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ユレルサンカク  作者: 秋沢一文
三章
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冬枯れの景色の町田(2)

 最後列の五星ごせい塔子のところに行った。塔子が先に口を開いた。


「メールの返事できなくてゴメン。ちょっと体調良くなくて。家で暖かくして勉強してたの。


 でも、ヤマトくんからのメールの後、丹波チューターからも『珍しいものが観られるからおいで』って電話がかかってきてね。でも、来てよかった。本当に楽しかった」


 見たところ本当に体調はよくなさそうだったが、塔子は言葉の通り、日向ひゅうがのライブを心から楽しんだ様子だった。


 受験の直前期に無理は禁物ということで、五星塔子はそのまま新百合ヶ丘の家に帰ることになった。本校舎を出てTOPビルの前まで二人で歩いた。


 スタンドカラーのコートを着た塔子が言った。


「授業で、教室で会うのは、今日で最後かもしれないね」


 改めてそう言われ、寂しさがよぎった。


「そうか。そうだったね」


「我慢しなきゃいけないことも、色々多かったけど、もうすぐ終わるね」


 踏切の警報音が響く。胸が締めつけられるような想いがして、塔子に言った。


「あの、受験が終わったら、どっか一緒に遊びに行かないか? ライブとか。浪人生だったから、今までずっと、遊びになんて行けなかったからさ。五星ごせいさんと、どっか遊びに行きたいよ」


「うん。行こう」


「それ、約束してくれる?」


「うん。もちろん。約束する」


 風が冷たく、塔子が寒そうにしていたので、彼女の体調を気づかい、そこで話を切り上げた。


「それじゃあ、お互い試験本番も頑張ろう。結果が出そろう頃まで、メールは送らないようにするよ。お互い、最後の仕上げに集中した方がいいと思うから」


「そうだね。そうしよう。頑張ろうね」


 塔子が右手を前に出して、握手を求めてきた。街なかで恥ずかしかったが、右手を伸ばして塔子の細い手のひらを受け止めた。塔子の肌に触れたのは、それが初めてだった。


 塔子は冷え性なのか、それともビルの谷間を吹き抜けていく真冬の風のせいなのか、塔子の細い指先と手のひらはとても冷たく感じられた。




 五星ごせい塔子と別れた後、TOPビルの自習室に入った。


(あと何回、この自習室で勉強するだろうか。)


 近くの席に、赤い表紙の過去問集を開いて、熱心に問題を解いている学生がいた。テキストとノートを出し、今日の最終講義の復習をした。


 しばらくすると窓の外が暗くなった。寒くなる前に帰ろうと、勉強道具を片づけ、ダウンジャケットを着て自習室を出た。


 携帯の電源を入れると、菊原美月から「今日少し時間とれない?」というメールが届いていた。


 五星塔子に気持ちが傾いていく中で、そろそろ美月との関係にケジメをつけなくてはならないという思いが湧いてきていた。


(予備校での最後の講義の日……。ちょうどいいタイミングかもしれない……。)


 美月がどこにいるか分からなかったので電話をかけた。「近くにいる」と美月が言うので、TOPビルの一階で待ち合わせることにした。窓のない階段ホールを一階まで下りた。


 先に待っていた美月は私服姿で、薄茶色のダッフルコートを着ていた。冷たい風が吹き抜けるので温かいものが飲みたくなった。近くのカフェに入った。


 カフェオレを飲みながら、菊原美月と話した。


「どう? 勉強は順調?」


「今日で直前講習も終わってね。予備校で受ける授業は、これで全部終わったよ。あとは試験本番を残すばかり」


「そっか。いよいよ本番か……。もう少しで終わりだね」


「……」


 美月は「これ、渡したいと思って」と言いながら、脱いだダッフルコートのポケットから、白い小さな袋を取り出して両手で手渡した。


 同じような場面が頭によみがえり、甘酸っぱい気持ちが胸の中に広がった。


 袋を開けると、中には緑色の小さなお守りが入っていた。表には「合格御守」、裏には「大山阿夫利神社」の文字が入っていた。美月がさらに言った。


「前に、模試の成績が落ちちゃったって言ってたでしょ。私なんかでも、ヤマトくんに何かしてあげられることはないかと思って。夏に、町田天満宮のお守りをくれたお返し」


 ふいを突かれて心が揺れた。美月らしい、優しい心(づか)いだった。その小さな緑色のお守りに込められた美月の気持ちを痛いほどに感じた。


 心の動揺を抑えながら、平静を装って訊いた。


「これ、大山おおやま……、なに神社って読むの?」


「あふり神社。小田急の伊勢原駅から、バスとケーブルカーを使っていくの。本社は頂上にあるらしいんだけど、下社しもしゃっていう大きな神社は山の中腹にあってね。晴れた日には、相模湾の海が見えてきれいなんだ。江ノ島とか」


「大山か。ずっと神奈川に住んでるけど、あまりよく知らなかったな……」


 窓から見える通りを、バスがゆっくりと横切っていった。


「うん……。それでね……」


 目を輝かせながら大山の魅力を語っていた美月が、急に声の調子を落とし、今度は申し訳なさそうな表情を浮かべて言った。


「ヤマトくんの模試の成績が落ちちゃったの、やっぱ私にも責任あると思って。大事な時期なのにね……。


 私自身もかつては受験生だったのに……。ヤマトくんを誘ったりして……。


 なんか配慮が足りないことしちゃって……。自分のことばかり考えてて、大人げなかったなって……」


 ひたすら自分を責める菊原美月が不憫ふびんに思えた。


「あの、そんなことないよ。模試の成績の件は美月さんのせいなんかじゃない。あれは、オレ自身が油断したんだ。


 それから……、美月さんとの件は……、これも、悪いのはオレ自身だよ。


 あの時、ちゃんと自分の感情をコントロールできなかったオレが悪かったんだ。それに……」


 言葉に込められた後悔の気持ちを感じとったのか、美月はそれが決定的なものになるのを振りきろうとするかのように、強引に話題を変えた。


「ねえ。試験の結果が出るのはいつ頃?」


 心を落ちつかせながら答えた。


「……二月の下旬くらいだね」


「合格が決まったら、封印してた音楽を再開するの?」


「そうだね」


「ヤマトくんが前に欲しがってたエレアコ・AGX‐700。メーカーからちょうどその頃入荷される予定になってるんだ。落ちついたら見にきてよ。もし買うなら、少しは安くできるし」


「うん」


「結果が出たら連絡してね。ずっと応援してるから」


「うん」


 話を音楽の話題にそらしながら、何とか可能性をつなぎとめようとするかのような美月の言葉と態度に、変わらずにこちらに向けられている彼女の気持ちを感じていた。


 店を出て少し歩き、カリヨン広場の前で美月と別れた。


(これが美月さんと会う、最後になるかもしれない……。)


 商店街の人波の中に消えていく、小柄な菊原美月の寂しげな背中を見ながら、心の奥から湧き上がってきそうになる感情を、理性で抑えつけていた。


「評価」「ブックマーク」「感想」などいただけますと、とても励みになります。よろしくお願いします。(秋沢)


〈著者・秋沢ヒトシのプロフィール〉

秋沢一氏あきさわ・ひとし /コピーライター、作家。小説『見えない光の夏』で第3回立川文学賞・佳作。ラジオCMコンテストでの受賞歴少々。お問い合わせは、「作家 秋沢」で検索するか、以下のアドレスでアクセスできる、ウェブサイトのフォームから。https://akisawa14.jimdo.com/

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