59話 休日の行き先が二つ重なる
休日の予定が、二つ重なった。
入学第六百八十日。
しかも、どちらも俺の予定である。
「先に誘ったのは私よ」
アリエスが赤い切符を机へ置く。
「先に日を決めたのは、私」
ルナが青い紙を隣へ置く。
赤い切符には、温泉街行き乗合馬車。
青い紙には、月見坂の観測許可。
出発時刻は同じ。
帰りの時刻も同じ。
俺の体は一つ。
分身魔法は履修していない。
「ええと、先着順で」
「物を売ってるんじゃないのよ!」
「私は、列に並んでない」
二人から同時に怒られた。
三年Fクラスの最初の休日。
ただし夕方には、卒業資格調査の第一回報告がある。
二人が重ねたのは、今日ではなく五日後の次の休日だった。
今日は朝から、その日の予定を決めるために教室へ集まっている。
アリエスは温泉街の市場へ、実技教官用の耐熱手袋を見に行きたい。
ルナは温泉街の外れにある月見坂で、重力船の離着陸場所を見たい。
「二人とも温泉街じゃないか」
「市場と坂は反対側よ」
「間に山」
同じ地名でも、徒歩で一時間半離れているらしい。
「じゃあ午前と午後に分ける」
「夕方は報告会でしょ」
「坂の観測は午前だけ」
「市場の手袋店も昼で閉まるわ」
俺の二つ目の案も、一分で墜落した。
二人きりの相談をするには、教室が騒がしすぎた。
カイルとエリスは第一回報告書を綴じていた。
ノアは学籍板の見本。
グレイは九条先生の資料目録。
ミィナは予定表へ魚の絵を描いている。
窓際では五体が朝食を食べ、ナビだけが俺の予定へ口を挟む。
『同一時刻ニ二件。達成可能性、〇パーセント』
「分かってるよ!」
『アルトヲ二等分シタ場合』
「やめろ!」
卒業前に物理的な修了を迎えたくない。
「どちらか断るしかないんじゃないかな」
カイルが言った。
「俺もそう思った」
「アルトくんが決めるんだよ」
「それができないから困ってる」
「困ることと、決めなくていいことは違います」
エリスの正論が刺さった。
俺は、先に誘った方を選べば公平だと思った。
だが、誘いは食堂の列ではない。
先に皿を持った者へ焼き菓子を配る仕組みで、二人の気持ちまで決めようとしていた。
「一つ確認してよろしいですか」
ノアが二枚の切符を見る。
「お二人は、アルトさんと二人で行くことが目的ですか。それとも、その場所へ一緒に行くことが目的ですか」
アリエスとルナが、互いを見る。
「両方よ」
「……両方」
そこまで同じだった。
「なら、どちらかを消す前に、三人で行けるか考えれば?」
グレイが温泉街の地図を開く。
「勝手に三人へ増やさないで」
アリエスが止めた。
「僕は選択肢を出しただけだよ。決めるのは三人だ」
同意書を三枚へ減らした男は、余計な決定まで減らしていた。
「三人で」
ルナが地図を見る。
「嫌?」
アリエスへ尋ねた。
「アルトと二人の時間は欲しいわ」
「私も」
「でも、ルナの予定を潰して市場へ行っても、気になる」
「私も、市場を消したら気になる」
二人は俺を見ずに話している。
俺が先着順で片づけようとした問題を、本人たちが自分の言葉で解き始めた。
「三人で行く?」
アリエスの指が、二本の線を一本へ寄せる。
「行く」
ルナが二本の線へ指を置く。
決まった。
「俺の意見は?」
「先着順と言った人は、あと」
「……あと」
採点は厳しかった。
***
三人で行くことは決まった。
行けることは、まだ決まっていない。
温泉街の地図へ、行きたい場所を一人一つずつ置いた。
アリエスは朝市の手袋店。
ルナは月見坂の発着場。
俺は安い昼食の店。
「あんた、本当にそれでいいの?」
「昼を抜くと、帰りの馬車で死ぬ」
「予定の中心が食事」
「生存に必要だ」
温泉街の停留所は中央。
市場は南。
月見坂は北西の高台。
安い食堂は東。
停留所から市場へ行き、戻って坂へ行き、また戻って食堂へ行く。
往復を三回繰り返すと、歩くだけで午前が終わる。
「近い順に回る?」
ミィナが地図の上へ魚を三つ置いた。
「市場、食堂、坂!」
「市場は朝だけ。食堂は昼前から。坂の観測は太陽が高くなる前よ」
アリエスが営業時間を書く。
最短距離だけでは決められない。
店が開く時刻と、観測できる時刻がある。
朝のうちに市場。
次に月見坂。
坂を下りながら東の食堂。
最後に停留所。
地図では遠回りに見えるが、同じ道を戻る回数は減る。
買い物のついでに、牛乳、卵、パンを一つの道で回るのと同じだ。
「この細い道なら、もっと短い!」
ミィナが市場と月見坂を直線で結んだ。
地図では、半分の距離に見える。
道の横には、細かな波線が何本も重なっていた。
「そこ、階段よ」
アリエスが案内書を開く。
温泉街の中央から月見坂までは、石段が四百段。
平らな一キロと、急な上り一キロでは、同じ時間で歩けない。
地図の距離は上から見た長さで、坂の高さと疲れ方は紙の中へ寝ている。
「近道なのに遅い?」
「ミィナなら速い。私たちは途中で休む」
ルナが石段の中ほどを指した。
そこには共同足湯がある。
市場から足湯までは緩い道。
足湯で休み、そこから月見坂の発着場へ上る。
帰りは荷物が増えるため、急な石段ではなく荷車道を下る。
行きと帰りで別の道を使う。
「距離は長くなるぞ」
「下りで転んで、手袋を全部落とすよりましよ」
地図の最短より、三人が同じ速さで歩ける道を選んだ。
ただし、当日の混雑と雨までは地図にない。
市場で人が多ければ一つ飛ばす。
雨なら坂をやめ、足湯の屋根から発着場を遠くに見る。
予定表には、行けない場合の道も点線で残した。
ただし、距離が短いことと、楽しいことは同じではない。
俺が歩数だけを最小にしようとすると、アリエスに地図を取り上げられた。
「市場、十分。坂、十分。昼食、十分。これ、デートじゃないでしょ」
「報告会に遅れない最適解だ」
「気持ちが全部、計算から落ちてる」
ルナも俺の予定表へ横線を引いた。
「坂で、座る」
「何分?」
「決めない」
「帰りの馬車が」
「一本、早く行く」
朝の出発を早めれば、滞在時間を削らずに済む。
起きられるかという問題だけが残る。
「ルナが起きられるのか?」
「前日、早く寝る」
「本当に?」
「アルトが起こす」
「責任が俺へ来た!」
三人用の予定表へ、余白を二つ作った。
一つは、誰かが疲れた時の休憩。
もう一つは、予定がずれた時に何もしない時間。
全部を詰めれば、一つ遅れただけで帰りの馬車まで崩れる。
空白は無駄ではない。
遅れを受け止める場所だった。
帰りの切符も、一人一枚ずつ持つことにした。
俺が三枚まとめて持てば、はぐれた二人は帰れない。
アリエスの鞄に赤。
ルナの上着に青。
俺の財布に白。
地図と宿の名前も三枚へ写す。
三人で動く予定でも、一人になった時の道は消さない。
「アルト、財布ごとなくしそう」
「俺だけ信用が低い!」
「首から下げなさい」
白い切符だけ、紐つきになった。
「これなら市場と坂、両方行けるね!」
ミィナが魚を動かす。
「お前は行かないぞ」
「どうして!?」
「三人で決めたから」
「ツナも入れたら五人!」
「数を増やして解決するな!」
ミィナは頬を膨らませた。
その代わり、温泉街の魚干物を土産にすると約束する。
ツナの分は、噛み切れない袋へ入れる。
食堂立入禁止で学んだ。
たぶん袋ごと飲み込む。
***
予定が決まると、アリエスが地図を閉じなかった。
「次は、三人でいる時の話よ」
声が少し低くなる。
カイルたちは、報告書を持って教室の反対側へ移った。
グレイだけ残ろうとして、ノアに白衣の裾を引かれている。
「僕は時間配分を」
「必要になったら呼びます」
扉が閉まった。
教室には、俺、アリエス、ルナ。
フェンリルとシープは主人の足元に残る。
ナビは俺の肩から動かない。
「ナビもいるけど」
『記録機能ヲ停止可能デス』
「今すぐ止めろ」
『停止シマス』
三人の話を、卒業資格の資料へ混ぜられては困る。
「三人で行くって決めたけど、ずっと三人で同じことをしなくてもいいと思う」
アリエスは露店の欄だけ、自分の側へ引く。
「市場では、私がアルトと手袋を見る。ルナが一人で待てって意味じゃないわよ」
「私は、シープの餌を見る」
「坂では?」
「私がアルトと発着場を見る。アリエスは?」
「温泉の温度表を見るわ」
「本当に?」
「近くにいるわよ!」
離れすぎず、二人ずつになる時間も作る。
誰かを荷物番として置いていかない。
「三人で歩く時は?」
俺は三人用の欄を指す。
「真ん中を交代」
ルナが予定表の中央を指す。
「俺がずっと真ん中じゃないのか?」
「両側から引っ張られたいの?」
「腕が外れる」
最終試験の梁より危険かもしれない。
次は、嫌になった時の合図。
「言葉で言えばいいでしょ」
アリエスが手を振る。
「人が多い所だと、言いにくい」
ルナが俺の手を取った。
「一回、握る。ゆっくり」
指へ一度、力が入る。
「二回。止まる」
二度、短く握られる。
「三回は?」
「離れたい」
ルナの手が離れた。
簡単だ。
けれど、手をつないでいない時は使えない。
その時は、飲み物と声に出す。
喉が渇いていなくても、一度座って話す合図にした。
「私も使うわ」
アリエスが反対の手を取る。
「あんただって、どちらかに合わせすぎて嫌になったら使いなさい」
「俺も?」
「三人で決めるんでしょ」
俺だけが我慢すれば丸く収まる、という答えも禁止された。
「もう一つ」
アリエスが俺とルナの手を見る。
「どちらと何分手をつないだ、とか数えないこと」
「数える予定はないぞ」
「あんたじゃなくて、私が数えそうなの」
アリエスは正直に言った。
「ルナといる時の方が楽しそう、とか。私の時より長く座った、とか」
ルナも指を少し動かす。
「私も、見る」
「同じ長さにすれば公平じゃないか?」
「気持ちは砂時計じゃないわ」
また俺の答えが早すぎた。
三十分ずつ分けても、一方がもっと話したい日に鐘を鳴らせば、ただ追い出したことになる。
完全に同じへそろえるのではなく、気になった時に黙って採点しない。
「比べて嫌になったら、言う」
ルナが一度、手を握った。
「言われたら、言い訳する前に聞く」
アリエスも一度、反対の手を握る。
「俺が何も気づかなかったら?」
「二回」
二人に同時に握られた。
停止の合図だった。
まだ出発していないのに、一度止められた。
「夜は?」
ルナが尋ねた。
予定表の最後には、帰りの馬車がある。
その下に、温泉宿の空室案内が挟まっていた。
「泊まるのか?」
「日帰りでもいいわ」
アリエスは紙を伏せなかった。
「でも、三人で泊まりたい気持ちもある」
「私も」
ルナも俺を見る。
意味を間違えるほど、俺も鈍くはなかった。
「俺も、三人でいたい」
声が少し裏返った。
「ただし、今ここでその先まで決めない」
アリエスが空室案内へ指を置く。
「当日、三人とも同じ答えなら。同じ部屋」
「誰か一人でも違ったら?」
「二部屋」
「途中で変わったら?」
「変えていい」
ルナは二本の鍵へ順に触れる。
同じ部屋を予約することは、夜の全部を予約することではない。
二部屋分の銀貨を一度預け、使わなかった分は朝に返してもらえる宿を選んだ。
「高くないか?」
「あんた、今この話で最初に金額を見るの?」
「三人分の宿代は大事だろ!」
恋愛を最短距離だけで決めてはいけない。
宿代を見ずに決めてもいけない。
どちらも俺には重要だった。
***
夕方の報告会には、三人とも間に合った。
卒業資格調査の進展は、小さかった。
普通の卒業手順を五段階へ分けた。
九条先生の資料目録から、未確認の箱を二つ見つけた。
第零層までの退避路を点検し、黒い管の継ぎ目を外から補強した。
出生記録の代わりになる物は、まだない。
「次の二十日で、学籍簿の本人確認欄を調べる」
ノアが次の候補を書く。
進展なしではない。
解決でもない。
分かった場所と、まだ分からない場所を分けただけだ。
報告が終わると、俺の机に三枚の紙が残った。
朝市の切符。
月見坂の許可証。
三人用の予定表。
最初は別々だった二つの行き先が、一本の道でつながっている。
ただし、誰がどこを歩くかまで線で固定してはいない。
次の休日。
三人で温泉街へ行く。
帰りの人数だけは、最初から三人と決まっていた。




