9話 初めての課外授業が大パニックなんだが?
過酷なサバイバルを通じてFクラスの結束は奇妙に固まりつつあったが、根本的な金欠問題は解決していなかった。とにかく、俺たちには金がないのだ。
「というわけで、今日の午後は素材採取を行う。お前らも気づいていると思うが、Fクラスには部活動費も備品予算も下りていない。チョーク一本買う金もないのが現状だ。文句は学園長に言え。とにかく、金がないなら稼ぐしかない。裏の魔獣の森で魔石や薬草を集めてくるんだ。ギルドで換金して、クラス運営費に充てる」
ホームルームで足を机に投げ出したミネルヴァ先生のブラックな宣告に、俺たちは言葉を失った。さらに単独行動は危険なため、二人一組のペアを組まされることになった。
誰と組むかは生死に関わる問題だ。俺は常識人のカイルと視線を交わして頷き合ったが、そのささやかな希望は「くじ引きで決める」という無慈悲な一言で打ち砕かれた。
***
くじ引きの結果、俺、風早歩瑠斗が引いた番号は『7』番だった。そして、同じ番号を持っていたのは、まさかの相手だった。
「……はぁ。なんであんたなのよ」
深い溜息と共に俺の前に立ったのは、ミルクティー色の髪を揺らすフェルミナ家の令嬢、アリエスだった。
手には豪奢な装飾が施された樫の杖を持っている。あからさまに不満顔だ。
「俺だってカイルと組みたかったよ。でも決まったもんは仕方ないだろ」
「ふんっ! 足手まといにならないでよね。魔獣が出たら私が全部燃やしてあげるから、あんたは後ろで薬草でも摘んでなさい」
「はいはい、頼りにしてるよ」
俺は軽く受け流しながら、周囲を見渡した。
見ればミィナはノアと、グレイはルナと組んでいる。明らかに問題児同士を牽制させるための意図的な班分けだ。ニヤリと笑うミネルヴァ先生を横目に、アリエスが先陣を切って森へ入っていく。俺はため息をつきながら後を追った。
***
魔獣の森は昼間でも薄暗く、湿った土の匂いが漂う。
アリエスにブレザーを爆破されて以来、ずっとYシャツ一枚で過ごしている俺には、森の冷気が少し肌寒い。
……あいつ、新しいブレザーを買ってくれると約束したはずなのだが、一体いつになったら買ってくれるのだろうか。
「えっと、指定された薬草は月光草とマヒダケか……」
俺は図鑑を片手に地面を探した。
アリエスはというと、杖を構えて好戦的に周囲を警戒している。
「静かすぎてつまんないわ。新しい炎の術式を試したかったのに」と好戦的にブツブツ言うアリエスは相変わらずツンツンしている。プライド高い貴族令嬢として、Fクラスに落とされた鬱憤を晴らしたいのだろう。
「……ん? 何よこれ」
アリエスが足を止めた。
彼女の視線の先、巨木の根元に、半透明のゼリー状のものが落ちていた。
青緑色をしていて、プルプルと震えている。
「スライムか?」
「なぁんだ、雑魚じゃない。こんなの燃やして終わりよ」
アリエスが興味なさそうに杖を向けた。
青緑色の体表に、ミネルヴァ先生の『スライムは物理無効かつ強酸性。絶対に中途半端な魔法で刺激するな』という警告を思い出した瞬間、アリエスが「炎弾!」と放ってしまった。
ボシュッと水蒸気が上がるが、スライムは熱を吸収して急速に巨大化し、ドス黒い緑色に変色する。
「中途半端な火力は逆効果だ!」
「そんなのまだ習ってないわよ!」
スライムがブクブクと泡立ち、不気味な音を立て始めた。
そして次の瞬間。
木の上から、ボタボタと何かが落ちてきた。
「ひゃっ!?」
アリエスが悲鳴を上げる。
見上げれば、頭上の枝に、無数のスライムが張り付いていた。
俺たちの足元にも、草むらからゾロゾロと這い出てくる。
一匹じゃない。群れだ。
アリエスの魔法に反応して、周囲に潜んでいた仲間が一斉に集まってきていたのだ。
「囲まれた……!」
「ど、どうするのよこれ!」
「逃げるぞ! 物理攻撃は効かない、走って振り切るんだ!」
俺はアリエスの手首を掴んで走り出した。
だが、スライムたちの動きは異常だった。
バネのように体を収縮させ、木から木へと飛び移りながら追ってくるのだが、その過程でお互いの体が接触すると、まるで水滴が混ざり合うように融合していくのだ。
ボタボタと落ちてきた数十匹の個体が、地面で一つにまとまり、見る見るうちに巨大な粘液の塊へと成長していく。
足元から這い出た個体もそれに吸収され、あっという間に俺たちの背丈を超えるほどの怪物と化した。
「なっ、合体した!?」
俺が驚愕している間に、巨大化したスライムが波打つように跳躍した。
「きゃっ!」
木の根に躓いて転んだアリエスの背後に、その巨大な影が迫る。
「アリエス!」
俺が振り返った時には、もう遅かった。
無数の個体が融合して生まれた巨大なスライムが、アリエスの体に覆い被さったのだ。
「いやぁぁぁっ!!」
アリエスの悲鳴が森に木霊する。
スライムはアリエスの下半身をすっぽりと飲み込み、さらに上半身へと這い上がっていく。
彼女の体が、半透明の粘液の中に沈んでいく。
「離して! 気持ち悪い! ぬるぬるするぅ!」
アリエスが必死に杖で叩くが、スライムの体はゴムのように衝撃を吸収してしまう。
そして、決定的な異変が起きた。
ジュウウウウ……。
肉が焼けるような、嫌な音がした。
同時に、白い煙が上がり始める。
「あ、熱っ! なにこれ、熱い!?」
アリエスが涙目で叫ぶ。
スライムが触れている部分。彼女のスカートやニーソックスが、見る見るうちに溶けていく。
やはり、強酸性の溶解液を持つアシッド・スライムだ。
「くそっ、やっぱりか!」
俺は駆け寄ったが、どうすればいい。
アリエスの外からの炎魔法は効かない。物理攻撃も無効。
俺の魔法は種火レベル。スライム全体を蒸発させるような火力はない。
下手に外から攻撃すれば、中にいるアリエスまで傷つけてしまう。
「アルト! 助けて! 服が……服が溶けちゃう!」
アリエスの制服が、無残に侵食されていく。
スカートの裾が溶け落ち、透き通るような白い太ももが露わになる。
さらにニーソックスもボロボロになり、素肌に直接粘液が張り付く。
「ひぐっ……!」
アリエスが身をよじる。
そのたびにスライムが彼女の体を締め付け、さらなる衣類を溶かしていく。
酸の粘液は繊維の隙間に入り込み、容赦なく彼女の守りを剥ぎ取っていく。
あまりにも扇情的な光景だ。
だが、見惚れている場合じゃない。このままでは服だけでなく、皮膚まで本格的に溶かされてしまう。
「動くなアリエス! 今助ける!」
「どうやってよ! 魔法も効かないのに!」
「核だ! 核を直接破壊すれば全体が崩壊する!」
俺はスライムの体を凝視した。
半透明のゲル状の体の中に、ピンポン玉くらいの大きさの赤い球体が見える。あれが魔力を司る『核』だ。
だが、核はアリエスの太ももの裏側あたりを絶えず移動している。
遠距離からの狙撃は不可能だ。俺の魔法にそんな精度も射程もない。
直接、ゼロ距離で焼くしかない。
俺の使える唯一の魔法。指先から出す、種火。
ライターの火程度でしかないが、炎の中心温度は千度を超える。射程は数センチしかないが、直接触れさせれば効果は絶大だ。
スライムの体に手を突っ込み、核を直接焼くんだ。
「アリエス、ちょっと我慢しろよ!」
俺はスライムの粘液の中に、両手を突っ込んだ。
「ひゃうっ!? あ、あんた何して……どこ触ってんのよ!」
アリエスが顔を真っ赤にして悲鳴を上げる。
俺の手が、ヌルヌルとした酸の感触と共に、彼女の素肌に触れる。
太ももの内側。柔らかく、温かく、そして滑らかな感触。
理性が消し飛びそうになるが、必死に奥歯を噛み締めて耐える。
酸が俺の手の甲を焼く。チリチリとした激痛が走る。
だが、ここで引いたらアリエスが大火傷を負う。
「核は……どこだ……ここか!」
ぬるりとした感触の中、硬い球体を見つけた。
アリエスの溶けかけたスカートの中、極めてきわどい場所に逃げ込んでいる。
俺は迷わずそこへ指を伸ばした。
「い、いやぁぁっ! そこはダメぇ!」
アリエスが涙を流して首を振る。
すまんアリエス。後でいくらでも丸焦げにされてやる。でも今は許してくれ。
俺は核を指でガッチリと掴んだ。
そして、ゼロ距離で魔法を発動する。
「燃えろ……!」
ジュッ!!
指先から高熱の種火が噴き出す。
核が千度の熱で直接焼かれ、パチンと弾ける音がした。
ビクンッ!
スライム全体が激しく痙攣し、次の瞬間、形を保てなくなってドロドロのただの液体となって崩れ落ちた。
「はぁ、はぁ……やったか……」
俺は尻餅をついた。
手の甲が赤くただれているが、重傷ではない。
それよりも、目の前の光景だ。
スライムは消滅したが、アリエスの服は戻らない。
スカートは半分以上溶け落ち、際どい下着が見えそうになっている。
ブラウスも背中や肩の部分が溶け、瑞々しい白い肌が露わだ。
粘液まみれで、涙目で地面に座り込んで震えているアリエス。
その姿は、あまりにも無防備で、可憐で、破壊力抜群だった。
「……う、うぅ……」
アリエスが俺を見る。
琥珀色の瞳に涙が溜まっている。
「み、見た……?」
「い、いや! 見てない! スライムの核しか見てない!」
俺は慌てて目を覆った。嘘だ。ガン見してしまった。網膜にしっかりと焼き付いている。
「嘘つき! 変態! エッチ!」
アリエスが泣きながら、手近にあった木の枝を投げてきた。
ぺちん、と俺の額に当たる。
「悪かったって! でも、そうしないと助けられなかったんだよ!」
俺は言い訳しながら、自分の着ていたYシャツのボタンを外し、素早く脱いだ。
ブレザーは初日に爆散しているので、俺は今、完全に上半身裸だ。
また貴重なシャツを一つ失うことになるが、女の子をこの破廉恥な格好のままにしておくわけにはいかない。
「ほら、これ着とけ。サイズ大きいけど、十分隠せるだろ」
俺は背中を向けたまま、シャツをアリエスに放った。
背後で衣擦れの音がする。
「……あんた、自分はどうするのよ」
少し落ち着いたのか、アリエスの声が聞こえた。
「俺は男だからいいんだよ。それに、上半身裸で森を歩く変態だと思われれば、魔獣もドン引きして逃げてくだろ」
「……ふふっ、バカね」
アリエスが小さく笑った気配がした。
「……ありがと。助かったわ」
振り返ると、俺のYシャツをワンピースのように着たアリエスが立っていた。
袖が長すぎて手が隠れている。いわゆる『彼シャツ』の萌え袖というやつだ。
裾からは健康的な太ももが見えているが、さっきよりは断然マシだ。
顔はまだ赤いが、その瞳には俺への確かな信頼の色が戻っていた。
「でも、手……火傷してるじゃない」
彼女が俺の手に気づいて駆け寄ってくる。
「平気だよ、これくらい。アリエスが無傷なら安いもんだ」
「……っ」
アリエスが息を呑み、さらに顔を赤くした。
そして、俺の手をそっと取り、自分のポーチから軟膏を取り出した。
「手当、してあげるから。……じっとしてなさいよ」
彼女の細い指が、優しく俺の傷に触れる。
ツンツンしたお嬢様の態度はどこへやら、今の彼女はただの恋する年頃の女の子に見えた。
「おーい! 二人とも無事かー?」
その時、茂みの向こうからカイルの声がした。
騒ぎを聞きつけて、他のメンバーも合流したようだ。
「げっ、みんなが来た」
アリエスが慌てる。
「ちょっとアルト! この格好、絶対に変な誤解されるわよ! どう言い訳するの!?」
「あー……」
俺は空を見上げた。
上半身裸の男と、その男のシャツ一枚を着て顔を赤らめる美少女。場所は人気のいない森の奥。
どう見ても『事後』だ。
「スライムに襲われたって言えば信じてもらえる……かな?」
「信じるわけないでしょバカァ!」
アリエスの悲鳴にも似た叫び声が森に響く。
こうして、Fクラスの初課外授業は、素材採取の成果よりも、「アルトとアリエスが森でナニカをしたらしい」という不名誉極まりない噂だけを残して幕を閉じたのだった。




