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ユレルサンカク  作者: 秋沢一文
四章
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旅立ちの日の新横浜(1)

【二〇〇一年 三月 旅立ちの日の新横浜】


 街の木々を揺らす風の中に、まだ寒さが残る春だった。


 淵野辺駅からJR横浜線に乗り、いつも降りる町田駅をそのまま乗り過ごした。窓の外に見慣れない街並みが現れては消えていくのを眺めていた。


 ホームに立つ人々の服装にも、線路沿いの草木や川面にも、二つの季節の色が混じり合っていた。


 新横浜駅で電車を降りた。大学の入学式用に買ったスーツを着て、よく知らない街を、湘北予備校の合格祝賀会が行われるホテルまで歩いた。


 上着の胸ポケットには、携帯の番号やメールアドレスをはじめとして、思いつく限りの連絡先を書き留めたメモを忍ばせていた。携帯をなくしたのか、あるいは壊してしまったのかもしれない五星ごせい塔子のためだった。


 ショッピングモールの長い回廊を抜けてホテルの建物に入った。


 湘北予備校の祝賀会場のドアを開けた。想像していたよりもずっと広い会場で、町田校以外の校舎からも学生たちが集まっているらしく、参加者はかなりの人数に達していた。


 会場に入り、歩きながらまず初めに塔子を探したが、なかなか彼女の姿を見つけられない。


 背の高い土佐ミチスエを見つけて声をかけた。ミチスエは第一志望だった立智りっち大学経済学部への入学を決めていた。


 立智大学の文学部を密かに受けて落ちたことを告白すると、ミチスエは「ということは、オレの立智大合格はまぐれだな」と言って笑った。


 丹波チューターがいたので声をかけた。丹波は言った。


「ヤマトくん。みんなも卒業だけど、オレも今月で町田校を卒業するんだ」


「え? どういうことですか?」


「来期から、新しく設置される『個別指導クラス』の講師をやることになって。それを、横浜校のチューターと兼任してやることになったんだよ。ま、つまり転勤だね。早い話が」


 正面のステージのマイクの前では、予備校の本部の偉い人たちのスピーチが続けられていた。


 広い祝賀会場の中を動きまわり、ようやく飲み物のグラスを片手に一人の女子学生と話している五星塔子の姿を見つけた。


 スピーチの声が響いていたので、こちらに気づいた塔子に指で合図し、会場の外に出るようにうながした。祝賀会場の分厚いドアからロビーに出る。ドアが閉まると、スピーチの声が遠くなった。


 改めて塔子に話しかけた。


五星ごせいさん。立智りっち大、受かったんだってね。おめでとう」


「ありがとう。ヤマトくんも、おめでとう。英治えいじ大に行くことに決めたんでしょ?」


「う、うん」


「春からずっと、英治大に入りたいって言ってたもんね。やっと夢がかなったね……」


「あ、でも。立智大の文学部、文芸科……。試験がんばったんだけど、ゴメン、落ちちゃった。だからせっかく誘ってもらったのに、五星さんと同じ大学には通えなくなっちゃって……」


「そんな……。ヤマトくんが謝らなくてもいいよ……」


 ひと呼吸おいて心を落ちつかせ、受験の結果が出てから、塔子に言おうと、ずっと考えていたことを口にした。


「でも、同じ大学には通えないけど。英治大と立智大で。お互い東京の大学で……。御茶ノ水と池袋って、地下鉄でたった一本だし。結構近いし。


 その……、住んでるのもシンユリと相模原だから。つまり……、会ったりするのに特に支障はないと思うんだ」


 落ちついて言ったつもりだったが、緊張でたどたどしくなった。


「……」


 塔子は目を伏せて黙っている。


「あ、あれ? だめかな?」


 ようやく口を開いた塔子が言った。


「また、会えるよ。どこかできっと。……いつかどこかで、きっと」


 彼女の言葉に込められた、恐ろしいほど冷たい感触に戸惑った。


「いつかどこかって……。ずいぶん抽象的で……」


「……」塔子はまた黙った。


 そこで初めて、塔子が何らかの理由で、こちらを避けているということが分かった。


(携帯のメルアドも、意図的に変えられてしまったのだろうか?)


 二人で同じ立智大学を受験することを自ら提案し、同じ大学で一緒に勉強したいとまで言っていた五星塔子に、突然避けられてしまった理由が全く分からなかった。


「そうだ。こんなところじゃ、なんだか落ちつかないよね。ゆっくり話ができるような雰囲気でもないし。この後どう? 祝賀会が終わったら、町田まで戻って、久しぶりにゆっくりメシかお茶でも行って話さない?」


 塔子は目を合わせずに答えた。


「……ごめんなさい。友達と約束しちゃってるの」


「そうか。……残念だな」


「いつかまた会えるよ。きっと」


「いつかまたって……」体よく避けるような言葉を何度も重ねてくる塔子に、ついにしびれを切らして尋ねた。「あの。オレ、ずっと勘違いしてたのかな?」


「私、もう行くね。友達待ってるから」


 塔子がロビーを歩いていこうとする。


「ひとつだけ聞かせて。どうして英治えいじ大を受けたの? それも法学部を。どうしてオレが英治大の法学部を狙ってるのを知ってたのに、受けることを教えてくれなかったの?」


「……どこの大学を受けようが、私の勝手でしょ」


 塔子は足を止めたが、冷たい口調でそう言い放った。


「それはそうだけど……」


 想像すらしていなかった展開に、激しく打ちのめされながら言葉をつないだ。


「なんだかよく分からないけど……。オレ、振られちゃったみたいだけど……。オレ、この一年間……、五星ごせいさんと一緒に勉強できてよかった」


 五星塔子は背中を向けたまま黙っていた。変わらない細身の背中だった。


「予備校に入って、最初に会えたのが、五星さんでよかった。同じ時間を過ごせたのが五星さんでよかったって、思ってるから。オレ、ずっと思ってるから」


 塔子はまだ背中を向けていた。


「オレ、五星さんのことを想ってた一年間の時間を、否定したくはないから。少なくとも、五星さんのこと、ずっと友達だと思ってるから」


 背中を向けたままの塔子の前にまわり、押しつけるように、連絡先を書き留めたメモを手渡した。いつか塔子がノック式のボールペンを、そんな風にして手の中にねじこんでいったように。


 二度目に触れた塔子の指先はやはり冷たかった。


「必要なときでも、気が向いたときでもいいから、オレみたいなやつがいたってことを思い出して」


 泣き出しそうになりながら言葉をつないだ。


「じゃ、オレもう行くから。五星さんは祝賀会に戻って。せっかくの楽しい気分を台無しにしちゃってゴメン。じゃ、オレ、行くから」


 涙を見られてしまいそうだった。振り返らずホテルの長いロビーを歩いた。


 合格祝賀会の会場から最も遠い、ショッピングモールの端にある洗面所に入った。新品のスーツを着て泣きべそをかいている男の姿が鏡の中に映り、そのあまりのみすぼらしさに涙が止まった。


 ホテルのパーティー会場という場違いな空間の中にいることが、全ての歯車を狂わせているような気がした。ホテルの建物を出て、新横浜の駅に向かって歩いた。


 幅の広い車道には、たくさんの車が赤信号に並んでいた。その傍らに伸びるレンガ敷きの歩道を進んだ。ファストフード店の角を左に曲がり、重い足どりで駅に向かった。


 人々が行き交う新横浜の駅前で、長髪の男とすれ違った。英語講師の日向ひゅうがマゴヒコだった。


「おう。ヤマトじゃないか? スーツなんて着てるから、一瞬、誰だか分からなかったよ」


「ヒューガ先生……」


「横浜校に用事があって、これから遅れて祝賀会に参加するところなんだ。あれ、もう帰っちゃうのか?」


「ちょっと、気分が悪くなってしまったので」


「そういえば顔が赤いな。さては合格に浮かれて講師用の酒に手をつけやがったな」


 絡みながら日向が訊いてきた。


「ところで、ヤマトは、どこに行くことにしたんだ?」


英治えいじ大の法学部です」


「そうか。よかったじゃないか。大学入ったら音楽やるのか?」


「そのつもりです」


「それなら、英治大はいいぞ。御茶ノ水は楽器屋だらけだから。それに、神保町の古書店街にも近いだろ。音楽や文学をやるやつにはたまんない街だよ」


 日向マゴヒコが右手を伸ばし、握手を求めてきた。


「ヤマトはホンモノのロケンローラーだ。こないだギターのチューニングを頼んだ時、そう思ったよ。あの時弾いてたの、あれ、ビートルズの曲だったろ。

 いいか? ロックンロールは底抜けに明るく楽しめよ。ヨロシク」


 日向の右手は、ゴツゴツとした男らしい手だった。その手のひらの中には、形にならない、かたまりのようなぬくもりが感じられた。


 新横浜駅の構内に入った。東海道新幹線の改札口から大きな荷物を抱えた人たちが乗り降りしている。


 JR横浜線の改札を通り、新幹線の高架ホームが頭上で交差するホームで、八王子・町田方面行きの下り電車を待った。塔子に振られてしまった絶望的な悲しみと、日向からもらったささやかな希望が頭の中で交錯していた。


(帰ろう。相模原に……。生まれ育った街に……。)


 電車に乗った。下りの快速電車だった。各停電車で来た時よりも、ずっと速いスピードで、窓の外に見える街の景色が巻き戻されていく。


 五星ごせい塔子との、ほんの短い季節の思い出が頭の中をめぐっていた。


 核ミサイルのようなデザインのボールペンを貸してもらったのが最初の出会いだった。それから毎日、予備校の教室や自習室に入ると、いつも真っ先に塔子の姿を探した。


 机を並べて勉強し、他愛のない会話や冗談を言い合って笑った。胸の奥で高まっていく想いを、浪人生だから受験生だからという理由で抑えつけていた。息苦しくも、幸せな日々だった。


 そんな毎日が、季節の終わりとともに、目の前から消え去ろうとしていた。


「評価」「ブックマーク」「感想」などいただけますと、とても励みになります。よろしくお願いします。(秋沢)


〈著者・秋沢ヒトシのプロフィール〉

秋沢一氏あきさわ・ひとし /コピーライター、作家。小説『見えない光の夏』で第3回立川文学賞・佳作。ラジオCMコンテストでの受賞歴少々。お問い合わせは、「作家 秋沢」で検索するか、以下のアドレスでアクセスできる、ウェブサイトのフォームから。https://akisawa14.jimdo.com/

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