58話 進路希望調査は二度目も白紙
三年生になって最初に渡された紙は、卒業証書ではなかった。
入学第六百六十日。
『進路希望調査』
「また白紙で出していいですか」
「一度目も白紙だったのか?」
ミネルヴァ先生が教卓から俺を見る。
「前の学校で」
「なら、二度目は書け」
簡単に言ってくれる。
三年Fクラスの教室は、二年の時と同じ場所だった。
黒板の上だけ、数字が二から三へ変わっている。
机は八つ。
召喚獣用の場所も六つ。
フェンリルはアリエスの足元。
ホークはカイルの椅子。
カーバンクルはエリスの鞄。
シープはルナの机代わり。
ツナは窓の外。
ナビは俺の肩。
クラスが変わらなかったため、使い魔たちは数字の違いに気づいていない。
人間の方も、半分くらい気づいていなかった。
「三年生は、何が違うの?」
ミィナが調査用紙を裏返す。
「卒業後の進路を決める」
「卒業するところ!」
「それは進路じゃない。到着だ」
「その後?」
「その後を書くんだよ」
俺も同じ場所で止まった。
卒業後。
その四文字が、用紙の一番上にある。
前の世界では、卒業することだけが目標だった。
大学も仕事も、卒業証書を受け取ってから考えればいいと思っていた。
考える前に、トラックへ撥ねられた。
当時の俺は、勇者にも社長にもなりたくなかった。
危険が少なく、毎月給料が出て、帰れば眠れる仕事なら何でもいい。
進路希望調査の第一欄より、購買の焼きそばパンを先に考えていた。
その結果、用紙へ何も書かないまま冬を迎えた。
異世界へ来てからも、英雄になる気はない。
なのに村の井戸を直し、迷宮へ入り、空の都市で炉を止めた。
やりたくなかった物語だけ増え、やりたい仕事だけ決まっていない。
二度目の学園生活でも、俺は同じことをしている。
今度こそ卒業証書をもらう。
そればかり考え、受け取った翌日のことは白紙だった。
「第一希望、第二希望、勤務希望地を書け」
先生が説明する。
「未定でもよい。ただし、何を調べれば決められるかは書くこと」
用紙には、希望欄より大きな確認欄があった。
その仕事を実際に見たか。
必要な資格を知っているか。
働く場所の危険と、断る条件を確認したか。
名前だけ格好いい仕事を書いても、見学して三日で逃げれば双方が困る。
「第一希望は、年末まで変更できる」
「変えていいの?」
ミィナが驚く。
「調べて変わらないなら、調査ではなく誓約書だ」
先生は黒板へ、見学、体験、再提出と書いた。
最初から正解を書く試験ではない。
今の仮説と、次に確かめる場所を書く紙だった。
羽ペンが一斉に動いた。
俺以外の七本である。
「早くない?」
カイルが俺の方を見た。
「カイルは何て書いたんだ」
「王都かゼニスの航空救助隊。ホークと一緒に、風の強い場所で人を運ぶ仕事かな」
精密射撃ではなく、救助を選んでいる。
撃たない判断に点をもらった男らしかった。
エリスの第一希望は、学園治癒室。
怪我を治すだけでなく、悪化する前の検査を授業へ入れたいと書いていた。
「同じ勤務希望地?」
「偶然だよ」
カイルが笑う。
「相談しました」
エリスが正直に言った。
偶然は一秒で治療された。
グレイは召喚生態研究室。
採血という文字を書き、消し、健康観察へ直している。
「消した跡が一番濃いぞ」
「未練はあるよ」
「断られたら?」
「観察だけにする」
「先にそう書け」
ノアは、海と空の救難灯の開発。
霧や雲の中でも届き、眩しすぎない光を作る。
自分の光を隠すのではなく、誰かが帰る道へ使うと決めていた。
「勤務希望地は?」
「まだ決めていません。海岸とゼニスの両方を見てから選びます」
未定の下に、調べる場所が二つ書かれている。
白紙とは違う未定だった。
ミィナは、猫の一族とラグナ村と学園をつなぐ仕事。
職名が分からず、三つの魚の絵を線で結んでいる。
「全部、魚じゃないか」
「学園は大きい魚! 村は中くらい! 森はお魚を運ぶ!」
「最後だけ場所ですらない」
「でも、つなぐ!」
やりたいことだけは伝わった。
先生も消さなかった。
ルナは、重力航法研究所。
「船を浮かせるのか?」
「浮かせて、止める」
「止める方まで書くんだな」
「浮いたままだと、家に帰れない」
睡眠以外にも、帰ることを考えている。
アリエスは最後まで用紙を隠していた。
「見せろよ」
「嫌よ」
「俺のは白紙だから公平だ」
「公平じゃないでしょ」
横から少しだけ見える。
『魔法実技教官』
「教える側になるのか?」
「火力だけで評価されてた生徒が、火を抑える方法を教えてもいいでしょ」
「向いてると思う」
「急に真面目に言わないで」
アリエスは紙で顔を隠した。
フェンリルの尾だけが、机の下で大きく動いている。
七人の紙には、卒業の先があった。
行き先は、全員同じではない。
王都の治癒室。
空の救助隊。
海岸の灯台。
重力船の研究所。
猫の森。
同じ教室へ残る名前もあれば、地図の端へ向かう名前もある。
「別々の場所を書いたら、Fクラスも今度こそ解散?」
ミィナが七枚を見比べた。
「勤務先が違っても、会えなくなるとは書いてない」
カイルが七枚の間へ指を置く。
「空を飛べるし、休みもあるよ」
「手紙も送れます」
ノアが自分の欄へ、定期帰校と小さく足した。
進路は、誰と二度と会わないかを決める紙ではない。
それでも時間と距離は、卒業しただけで消えない。
恋愛も仲間も、同じ寮にいる今より予定を言葉にする必要がありそうだった。
俺の紙には、名前すら書けない。
氏名欄へアルトと書けばいい。
だが、本名は風早歩瑠斗。
この世界に出生記録はない。
学籍簿へつながらない名前で、卒業後の求人へ応募できるのか。
教師、研究所、王国の技術局。
どれも卒業資格か身分証を求める。
「屋根のある部屋と、三食の飯」
最初の希望を書きかける。
「それ、寮に残る気?」
アリエスがのぞいた。
「就職先に求める最低条件だ」
「三年もいて、最初と同じなの?」
同じだった。
卒業証書を取れば、平穏な生活が始まると思っている。
紙一枚が人生を全部決めるわけではない。
それでも、届かなかった一枚を今も追いかけている。
しかも今度は、取れるかどうかも分からない。
「卒業できなかったら、どうなる?」
ミィナが聞いた。
「留年?」
「十六回は嫌だ」
真実の鏡で見た悪い未来が戻ってくる。
「学園に雇ってもらえば?」
カイルが少し考える。
「卒業してない学校に就職できるのか?」
「研究助手なら、実績を見る所もあるよ」
グレイが用紙の裏へ募集先を書き始めた。
「ボクの村に来る?」
ミィナが手を挙げる。
「魚を運ぶ仕事はある!」
「その場合、卒業証書は?」
「お魚の包み紙にする!」
「三年分を包むな!」
嬉しい。
どこにも行けないわけではない。
それでも、卒業できない前提で進路を決めたら、最初から諦めたことになる。
「今は書かない」
俺は羽ペンを置いた。
「卒業できるか分からないから?」
ノアが俺の白紙へ目を落とす。
「それもある。でも、卒業できた後に何をしたいかも、まだ借り物の答えしかない」
教師は、皆が言ってくれた。
研究者は、グレイの隣ならできそうだ。
村へ行く道も、ミィナがくれた。
どれも大事だ。
だからこそ、空いた欄を埋めるために一つだけ写したくなかった。
先生が用紙を集める。
俺の紙だけ、白い。
「書けと言ったはずだ」
「何を調べれば決められるかは書きます」
紙の下へ、一行だけ足した。
『卒業資格の確認後、再提出』
「進路欄は白紙だな」
「はい」
「提出期限は?」
「今日です」
「なら未提出扱いだ」
「厳しい!」
「期限内に白紙を出せば、提出したことになると思うな」
前の世界の進路指導でも、たぶん同じことを言われた。
異世界へ来ても、白紙の採点だけは変わらない。
***
放課後。
進路希望調査の代わりに、卒業資格調査の大きな紙を広げた。
二年最後の試験で、学園長が示した三つの調査。
世界樹の学籍簿。
九条先生の記録。
第零層と黒い管。
全部を同時に触れば、どの調査で何が変わったか分からなくなる。
「最初は、今の手順を図にしましょう」
ノアが白紙の中央へ、卒業証の絵を描いた。
入学記録。
各年の出席。
単位。
実技と卒業研究。
出生記録。
最後に世界樹の卒業印。
どの記録が、どの順で次へ渡るのか。
まず普通の卒業生一人分について、個人名を消した見本を借りる。
俺の記録と比べるのは、その後だ。
記録課から借りられたのは、本物ではなく練習用の学籍板だった。
一筋の細い溝が、五つの欄を順につないでいる。
入学、出席、単位、本人確認、卒業。
最初の皿へ色水を一滴落とす。
正しい印がある欄は小さな弁が開き、次の溝へ水を渡す。
四つそろうと、最後の卒業欄へ色が届いた。
「一つだけ閉じると?」
ミィナが本人確認の札を外す。
色水は、その手前で止まった。
「卒業欄が悪いように見える」
カイルが最後の乾いた皿を見る。
「でも、止まったのは前ですね」
ノアが本人確認の溝を指す。
祭りの灯りを一本の線でつないだ時、途中の灯りが外れれば、その先が全部消えることがある。
消えている最後の灯りを交換しても直らない。
電気を知らない七人には、水路の方が分かりやすかった。
「この練習板は、実際の学籍簿と同じなの?」
アリエスが弁を持ち上げる。
「順番を説明する模型だ。本物の魔力経路が同じとは限らない」
記録課の注意書きにも、仕組みを単純化とある。
模型で原因を決めるのではない。
どの欄を、どんな順番で確認するかを決めるために使う。
俺たちは五つの欄へ、必要な資料を書き足した。
入学なら願書と入学試験。
出席なら三年分の出席簿。
単位なら教科ごとの採点表。
本人確認なら出生記録と入学時の魔力印。
卒業なら卒業研究と最終判定。
「アルトさんにある物と、ない物を分けましょう」
エリスが白と赤の札を置いた。
入学記録はある。
出席は、今日まである。
単位も、二年分はある。
入学時の魔力印も残っている。
出生記録だけがない。
「なら、そこを作ればいい?」
ミィナが赤い札をつまむ。
「勝手に作ったら偽造だ」
「アルトは本当にいるよ!」
「それを何の記録で証明するか調べる」
目の前にいることと、学籍簿が本人だと認めることは同じではない。
だからといって、いない人間として扱われるつもりもない。
六百六十日の出席、答案、負傷記録、食費。
俺がこの世界に残した物なら、出生記録より多い。
食費だけは証明から外してほしい。
「最初からアルトさんの学籍を動かすのではないんですね」
エリスが調査票を押さえる。
「壊したら戻せない。本物へ触る前に、見本で手順を知る」
長い管の漏れを探す時も、いきなり全部を切らなかった。
入口から順に、音と温度を比べた。
卒業印も、最後の印だけを押して動くとは限らない。
途中のどこで俺の記録が止まるかを見つける。
「一つずつなら、誰が調べる?」
カイルが三枚の札を置く。
学籍簿は、文字と光の流れを読むノアと、記録の構造を見るグレイ。
九条先生の資料は、俺とナビ。
第零層の安全計画は、残る五人と六体。
「人数が合わないわ」
アリエスが数える。
「アルトの所へ、私も入る」
ルナが言った。
「九条先生の日本語、読めないだろ」
「読んでる時のアルトを見る」
「それは調査か?」
「一人で悪い未来へ行かないか、観察」
真実の鏡の話をしているらしい。
断る理由はなかった。
「班は固定しません」
ノアが線を点線へ直す。
「二十日ごとに、別の方が記録を読み直します」
一つの班だけで考え続ければ、その班の思い込みも増える。
個人試験で分けられた理由と同じだ。
独立して確かめ、最後に重ねる。
ただし、危険は一人で抱えない。
最初の報告日は、入学第六百八十日。
進展がなくても、調べた場所と次の候補を出す。
「二十日ある!」
ミィナが予定表へ魚の印を描いた。
「報告日は休日か。提出は夕方だな」
アリエスとルナが、同時に予定表を見た。
二人の指が、同じ休日で止まる。
「その日、空いてる?」
「その日、起きてる?」
二人の視線が、同時に俺へ向いた。
進路希望調査は白紙でも、休日の希望だけ先に埋まりそうだった。




