新しい季節の東京(4)
六月に入っても、密かに期待を寄せていたシマやミチスエから、五星塔子についての新しい情報が入ってくることはなかった。
立智大学の池袋キャンパスにまで乗り込んだのに、塔子につながる手がかりが何も得られなかったことで、猛烈な虚脱感に襲われていた。
大学やサークルからは足が遠のき、ただ機械的にこなすことのできるGOマーケティングのアルバイトに没頭する日々が続いた。
そんな中、菊原美月から連絡があった。「話したいことがあるのでうちに来ない?」と誘われたが、「外で会おう」と返事をした。
町田のいつもの定食屋で美月と会った。
「四月に草津へ帰った時に、母親の知り合いに紹介してもらった地元の福祉施設の認定療法士の先生から、今度、音楽療法士のアシスタントに空きができるから来ないかって誘われてて……」
「そ、そうか。いつから?」
「秋から来てくれないかって言われてるの。だから九月には……」
(秋にはいなくなる。美月さんが……。町田から……。)
「そ、そうか。よかったじゃないか。就職が決まって」
美月はこちらの言葉を静かに受け止めて、かみしめるような口調で言った。
「やっぱ。やっぱ、とめてくれないか……」
美月が気まずそうに舌を出した。
「そうだよね。私バカだ。ちょっとだけ期待しちゃってた。『どこにも行くなよ』とか言ってくれるんじゃないかって……」
「え? だって……。美月さん。ずっと就職活動、頑張ってたじゃないか? 音楽療法の勉強だって……。やっと夢が実現できそうなのに、オレにはとめられないよ」
GOマーケティングのイナバからも生の声として聞いていた、現在の就職状況の厳しさが、そんな言葉を言わせていた。
そして、ふがいなさをかみしめていた。
美月が手の届く場所から離れていく寂しさを身に沁みるように感じながらも、三月の新横浜で手ひどく振られたにもかかわらず、今もなお五星塔子の影に囚われてしまっているふがいなさだった。
「美月さんに会えなくなるのは、もちろん寂しいよ。でも、美月さんは、相手の気持ちがよく分かる人だから、とっくに感づいていたと思うけど……。
オレ、正直、今までもちゃんと美月さんのほうを向けてなかった。このままだと、オレ……、いつまでも美月さんの優しさにばかり、甘えてしまうことになる……」
「もういいよ。もうそれ以上言わないで。余計に、悲しくなっちゃうだけだからさ……」
「……」
「もういいよ。いいから。でも、最後にひとつだけお願いを聞いてもらえないかな」
美月がいつも以上に優しい口調で言った。
「私がこの街を出る最後の日、見送ってくれないかな? そしたら、ヤマトくんのこと、ずっと好きでいたこと、きれいな想い出にできると思うから」
二人で店を出た。
笑顔で背中を向けて歩き出した、菊原美月の小さな肩が泣いていた。
▽
淵野辺駅からJR横浜線の八王子方面行きの電車に乗った。
五星塔子との連絡は完全に絶たれ、菊原美月が秋には町田の街から去っていくことが決まり、心が空まわりし続けていた。
進行方向右側のドアに力なく寄りかかり、窓の外の景色をぼんやりと眺めていた。
上部に有刺鉄線の張られたブロック塀が、線路の北側に延々と続いているのが見えた。それは在日米軍の相模総合補給廠だった。
その長大なコンクリート壁に囲われた空間は、ずっと目の前に存在している、いちばん近くにあるアメリカだった。
橋本駅で電車を降り、国道16号の橋本五差路近くにあるGOマーケティングの社屋に入った。そしてひたすら機械的な作業に没頭し、黙々とエクセルのオンエア・リストを作りつづけた。
棚からラジオ番組が録音されたテープを席までもってきて、デッキに入れる。
ヘッドホンをしてテープを再生し、早送りボタンと停止ボタンを繰り返し押しながら、知っている曲ならすぐにデータベースと照らし合わせて、オンエアされた曲の楽曲名・アーティスト名をエクセルのファイルに入力する。
手を動かすたび、オンエア・リストは完成に近づいていった。
デスクのカイに指示された通り、地方のコミュニティFM局の番組を中心に次々とオンエア・リストの作成をこなしていく。
そのうち山勘で曲がかかるところを頭出しできるようになるとカイは話していた。二ヶ月ほどではまだまだその域に達することはできないようで、いつも中途半端なところから曲を聴いてしまっていた。
それでも作業スピードは徐々に上がってきているようだった。
地方のコミュニティFM局の番組の中には、DJも曲紹介もなしにひたすら曲だけを流しつづけるような番組もあった。
そういう番組は、DJのトーク部分を飛ばす必要がない分、曲紹介がないので、知らない曲が連続でかかってしまうと、その都度カイのところに確認にいかなければならず面倒だった。
カイに指示された放送局のオンエア・リストを作り終えたので、次に同じコミュニティFM局の棚にあったベイサイドFMという放送局のテープを手にとった。
デッキに入れ、再生ボタンを押した。
「みなさんこんにちは。DJヒゴです。さて、今週もキャンパス・ラインが始まりました。今日も県内の大学や専門学校に通う学生DJと一緒に、生放送でお送りしていきます。
さて六月に入りましたけど、六月といえば雨の季節ですね。僕は忘れっぽいので、よく電車の中に傘を忘れちゃうんですよ。ペンちゃんはどう?」
オープニング・トークが長引きそうだったので、早送りをしようとボタンに手をかけた。
「私もドジなんで、よく失くしちゃいますね。コンビニのビ……」
ボタンを押した。ペンちゃんと呼ばれた女性DJの声が一瞬だけ聴こえて消えた。続けてヘッドホンの中でキュルキュルというテープを早送りする音が聴こえる。
ボタンから手を離す。早送りした先で曲が流れていた。聴いたことのある曲だった。昔、テレビアニメの主題歌に使われていた女性シンガーの曲だった。
曲名が思い出せなかった。曲紹介のところまで戻そうと巻き戻しボタンを押し、テープを少し戻してからまた再生した。
「……だよね。ええと、じゃあこのへんでオープニングの一曲をお送りしましょう。リクエストがきてますね。それではペンちゃん、曲紹介よろしく」
「はい。駿河大学二年生『アキちゃん』さんからのリクエストです。
『雨の季節になると、いつもこの曲が聴きたくなります。アニメも大好きでしたが、CDもってないので、リクエストお願いします』
ということで、懐かしい曲ですね。今井美樹で『雨にキッスの花束を』」
再生を停めて、パソコンの画面でデータベースを検索する。曲名とアーティスト名をコピーして、エクセルの画面に流し込む。
そこでふと指を止めた。
声が誰かに似ていた。はじめは、よく聴くラジオ番組の女性DJの声に似ているだけのような気がしていたが、違った。
もう一度、曲名を探すためではなく、その声を聴くために巻き戻しボタンを押した。キュルキュルとテープが巻き戻る。
「……ですよ。ペンちゃんはどう?」
「私もドジなんで、よく失くしちゃいますね。コンビニのビニール傘とかだと簡単に失くしてしまいがちなので、
あえてちょっと値段の高い、高級な傘を買ってみたりすると、大切にしようという気が出てきて失くさないようになるって聞きましたよ」
「うん、それいいアイデアかもしれないね。どうせ失くすから安いのでいいやとか思ってると逆効果なのかも。
あ、リスナーの皆さん、ごめんなさい。ご紹介が遅れました。先月からアシスタントをやってもらってるDJペンタゴンさんです」
「あ、よろしくお願いします。DJペンちゃんこと、ペンタゴンです」
「そっか、でも傘って、高いのは果てしなく高そうだよね、ブランド品のやつとか……」
(似ている……。五星塔子の声に……。)
ヘッドホンを通して聴いた感じも、前に聖学館女子高校のウェブサイトで聴いた、塔子のNG集の声と雰囲気がよく似ていた。
オンエア・リストの作成が遅れてしまうので、「ベイサイドFM」という放送局名と、「キャンパス・ライン」という番組名だけを記憶に残して、また機械的な作業を続けた。
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〈著者・秋沢ヒトシのプロフィール〉
秋沢一氏 /コピーライター、作家。小説『見えない光の夏』で第3回立川文学賞・佳作。ラジオCMコンテストでの受賞歴少々。お問い合わせは、「作家 秋沢」で検索するか、以下のアドレスでアクセスできる、ウェブサイトのフォームから。https://akisawa14.jimdo.com/




