新しい季節の東京(6)
七月も半ばを過ぎた。大学の定期試験が近づいてきていたので、七月のアルバイトは今日で最後ということにしていた。
いつものように一週間遅れのベイサイドFMを聴きながら、番組のオンエア・リストを作ろうと、テープをデッキにセットしヘッドホンを耳にあてた。
「みなさんこんにちは。DJヒゴです。今週もキャンパス・ラインが始まりました。今日も県内の大学や専門学校に通う学生DJと一緒に、生放送でお送りしていきます。
ええと、今日はちょっとはじめに、DJペンタゴンさんの方から大切なお知らせがあるということで……」
「はい。五月から、アシスタントとして参加させていただいてきたこの番組を、今週の放送で卒業することになりました。とても短い間だったんですけど、本当にお世話になりました」
「うーん、ちょっと寂しいですけど。なにしろペンちゃんは、アメリカに留学をされるということで。いつからですか?」
「秋ごろです。留学に向けて、色々と準備をしなければならないので……」
「そうだよね。海外留学となればね。じゃ、今日は最後の放送ということで、アメリカに留学するというDJペンちゃんに励ましのメッセージをください。ファックス番号は……」
デッキのボタンに指をかけ、ヘッドホンをしたまま、その場で固まりそうになっていた。
(アメリカに留学? 大学に入ったばかりなのに、アメリカに留学?)
様々な疑問が頭の中を駆けめぐった。それが直接聞いた話ではなく、ラジオ番組の、それも録音された一週間遅れの放送だったことで、まるで何かの芝居を見ているかのような感じがした。
ざわついた心を落ちつかせながら、なんとか残りの仕事をこなした。
おぼつかない足どりでGOマーケティングの社屋を後にして、夕暮れ過ぎの住宅街の路地を歩き、橋本駅から東神奈川方面行きの電車に乗った。
電車が相模原駅を過ぎると、線路の北側に沿って延々と壁が続く。進行方向左側の窓から、夜の暗がりの中に沈んだ相模総合補給廠が見えた。電波塔の先端が赤く冷たい光で点滅していた。
(五星塔子がアメリカに……。この壁の向こうのアメリカに……。)
茫然とした意識のまま家に戻り、机の上のカレンダーを眺めた。
さっきGOマーケティングの社内で聴いたキャンパス・ラインは、先週の日曜日に放送されたものだった。当日の生放送から既に一週間以上が経っていた。
ベイサイドFMのウェブサイトを見てみたが、五星塔子が現地レポーターを担当していた昼の帯番組の出演者情報は何も更新されていなかった。
塔子がまだ沼津にいるのか、新百合ヶ丘に戻ってきているのか、よく分からなかった。大学の定期試験が始まる日までは、あと一日だけ余裕があった。
(行こう、沼津に。ベイサイドFMに。)
五星塔子宛の手紙を書いた。もしも沼津で塔子に会えなかったり、何の手がかりもつかめなかった場合に、彼女と連絡が取れそうな人に託すための手紙だった。
『五星塔子さんへ。五月に送ろうとしたメールが届かなくなり、それからずっと心配してました。
バイト先のマーケティング会社で偶然ベイサイドFMの番組を聴きました。秋からアメリカに留学するというのは本当ですか? そしていま君は、どこにいるのですか? お願いですから連絡をください。
追伸、八月に相模大野のグリーンホールでアカアオボシのライブがあります。
受験が終わったら一緒に遊びにいくという約束、もしも留学の話が本当なら、五星さんがアメリカに旅立ってしまう前に、よかったら叶えさせてください。』
湘北予備校の合格祝賀会が行われた新横浜のホテルのロビーで塔子に渡したメモと同じように、思いつく限りの連絡先を書き添え、手紙を封筒に入れて封をした。
そしてカバンの中に、試験初日の科目・刑法総論のレジュメと一緒に大切にしまった。
▽
翌朝、相模原の家を出て、淵野辺駅から東神奈川方面行きの電車に乗った。
三〇分ほどで新横浜駅に着いた。三月に、最後に五星塔子の姿を見た街だった。あの日この場所で途切れた塔子の影を、再びこの街から探しにいこうとしていた。
駅の構内を移動し、新幹線の改札を通った。高架ホームに出て東海道新幹線に乗った。
新幹線は、風景を猛スピードで置き去りにしながら西に進んだ。住宅地を通り抜け、時折顔を出す高速道路の高架と並行するように走った。
藤沢、寒川、平塚を過ぎ、いくつもの短いトンネルを抜ける。小田原を過ぎ、長いトンネルに入った。箱根の山を迂回するように抜けて熱海に達し、さらに伊豆半島の根元を横断して三島駅に着いた。
三島駅で新幹線を降り、東海道本線に乗り換えた。一駅五分ほどの道のりを行き、沼津駅に着いた。
初めて訪れた駅の構内を不慣れな足どりで歩き、南口に出た。見上げると、抜けるように青い七月の空が広がっていた。
(この街に、五星塔子はいるのか。この街のどこかに。)
駅前の案内地図とパソコンからプリントアウトしてきたベイサイドFMの地図とを見比べた。出口が間違っていないことを確かめた。
小さな植栽を囲むように造られた駅前ロータリーにはタクシーが並び、反対側にはバスターミナルがあった。正面にはデパートの建物が見える。
ロータリーの中を徐行で進もうとするタクシーをよけながら、長い横断歩道を駅の反対側に渡った。
デパートの脇を進んで再び手元の地図を見る。そのままアーケードが続いている商店街の方へ向かった。アーケードが途切れた先には、車道沿いに街路樹が続いている。
ホテルの建物を通りすぎて交差点に出ると、左方向にアーチ型の橋が見えた。川風の気配を感じた。
その横断歩道の反対側の敷地に、青空の中へまっすぐ伸びる白い壁の高層ビルがあった。それが、ベイサイドFMが入っている建物だった。
着いたのは昼頃だった。緊張しながら建物の中に進み、エレベーターフロアに入った。フロア案内板の六階にベイサイドFMのロゴを見つけた。エレベーターに乗り、六階フロアで降りた。
正面はケーブルテレビ会社の営業所のようだった。左右に長く伸びる廊下を左側に進んだ。目についた出入口らしいドアには何の表示も掲げられていなかった。
建物の中に入り、方向音痴になってしまっていたようだったが、廊下の端のガラス窓から明るい日の光が見えたので、そこで初めて南に進んでいたことが分かった。
ガラス窓に近づき、外に目をやった。六階からの視界は広く、大きく湾曲して入江に注ぎ込む川と、それを受け止める駿河湾の青い海原が目に飛び込んできた。
海沿いには緑が残っている。遠く沼津の港を望むことができた。
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〈著者・秋沢ヒトシのプロフィール〉
秋沢一氏 /コピーライター、作家。小説『見えない光の夏』で第3回立川文学賞・佳作。ラジオCMコンテストでの受賞歴少々。お問い合わせは、「作家 秋沢」で検索するか、以下のアドレスでアクセスできる、ウェブサイトのフォームから。https://akisawa14.jimdo.com/




