新しい季節の東京(8)
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八月に入り、五星塔子から携帯にメールが届いた。
メールアドレスは、塔子が前に使っていたのとは違う携帯電話会社のものだった。
『五星です。ずっと連絡しなくてごめんなさい。アメリカに留学するのは本当です。九月からの学校に間に合うように今月末には渡米します。いまは沼津から新百合ヶ丘の家に戻って、渡米に向けて準備をしています。
そして、これはヤマトくんに言ってなかった、いや言えずにいたことなのですが、私には向こうで一緒に暮らす人がいます。高校一年生の頃から付き合っている人です。アメリカでその人が待っています。
二歳年上の彼は、去年の八月、大学三年生の夏にアメリカに留学しました。ヤマトくんと私が浪人生として勉強していた、去年の夏のことです。
静岡から東京の大学に進学した彼を追いかけて、彼と一緒に東京の大学に通いたい一心で立智大学をめざしていた私は、彼の留学によって目標を失いました。そして迷いました。
寂しさからヤマトくんを立智大学の受験に誘い、結果としてヤマトくんに迷惑をかけてしまうことになりました。初めから本当のこと、彼がいることを話さなかった私がいけなかったのです。
だから私は、もうヤマトくんに会うことはできない、むしろ嫌われてしまう方がいい、黙って消える方がいいと考えました。冷たく接したり、メルアドを変えたのはそんな理由からでした。
私は友達として、ヤマトくんに最低のことをしてしまいました。ライブの話はとても魅力的ですが、私には選ぶ資格がありません。』
メールの最後には、携帯の電話番号が記されていた。この番号も、立智大学の放送研究会・リッチモンドの部室でシマに見せてもらったものとは違う番号だった。
家を出て、夜の街を歩いた。音信不通だった塔子がようやく返事をくれた嬉しさと、そのメールが告げている内容の残酷さが頭の中で渦巻いていた。
明かりの落ちた中学校の横を通り、県立高校のグラウンド脇に抜けた。歩行者と自転車が選り分けられた小路を茫然と歩き、大小二つの野球場がある淵野辺公園の敷地内に入った。
円形の相模原球場の外野の弧に沿って砂利道の上を力なく歩いていく。金網のフェンスが見えた。ひばり球場の芝生の剥げた外野に目をやりながら、バックネット裏のベンチに腰を下ろした。
(『私には向こうで一緒に暮らす人がいます』『アメリカでその人が待っています』)
何度繰り返し読んでみても、携帯の画面に表示されたデジタルな文字が伝えている内容は少しも変わらなかった。深呼吸をして、メールの最後に記されていた番号に電話をかけた。
何回かの呼び出し音の後、電話がつながった。
「はい」五星塔子が電話に出た。
「もしもし。ヤマトです」
「ヤマトくん? ……電話くれてありがとう」
塔子の暗く沈んだ声を聴き、彼女に笑ってもらいたくて、わざとおどけた口調で言った。
「ああ。ホンモノだ。ホンモノのDJペンタゴンさんの声だ。いつもラジオで聴いてたDJペンちゃんの声が電話から聴こえてくると、なんだか不思議な感じがするなあ」
重苦しく滞留していた時間を一気に巻き戻したかのように、電話の向こうで塔子が笑った。
浪人時代の静かで坦々とした時間の中にいるならば、そんな他愛のない会話がずっと続きさえすればよかったのだが、さっき塔子からもらったメールを受けて、いま彼女と話さなければならないのはそんなことではなかった。
「五星さん。メール読んだよ」
「ごめんなさい」
塔子が謝って黙り、また会話に重苦しい空白ができた。
「ひとつだけ訊いてもいいかな? これだけは、オレ、はっきりさせておきたいんだ。五星さんがオレを立智大に誘ったのって……、五星さんが英治大を受けたのって……」
「ごめんなさい。私、ヤマトくんと一緒にいると、本当に安心して勉強できた。いつか『オレの地元の友達もみんな五星さんの仲間だよ』って言ってくれたでしょ。
知ってる人が一人もいない町田っていう街にきて、たった一人で浪人生活を始めた私には、本当に嬉しい言葉だった」
「でも、それはオレが、五星さんのこと……、好きだったから……」
沈黙が訪れた。塔子が言葉を選んでいるのが分かった。
「私は……。私は……、夏に、彼が私を日本に置いて一人でアメリカに行ってしまった寂しさから、いつも私に優しくしてくれるヤマトくんの気持ちを利用してしまったのかもしれない……」
(去年の夏、塔子が夏期講習を長く休んだのは、このことが原因だったのだろうか?)
「じゃあ。つまり、オレを、彼の代わりにしようと……」
「ごめんなさい。ヤマトくんを立智大に誘って、ヤマトくんはそれに乗ってくれたけど、
ある時ふと、元々英治大に行きたがってたヤマトくんは、もし両方に受かったら英治大に行っちゃうんじゃないかって思ったの。
私は、独りになるのが怖かった……。それで、こっそり英治大を受けて……」
「英文科じゃなくて、法学部を?」
「ヤマトくんも、立智大の文学部を受けてくれたから、私もヤマトくんに合わせたくて……」
塔子が去年の秋頃から、明らかな好意を寄せてきていたのは、感じていた通りだった。
「そうだったのか……。よく分かったよ。でも、そこまでオレのことを大切に想ってくれていたのに、どうして受験の後、オレのほうを向いてくれなかったの?
新横浜の祝賀会場で話したみたいに、別々の大学に通ってたって、付き合うことはできるのに……」
「それは……、これを話すと……、ヤマトくんを余計に傷つけちゃうかもしれないから……」
「いいよ。かまわないよ。聞きたいから」
塔子は一呼吸おいた後、覚悟を決めたように話しはじめた。
「立智大と英治大の試験が終わって、合格発表を待っていた頃、アメリカの彼が珍しく国際電話をかけてきたの。
その電話で『こっちに来て一緒に暮らさないか? 半年間、大学で勉強しながら、二人で暮らすための準備をしていたんだ』って言われて。
彼が私のことなんて何も考えず一人でアメリカに行ってしまったと思い込んでいた私は、彼のその言葉にぐらついてしまった……。ヤマトくんのこともあったから、それからひどく悩んでしまって。
そのうちに試験の結果が出て、私が英治大の法学部に落ちて、ヤマトくんも立智大の文学部に落ちたと丹波チューターから電話で聞かされた時、私は、これが運命なんだって感じたの。
いずれにしてもヤマトくんと同じ大学には通えない運命だったんだって。自分勝手な都合でヤマトくんを立智大の受験に誘ったのは間違ってたんだって、そう思った……」
「……」
「でもそこから、私は卑怯だった……。優しいヤマトくんを怒らせるのが怖くて、すぐにメルアドを変えて……。それでも、ちゃんと話さなくちゃいけないって気持ちはあったから、勇気を出して新横浜の祝賀会に行ってみたけど、
ヤマトくんから先に『別々の大学でも付き合えるから』っていうようなことを言われてしまって、もう本当のことは話せなくなっちゃって……。
それで逃げまわって、余計にヤマトくんを傷つけて……。私は卑怯で……」
塔子が前置きしていたように、本当のことを知ることは、胸の奥をえぐられるようで痛かった。
「もういいよ。よく分かったよ。ちゃんと話してくれて、ありがとう」
「怒らないの? ヤマトくん、どうして怒らないの?」
(怒ったら、オレが怒ったら、君は日本に残ってくれるのか?)
「オレだって悲しいけど。泣きたいくらい悲しいけどさ。でも、彼氏の代わりでもなんでも、たとえ一瞬でも五星さんがオレの方を向いてくれたってことは、本当に嬉しいから。
ただ、五星さんさえよかったら、友達としてでもなんでもいいから、今度のアカアオボシのライブには来てほしいよ。
このまま会えなくなっちゃうなんて寂しすぎるから。あの日の約束、アメリカに行く前に、最後にかなえさせてくれないか?」
塔子は、少し考えるように、短い間を置いてから答えた。
「うん。分かった」
五星塔子と会う最後の機会になるかもしれないライブの約束をして電話を切った。
五章「新しい季節の東京」篇は、ここまで。物語は、二度目の夏を進行中。「評価」「ブックマーク」「感想」などいただけますと、とても励みになります。よろしくお願いします。(秋沢)
〈著者・秋沢ヒトシのプロフィール〉
秋沢一氏 /コピーライター、作家。小説『見えない光の夏』で第3回立川文学賞・佳作。ラジオCMコンテストでの受賞歴少々。お問い合わせは、「作家 秋沢」で検索するか、以下のアドレスでアクセスできる、ウェブサイトのフォームから。https://akisawa14.jimdo.com/




