などしてくれるなよ」
きわどい軽口を叩く兄に戸惑いつつ、雲は、屋敷のなかの長兄に、次兄が戻ってきたことをつたえるために、戸口をくぐった。
※
長兄の亥という人は、母親に似た。
いちばん父親に似たのは、末子の雲だという。
それゆえ、父親は、雲に格別な思いを持っていたらしい。
らしい、というのは、父がすでに右も左もわからなくなっている状態だから。
雲からすれば、父親に、なにか特別なことをしてもらった記憶はない。
雲にとって、物心ついたときから、父親は屋敷の奥で、若い妾に面倒をみてもらっている半病人。
残酷なことではあるが、雲はあまり父を見たくなかった。
よその家の「父」は、もっと立派で、もっと頼もし気で、もっと優しさを秘めている。
なのに、雲の父は、あまりに気の毒な身の上で、とてもではないが、頼りにならない。
だいたい、雲は父とことばを交わしたことすら、数えるほどしかないのだ。
それを雲は、とても寂しいことだと思っていた。
さらに、父が何もわからないことをいいことに、父の悪評をあからさまに言う人が多いのに閉口してしまう。
他所の人間になにがわかるのかと、最初の内は食って掛かることもしたが、かれらはかえって陰口を裏で言うようになっただけだった。
悔しいし、悲しい。
だが、どうにもならない。
その閉塞感から抜け出したいのもあって、雲は槍の稽古をつづけていた。
そうしていれば、気が晴れたし、いつか何かの役に立ちそうな気がしたのだ。
そんな雲の父親がわりは、長兄である。
この長兄は、愛想がない人であった。
すでに結婚しており、子供もいたが、その生まれた子どもがどれも女の子ばかりだった。
そのため、末っ子の雲を自分の跡取りのようにして、面倒を見ている。
とはいえ、雲にはちゃんと別に産みの母がいるので、あくまで教育面で、ということだ。
長兄は、生真面目が服を着て歩いているような男だ。
毎日、秤と帳簿をにらんで、いかに節約するか、頭を悩ませている。
まだ三十路になっていないのに、すでに眉間に深いしわができていて、それが長兄を実年齢より老けて見せていた。
よほど余裕がないらしく、この長兄が冗談を言って笑っているところと、ふざけているところを、雲は見たことがない。
つづく




