失われた時の相模原(3)
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十一月の半ばになっても、五星塔子からの返事はなかった。
渡米し、新しい生活を始めたばかりとはいえ、「もう逃げたり、隠れたりしないから」と迷いのない声で話していた塔子が、こちらからのメールをひと月以上も放置することは考えにくかった。
同時多発テロが発生した九月十一日からは、もう二ヶ月が経っていた。
シマからの追加の連絡はなかったが、同じ立智大学に通う土佐ミチスエからも、シマが電話で話していたのと似たような内容の噂が伝わってきていた。
最新の新聞を見てみても、バックナンバーを読み返しても、立智大学のウェブサイトを覗いてみても、塔子の安否に関する確かな情報は得られなかった。できることは、もう限られていた。
講義のない日を選んで、塔子の実家がある新百合ヶ丘に向かった。
休日の駅前は賑やかだった。喧騒を離れ、デッキの上を進んだ。大型の商業施設が連なるデッキから地上に下りた。信号が変わるのを待ち、横断歩道を渡った。どこまでも平坦なデッキの上とは違い、地上は坂が多かった。
交差点を左に曲がり、白いガードレールで車道と分けられた歩道を進んだ。屋根付きのバス停を通り過ぎる。大型のマンションや団地が建ちならぶ地区を抜けると、きれいに区画整理された新興住宅街に出た。
路地に入り、プリントアウトした地図と、番地を示すプレートを照らし合わせながら歩く。地図上には、塔子の実家の住所の位置に、赤い矢印マークが示されていた。
賑やかな駅前とは打って変わった閑静な住宅街だった。その中にある、一軒のモダンな戸建て住宅の前に立った。
レンガ組みの門があり、右手に庭があるようだった。表札を見た。「五星」と刻まれていた。
インターホンを押すのはためらわれた。ここに来た目的は、立智大学で妙な噂が広がっている五星塔子の、本当の安否を確認することだった。
ボタンを押すことで、それを明らかにするのが怖かった。門の前を何度も行き来した。
逡巡しながら、何度目か門の前に立った。そのとき、右手の庭の方から玄関前に戻ってきた男が、玄関の金属製の扉に手をかけるのが見えた。
塔子の父親のようだった。この機会を逃せば、もうインターホンのボタンを押す勇気は、湧いてきそうになかった。意を決して、男の背中に声をかけた。
「あの、すいません……」
「取材ならお断りして……」
男は半身の姿勢のままそう答えながら、振り向いてこちらに目をやった。
「……あ、これは……」
背中から声をかけたのが、想像していたよりずっと若い人間だったからか、男は動きを止めたまま、戸惑ったような表情を見せていた。
「あの、僕、塔子さんの浪人時代の友人で、ヤマトと言います」
「塔子のお友達……、これは失礼した。申し訳ない。私も、妻も、このところマスコミの取材に過敏になってしまっていて……」
男の見せた態度と言葉が、既に塔子の安否を半ば物語っているようだった。胸の奥に、重いものがつかえるのを感じた。
男に促され、気持ちを引き締めながら家の中に入った。白い壁の廊下を進み、正面の扉から居間に通された。
棚の上に、初めて見るキリスト教式の祭壇があった。背面の木製ボードに金の十字架が掲げられている。その前に、木枠の写真立てがひとつ置かれていた。
そこに五星塔子の写真が入っていた。家族写真ではなく、塔子がたった一人で写っている写真だった。
その意味を黙ってかみしめていた。塔子は本当に死んでいた。
写真の中の塔子は、柔らかい笑顔を浮かべていたが、よく知っている彼女より、少し幼い表情をしているようにも感じられた。
居間のソファに、塔子の父親と向かい合うように座った。
塔子の母親がお茶を入れてくれた。彼女はソファには着かず、こちらに一度深いお辞儀をして、カウンターキッチンの方へ戻っていった。
塔子の父親が口を開いた。
「浪人の時のお友達といったね。町田の湘北予備校の」
「そうです」
「今回のことは、どうやって?」
「立智大学の知り合いから聞きました」
「そう」
塔子の父親は納得したようにうなずいた。
「私も妻も、娘を亡くした悲しみを、しばらく静かに受け止めたいと思っていてね。政府や報道機関、それと立智大学にも、塔子の名前の公表を控えるようにお願いしたんだ」
「そうでしたか」
新聞に載っていた、同時多発テロの日本人の犠牲者の中に、五星塔子の名前がなかった理由が分かった。
「でも、親戚や関係者には、もちろんこちらから伝えているし、それ以外でも伝わるところには、色々なルートから伝わっていくものだね。
今でも雑誌の記者がたまに訪ねてくるんだ。それで、さっきは失礼なことを……」
「い、いえ」
我が子を失った悲しみを静かに受け止めようとしている塔子の両親を前にして、こちらから発することができる言葉など何もないように思えた。
塔子の父親は、彼女が事件に巻き込まれた経緯を話しはじめた。
「塔子は、ペンシルベニア州のシャンクスヴィルという場所に墜落した一機に乗っていた。同じ機に、もう一人日本人が乗っていたみたいだけど……」
「……」
大学の図書館で見た、小さな新聞記事を思い出していた。
「娘の死は、政府からの連絡があった後、妻と二人で渡米して、現地で確認した。
街から外れた林のような場所だったけど、いま思い出しても震えが止まらないほど、無残な光景だった。
ほとんど……、まともな跡も残らなかった」
彼の話す声が聞こえていたのだろう。塔子の母親がカウンターキッチンを出て、手で顔を押さえながら居間を出て行った。廊下から嗚咽が漏れ聴こえた。
話を続けようとする父親の声も震えていた。
「……塔子がその機に搭乗していたという決め手は、指輪だった。そこにあの子の名前が、アルファベットで刻印されていたから」
(指輪……。)
アカアオボシのライブを観たグリーンホールの隣の席で、夜の中央公園で、塔子が左手の薬指にしていた銀の指輪が思い出された。
あのとき強引にでも日本に引き止めることができていたら、塔子は死なずに済んだ。
しかし、それで彼女が幸せだったのかどうかも、分からなかった。
塔子の両親を前にして身体の中で抑えようとしていた感情が、彼女と過ごした短い時間の記憶に引きずられて、堰を切ってあふれ出しそうになっていた。
何か声を出さなければ、そのまま内面が壊れてしまいそうだった。
「……あの、アメリカに、先に留学していたという彼は……」
父親が急に表情を崩した。柔らかいまなざしに変わった。
「それも知ってたのか……」
それまでずっと、突然訪ねてきた目の前の男と、自分の娘との距離を測りかねていたような反応だった。
「彼は、留学先の大学近くにいて無事だった。彼の落ち込みようも相当なものだったが、彼はまだまだ若い。早く立ち直って、新しい人生を送るように、私たちからも話した」
「……そうですか」
「ヤマトさんは、浪人の時のお友達だったね」
「はい」
「浪人生としての一年間は、君の人生にとって、高校と大学の間の、あくまでも『迂回路』だったんじゃないかと思う。
彼と同じように、君も若い。この先の人生のほうがずっと長いだろう。
だから塔子のことは、そんな寄り道のような時間の記憶として、そっと心のどこかにしまっておいてほしい」
塔子の父親が使った「ウカイロ」という言葉が、胸の奥にこびりついた。
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〈著者・秋沢ヒトシのプロフィール〉
秋沢一氏 /コピーライター、作家。小説『見えない光の夏』で第3回立川文学賞・佳作。ラジオCMコンテストでの受賞歴少々。お問い合わせは、「作家 秋沢」で検索するか、以下のアドレスでアクセスできる、ウェブサイトのフォームから。https://akisawa14.jimdo.com/




