しゃれこうべの辻 その1
趙雲の少年時代のお話です。
以前に本編のほうに組み込んでいた番外編を、あらたに推敲して、こちらの「奇想三国志 英華伝 短編集」に引っ越してきました。
どうぞお楽しみください。
常山真定の村の片隅で、少年がたったひとり、槍の練習を重ねている。
通りすがりの村人たちは、倦むこともなく、汗を散らしながら槍をふるう少年を見て、あきれたような、感心したような目をむけていた。
さっきまで、おなじ年頃の少年たちも一緒に稽古にはげんでいたのだが、いまはだれもいない。
少年以外の子供たちとっては、槍の稽古は楽しい遊戯のひとつにすぎなかった。
かれらは、村の鐘楼が夕暮れをしらせるころには、家の手伝いをしなければならなくなるので、片付けもそこそこに帰ってしまう。
寒風に乗って、村人たちのささやきが聞こえてくる。
「趙家の末の子は、父親に似ず、まじめで熱心だ」
あるいは。
「だんだん、父親の若いころに似てきた……似るだけならよいがなあ」
「あの子も大きくなったら、自分にうぬぼれて思いあがってしまわないかね、心配だ」
「いや、趙家の主とて、若い頃は、それはたいしたものだった」
「そうさ、いい男っぷりだった。今はあんなふうに、ぼけてしまったが……」
そんな声が。
常山真定の村とは、趙一族が総べる村のことである。
趙一族は、かつてこの地を治めていた王族の末裔として自他ともに認める名族だった。
だが、じっさいのところ、それが本当かどうか、趙一族の少年は興味を持っていない。
家系図だけはしっかりあった。
だが、その系図とて、どこかの戦乱のどさくさに偽造されたという可能性は捨てきれないと醒めて思っている。
いや、家系図は真実を伝えているかもしれない。
ともあれ少年にとっては、自分たち趙一族は、その土地では、それなりの権勢を持つ一族であったということだけが重要だった。
『あった』である。
いま、趙一族は黄昏の時を迎えている。
時流にのりおくれ、一族から出世頭を出すこともできず、零落の一途をたどっているのだ。
なにせ、一族の長、つまりは雲の父が、長いこと病みついていて、まともに小作人たちを管理できなくなっていたから仕方がない。
小作人たちもつけあがり、長の末子に聞えよがしの意地悪をいって、はばからない。
「槍の稽古ばかりしている、馬鹿の一つ覚えとはこのことだな」
かれらは、長の末子がおとなしいので、なめてかかっているのだ。
長の末子、つまり槍の少年の父は、かつてはおそろしい男だったという。
少年はその父の若いころをどうしても想像できない。
いまの父は無残という表現がぴったりの姿になっていたからだ。
一回でも風邪をひいたら、おそらく地底にあるという黄泉の国にまっさかさまだろう。
父は、少年がまだ物心がつかないうちに、馬の落馬事故がきっかけで、寝込むようになってしまった。
それから急速にからだが悪くなり、頭脳のほうもおとろえてしまったのだ。
しかし体が頑強なのがかえって祟り、病みついてからも、何年も生きている。
かわいがってもらった記憶はないものの、父は少年が生まれたとき、それはそれは大喜びしたという。
少年がぴかぴかの玉のような赤ん坊だったからだ。
父は得意になり、観相家に赤ん坊を見せた。
観相家は、
「まれにみる美しい赤ん坊です。鼻のかたちもすっきりして、両目も星のように輝いている。知恵の盛んなあかしです。耳たぶもふっくらしておりますから、きっと長寿を得るでしょう」
と、絶賛をしたそうだ。
少年の父は、すっかり気をよくして、末子のかれに「雲」と名付けた。
美しく、盛んであるようにとの期待を込めて。
少年は、期待にたがわず聡明な美しい子に育った。
だが、ざんねんなことに、父は、自分の末子である少年のことが、もうわからない。
領地の管理は、少年のいちばん上の兄がおこなっていた。
ただし、この長兄は気の優しいひとで、もともと領民を厳しく取り締まるのに向いていないかった。
長兄は無理をしながら毎日の仕事をこなしていたものの、これまたざんねんなことに、小作人たちは兄をどんどん侮っていくばかりだ。
※
雲は、今日も千回、槍を振った。
誰に教えられたわけでもないのだが、雲は、槍が上手になるためには、毎日くりかえし練習する以外に道はないということを確信していた。
幼馴染みや近所の悪童たちは、雲の行動を面白がり、たまにかれの練習につきあうが、すぐに飽きてしまう。
またざんねんなことに、雲には、よい師匠がいなかった。
雲の槍の稽古を飽きずに見てくれるのは、柵のところにぽつんと置かれた髑髏だけである。
ぽっかり空いた眼窩は何も語らない。
雲も、そのしゃれこうべに物語を見いだせない。
だが、なぜかそれがそこにあることが気に入って、いつも柵のところにおいて、師匠の代わりをさせているのだった。
その日は、重く垂れ込めた空の下、雪が降りてくるのを、息を殺して待っているような、寒い寒い初冬の日であった。
「ぼうず、なかなか筋がよさそうじゃないか」
不意に声をかけられて、雲は槍を止めた。
そうして、怪しんで、声をかけてきた男を見る。
見たことのない男であった。
小洒落た格好をしている。
垢抜けない陰鬱とした田舎の集落には、まったくなじまない雰囲気の男である。
波飛沫と二匹の魚が向かい合う意匠の、派手な帯飾りをぶらさげて、青白い顔に、丁寧に手入れされた髯をたくわえている。
二十代半ばくらいだろうか。
つづく
こちらは毎週水曜日、週1回ペースでゆっくり更新します。
次回も見てやってくださいませ。




