引き上げ
退いていく兵の背が砂煙の向こうへ消えても、流火兵団は追わなかった。逃げる敵をどこまでも追い散らすより、倒れた者を確認し、使える物を拾い、依頼された範囲から余計な損失を出さずに引き上げる方が金になる。戦場に残ったのは、呻き声と、鉄を引きずる音と、乾いた風だけだった。
槍を杖代わりにして立つ者がいる。盾に刺さった矢を抜く者がいる。倒れた敵兵の首筋に手を当て、生きていれば武器を遠ざけ、もう助からなければ短く刃を入れる。誰も大声で勝利を叫ばない。勝ったことは分かっている。その後に待っているのは後始末だ。
「こっちは三つ。そのボロい槍は折って捨てろ」
荷車の脇で、回収された武器が種類ごとに積まれていく。刃こぼれした剣、使える長槍、まだ紐の切れていない弓、血で汚れた革袋。値が付く物と付かない物は、見る者が見ればすぐに分かる。弓兵であるラース・エンデルは、倒れた兵の腰から短剣を抜き、刃を確かめてから無言で回収袋へと放り投げた。周囲でも同じ作業が淡々と続いている。敵の物も味方の物も、持ち主が死ねばただの資材だ。
「馬は?」
無精髭の目立つ、野獣のような大柄な男、団長であるバルド・クレイグが、血の付いた大剣を肩に担いだまま歩いてくる。返り血で汚れているが、本人はまるで泥道を歩いてきた程度の顔をしていた。
「二頭生きてる。一頭は脚をやってる」
「売れる方だけ連れてけ。潰れたのは肉にしろ。村が喜ぶ」
その一言で、近くにいた数人が作業に取りかかる。誰かが笑い、誰かが面倒そうに肩を鳴らす。それでも手は止まらない。
団長のバルドよりも更に大きい、ヴァルグ・エルンハルトは少し離れた場所で、負傷者を荷車の方へ運んでいた。片腕で一人を抱え、もう片方の手で別の兵の肩を支えながら歩く姿は、戦いの最中よりもよほど目立っている。
「歩けるか」
「歩けるって言ったら下ろしてくれんのかよ」
「下ろす。置いていく」
「なら歩けねぇ」
「そうか。今が勝った後で良かったな」
短いやり取りに、近くの者が小さく笑った。血の臭いの中に、緊張の切れた空気が混じり始める。死体は一箇所に寄せられ、味方のものには布が掛けられた。敵のものは装備を外され、身元の分かりそうな札や印だけがまとめられる。後で村の者か役人が確認するのに使われる。
誰がどこの者で、どの程度の被害だったか。それも報酬に関わる。戦争は終わっても、仕事は終わらない。
「数は」
「敵の死体が見える範囲で四十前後。逃げたのはその倍くらいだ。こっちの死者は二。重傷が五」
ラースが低く答える。バルドは顎を掻き、遠くの砂煙を眺めた。
「十分だな。村に戻って飯だ」
「報酬確認はしないのか?」
「お前が確認してこい」
「なんで。あんたが団長だ」
「……あぁ、そうだな。全く、面倒でしかない。替わるか?」
「無茶言わないでくれ」
その雑な返答に、近くの者達が呆れたように笑う。バルドは溜め息をつくと、村の方へと向かった。
少し離れた場所では、金髪の少女が血の付いた剣を振って汚れを飛ばしていた。周囲に転がる死体の数を見れば、そこが最も激しかった場所だと分かる。だが本人は退屈そうに空を見上げ、まだどこかに敵が残っていないか探すように首を巡らせている。近くを通った団員がその様子を見て、目を逸らすと何も言わずに距離を取った。
やがて荷車に武器と負傷者が積まれ、動ける者達が隊列を作り直す。来た時より荷は増えていたが、足取りは重くない。勝った戦の帰り道だ。
ラインフェルト村は、平原の端にある小さな村だ。戦場から戻る一団を見つけると、柵の内側に集まっていた村人達がざわめいた。安堵する者、死体を確認する者、荷車の血を見て顔を伏せる者。その反応にも、団員達は慣れていた。村の入口で待っていた年配の男が、バルドを見るなり深く息を吐いた。
「終わったのか」
「見りゃ分かるだろ。追い返した。しばらくは来ねぇよ」
「助かった。後少し遅かったら終わりだった」
男は礼を言いながらも、荷車の上へ目を向けていた。そこには村から出した若い男の姿もある。布を掛けられた身体を見つけ、後ろにいた女が膝をつく。誰も声をかけない。
バルドはその年配の男、この村の村長に歩み寄り、手を差し出した。
「で、約束の分は」
「今ここでか」
「今ここでだ。生きてるうちに金の話をするのが一番揉めねぇ」
村長は苦い顔をしたが、懐から革袋を出した。バルドは受け取ると重さを確かめ、すぐ隣へ放ると、受け取った団員が中身を確認する。
「足りなきゃ馬と武器で埋める。余ったら酒にする」
「結局酒になるんだから、余るわけないよな」
誰かが言い、また小さな笑いが起きた。村人達の間にも、緊張が解けたような空気が広がる。
戦いは終わった。死者は出た。だが村は残った。流火兵団にとっても、村にとっても、それが今回の結果だった。
「……今回の死傷者は、殆どこの村の奴らだ。俺らが来るまでよくやったよ。労ってやれ」
「言われなくとも」
負傷者が納屋へ運ばれ、回収した武器が広場の端に積まれていく。村の女達が水桶と布を持って走り、子供達は大人に叱られながらも遠巻きに団員達を見ていた。その時、村人の一人が思い出したように声を上げる。
「そうだ、あんたらに客が来てる」
「客?」
バルドが顔を向ける。
「王都からだ。王国の使いだって名乗ってる。村で待たせてあるから、来てくれないか」
その一言に、団員達の空気が少しだけ変わる。バルドは面倒そうに首を鳴らし、それから血の付いた大剣を肩に担ぎ直した。
「飯の前に、また仕事の話かよ」
村の奥へ続く道の先で、見慣れない馬車が一台、静かに停まっていた。




