新しい季節の東京(7)
長い廊下を反対の北側まで歩くと、飾り気のない金属製のドアにベイサイドFMのロゴプレートが貼られていた。
想像していたラジオ局のイメージとは、だいぶ違っていた。
ドアをノックしてみたが、中から返事はない。再びノックをしてから、遠慮がちにゆっくりドアを開けた。
部屋の中の電気はついていた。正面には小さな医院のような下駄箱があり、その上に放送のスケジュール表や音楽イベントのビラが置かれていた。
奥には四人がけのテーブルが二つと、棚には大量のCDと書籍が並んでいた。
受付のようなものがあり、下手をすれば立智大学の事務室の時のように門前払いされるかもしれないと想像していたのに、留守番すらいる気配がない。
耳を澄ますと、ラジオ番組のような音声が小さく遠くから聴こえてきている。玄関の脇にスリッパがあったが、勝手に上がるのも気が引けて、中に向かって何度か呼びかけた。
「すいません。あの、すいません」
何度目かで、遠くから薄く聴こえていた音声が急に止まり、左側に並んだ二つのスタジオらしき部屋のうち、
ドアが開いたままになっていた部屋の方から、キャスター付きの椅子に座った初老の男が、のけぞるような姿勢で顔を出した。
「あ、あれ?」
男は目をパチパチとさせ、イヤホンを外して部屋から出てきた。ポロシャツに短パンというラフな服装で、白髪まじりの長い髪を後ろでしばっていた。
「えっと。どちらさん、でしたっけ?」
声を聴いて、その男がキャンパス・ラインのDJヒゴだということが分かった。若者向け番組の軽妙なトークから想像していたのとは違い、強面な印象の初老の男だった。
「あ、あの、勝手に入ってすいません。僕、日曜日の『キャンパス・ライン』のリスナーです」
自宅に送られてきたベイサイドFMの番組ステッカーを何枚かヒゴに見せた。
「ヤマトといいます。神奈川県の相模原から来ました」
「ああ、なんだ、あんたか。ラジオネーム『ニッポンの大学生』さんだ。いつも放送エリア外の相模原からメールを送ってくる謎の学生。
完全な放送エリア外なのに、一体どうやってベイサイドFMの番組を聴いてるのか、ずっと不思議に思ってたんだ」
「僕、GOマーケティングというリサーチ会社でバイトしてて、それで……」
「ああ、なるほど。橋本五差路のGOマーケティングか。それで謎が解けたよ」
ヒゴの反応から、GOマーケティングがラジオ業界では有名な会社だということが漠然と分かった。
「上がって」とヒゴに言われ、靴を脱いで中に入った。玄関から死角になっていた部分に巨大なミキサー卓が置かれていて、ガラス窓の向こうに明かりの消えたスタジオが見えた。
ヒゴが出てきた部屋は編集用のサブ・スタジオのようだった。
「オレは、ベイサイドFMのプロデューサー兼ディレクター兼DJのヒゴ。うちは地方のコミュニティFM局だからね。編集から雑用からDJまでを一人でこなしてる『何でも屋』だよ」
白いテーブルのパイプ椅子を指さして座るように促しながら、ヒゴは続けて言った。
「GOマーケティングの社長とはちょっとした知り合いでね。彼が、あの会社を立ち上げたときにも、いろいろ相談を受けたりしてたんだ。
当時彼は、あの会社の社名を、所在地の橋本五差路からとって、『GOSAROマーケティング』にしようとしてたんだけどね、それはやめたほうがいいんじゃないかってアドバイスしたんだ」
「は、はあ」
「だって、リサーチ会社なのにさ、『GOSA』っていう響きは、『誤差』みたいで縁起悪いじゃない?」
「ああ、なるほど」
「だから、結局『GOSARO』の『GO』だけ残して、『GOマーケティング』になったんだよ。このほうが、少しはポジティブな感じになるからね」
向かい合うようにして座ったヒゴに、ベイサイドFMのDJペンダゴンこと五星塔子が浪人時代の友達であること、
メールでの連絡が途絶えてしまったこと、立智大学のキャンパスまで行っても何の手がかりもつかめなかったこと、
GOマーケティングの録音テープで偶然ベイサイドFMのキャンパス・ラインを聴いて塔子がアメリカに留学することを知ったことなどを説明した。
ヒゴは渋い表情を浮かべ、腕組みをしながらこちらの話を聞いていた。
そして、ずっと気になっていたことをヒゴに尋ねた。
「番組でメールが読まれた時、五星さんは、僕の本名や住所を見てたんでしょうか?」
ヒゴはすぐに首を横に振った。
「見てないよ。ペンちゃんに読んでもらう原稿は、ほとんど全部、事前にこっちでまとめて渡してたから」
「じゃあ、『ニッポンの大学生』が僕だということを、彼女は知らないんですね」
「ま、そういうことになるね」
短く答えると、ヒゴはすぐに黙ってしまう。暗い表情を浮かべている。五星塔子について何か知っていそうな雰囲気だった。
「彼女の連絡先を教えてくれとは言いません。でも、僕が五星さんを探していることだけでも、彼女に伝えることはできないでしょうか? この手紙を渡すだけでもいいんです」
ヒゴは腕組みをしたまま考え込んでいる。
「ずっと連絡が取れていないんです……。どうか、よろしくお願いします……」
ヒゴに頭を下げた。
「分かった。わざわざ沼津までやって来た君の行動力に免じて、その手紙を預かるだけは預かるよ。
ただ、これが確実にペンちゃんの手元に届く保証はないし、届いたとしても彼女から何の反応もないかもしれない。たとえ、もしそうなったとしても、誰のせいにもしちゃだめだ。
君が、そのことをちゃんと理解してくれるというなら、その手紙は預かるよ」
ヒゴに手紙を託し、もう一度頭を下げて席を立った。玄関で靴を履いた。
「すぐに相模原に帰るの?」ヒゴが訊いた。
「終電まで沼津にいます。可能性は低いですけど、この街に少しでも長くいる方が、少しでも早く五星さんに会えるような気がするので。
大学の定期試験が近いんで、どこか喫茶店にでも入って、夜まで勉強しようと思ってます」
「そうか。沼津港の飲食店街まで行けば、安くてうまいものが食べれるからさ。もし時間あるようなら、ちょっと見にいってみなよ」
ヒゴはそう言って、飲食店街の店の割引券をくれた。
「沼津は、いい街だからさ。せっかく来たんだし、少しはいい思い出も作って帰ってあげてよ」
ヒゴに礼を言って、ベイサイドFMを後にした。
南に伸びる通りを沼津港まで歩き、飲食店街の店で海鮮丼を食べた。
その後、潮の匂いが香る海岸沿いの公園で、童謡の石碑を眺めてしばらくの時間を過ごした。海の風を思いきり吸い込むと、ざわついていた心が落ちついてくるような気がした。
駅前の商店街まで戻り、カフェに入って刑法総論のレジュメを開いた。
隣の席の話し声が多少気にはなったが、浪人時代の受験勉強で鍛えた集中力でレジュメを丸暗記した。塔子のことはヒゴに期待して待つしかなかった。
夜になるまで何軒かのカフェをはしごして刑法総論の勉強を続けたが、結局、塔子からの連絡はなかった。
カフェを出て、沼津駅に向かう道を歩きながら、塔子に宛てた手紙の中身を思い返していた。
『五星塔子さんへ。五月に送ろうとしたメールが届かなくなり、それからずっと心配してました。
バイト先のマーケティング会社で偶然ベイサイドFMの番組を聴きました。秋からアメリカに留学するというのは本当ですか? そしていま君は、どこにいるのですか? お願いですから連絡をください。
追伸、八月に相模大野のグリーンホールでアカアオボシのライブがあります。
受験が終わったら一緒に遊びにいくという約束、もしも留学の話が本当なら、五星さんがアメリカに旅立ってしまう前に、よかったら叶えさせてください。』
終電の時刻になり、沼津駅から東海道本線の電車に乗った。
(この街に、五星塔子はいるのか。この街のどこかに。)
駅を出発した電車の窓から、日が暮れて、夜の闇の中に沈んでいる沼津の街の景色をずっと眺めていた。
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〈著者・秋沢ヒトシのプロフィール〉
秋沢一氏 /コピーライター、作家。小説『見えない光の夏』で第3回立川文学賞・佳作。ラジオCMコンテストでの受賞歴少々。お問い合わせは、「作家 秋沢」で検索するか、以下のアドレスでアクセスできる、ウェブサイトのフォームから。https://akisawa14.jimdo.com/




