57話 二年最後の登校先は地下です
二年生最後の登校先は、教室ではなかった。
入学第六百五十九日。
「地下第七接続路、午前八時集合」
昇降口の掲示を読み上げる。
「修了式は?」
「地下でやるんじゃない?」
ミィナが新しい上着の襟を直した。
修了式用に洗った制服で、地下配管の点検へ行く気らしい。
「汚れるぞ」
「昨日洗ったから、今日汚せる!」
「順番が逆だ!」
他の二年生は大講堂へ向かっている。
花の飾りを持つ生徒までいた。
俺たちだけ、縄、温度板、木槌、保護面を持って地下階段へ下りた。
卒業証書へ近づくほど、日当たりが悪くなる。
「三年Fクラスの共同課題、第一回だ」
地下入口で、ミネルヴァ先生が点検表を配った。
「正式には明日から三年生だろ」
「今日は二年次の予備調査だ。出席は二年へつける」
「なら行きます」
最後の一日まで、皆勤は守りたい。
先生は俺の返事を聞く前から出席簿へ丸をつけていた。
「今日、第零層には入らない」
八人の顔を見て続ける。
「入口までの退避路と、黒い管の状態を確認する。封鎖扉を開けるのは三年次の安全計画が通ってからだ」
「見るだけ?」
アリエスが少し不満そうに言う。
「触る前に見る。二年間で覚えただろ」
「覚えたから聞いたのよ」
アリエスは杖をしまった。
フェンリルは火を落とし、先頭で空気の匂いを確かめる。
ホークは狭い通路なので翼を畳み、カイルの肩。
カーバンクルはエリスの鞄から顔を出す。
シープは測定器とルナを載せている。
ツナは地下水路の上を泳ぐ。
ナビは俺の肩で地図を表示した。
『現在地、地下第七接続路。第零層封鎖扉マデ、推定六百二十メートル』
「遠い!」
「昼食、持ってきた?」
ルナが聞く。
「調査より先に飯か」
「六百二十メートル。往復。測定。昼になる」
計算は正しい。
食料庫から支給された非常食が八人分と、召喚獣用の餌が五体分ある。
ナビは食べない。
ツナだけは、すでに非常食の袋を見ていた。
「これは非常時まで食べるなよ」
「今から地下へ行くのは非常時じゃない?」
ミィナが首を傾げる。
「予定された調査だ」
「じゃあ、お昼は?」
「予定された非常食だ」
自分で言っていて、分からなくなってきた。
***
地下第七接続路は、古い石の通路だった。
壁には三十歩ごとに青い退避灯。
床の中央を、黒い管が通っている。
ラグナ村、猫の森、ゼニス、学園地下の地図で見つけた線と同じだ。
表面は光を吸い、近づくほど低い音がした。
「修了式が始まるまで、あと四時間です」
ノアが入口側の壁へ、白い反射札を貼った。
「急げば間に合う!」
ミィナが先頭へ飛び出す。
「急ぐための点検じゃない!」
尻尾を掴む。
「でも写真あるよ! 花もあるよ!」
「俺たちは木槌を持ってるな」
「花の代わりにする?」
「壇上で振るなよ」
反射札は曲がり角だけ。
人数札は入口と封鎖扉。
今日の俺たちは、式典へ間に合うために点検表から余計な項目を増やさないと決めた。
決めた直後。
ルナがシープの荷物から昼食を出した。
「まだ午前だぞ」
「……式の前に食べる」
「修了式にパンを持ち込む気か?」
「……地下で食べるより、上」
その判断だけは正しい。
スカイ・ツナが包装の音へ向いた。
「お前は見るな」
「まだ何もしてないよ!」
ミィナがツナの目を両手で隠す。
口は開いていた。
見るより危険な方が残っている。
***
通路の半分を越えたところで、一番前のミィナが止まった。
「ここ、変」
「匂い?」
「音」
黒い管の継ぎ目へ耳を向けている。
低い流れの音へ、細い金属音が混じっていた。
きん。
きん。
「昼の鐘?」
「まだ早い」
カイルが懐中時計を見る。
「修了式の予鈴なら、もっと困る」
俺は木槌で、継ぎ目の手前を軽く叩いた。
こん。
継ぎ目。
きん。
向こう側。
こん。
真ん中だけ、硬く高い。
「一か所だけ違う」
もう一度叩く。
今度は全部、きん、と鳴った。
「増えた!」
ミィナの耳が立つ。
「静かに」
全員の足を止める。
ホークも翼を畳む。
フェンリルの爪を床から上げる。
クラウド・シープの荷物から、木杯が揺れていた。
測定器へ当たり、きん、と鳴る。
「お昼が犯人」
ルナが杯を押さえた。
「式の前に食べようとするからだ」
「……食べてない。鳴っただけ」
無罪ではない。
昼食を床へ下ろし、もう一度だけ叩く。
手前。
こん。
継ぎ目。
きん。
向こう。
こん。
今度こそ、真ん中だけ違った。
高い音がしたから、すぐ破裂するとは限らない。
継ぎ目の内側で留め具が緩んだのか。
管の厚さが違うのか。
中の流れが速いのか。
外から聞いただけでは決められない。
「開ける?」
アリエスが保護面を下ろす。
「開けない」
「中を見ないと分からないでしょ」
「何が出るかも分からない」
修了式へ遅刻する理由として、地下で正体不明の液体を浴びました、は強すぎる。
卒業証書より先に、医務室の診断書が出る。
「印をつけて戻る」
「それだけ?」
「勝手に直さないのも点検だ」
ミィナが管へ耳をつけたまま動かない。
「もう少し聞けば、分かるかも」
遠くから、鐘が一度鳴った。
修了式の予鈴。
残り三十分。
「ミィナ」
「あと十秒!」
「九」
「数えるの早い!」
「八、七、六」
「分かった! 戻る!」
二年間で一番難しい成長かもしれない。
エリスとカーバンクルが、継ぎ目の外へ薄い保護膜を張る。
修理ではない。
次の点検まで、何かが漏れた時に色が変わる目印だ。
ノアが大きな赤い札を下げた。
『開けるな。異音あり』
グレイが横へ小さく書き足す。
『とても興味深い』
「消せ」
「危険度が伝わるよぉ」
「お前にだけだ」
消させた。
代わりに時刻と、木杯を下ろしても音が残ったことを書く。
原因は書かない。
分からないものへ、格好いい名前をつけると、次の人が信じる。
「ここから急げば、間に合うかな」
カイルが通路の先を見る。
「ホークの風で背中を押す?」
「地下でやると全員の髪が終わる」
「髪より式!」
ミィナが賛成した。
試しに一度だけ、弱い風を後ろから送る。
歩く速度は上がった。
床の泥も上がった。
修了式用の制服へ、八人分きれいに貼りついた。
「中止!」
ノアの白い袖が、茶色の水玉になっている。
「これ、洗えば落ちますか?」
「式には間に合わない」
「では光で白く見せます」
ノアの袖が光る。
泥まで立派に照らされた。
「余計に見える!」
ルナが測定器へ指を向ける。
「……荷物、軽くする」
シープの背に載せた道具が浮いた。
同時に昼食の木杯も浮く。
包装の隙間から、固いパンが一個だけ天井へ上がった。
ツナが追う。
ミィナが追う。
二人とも反対方向へ走った。
「軽くするのは道具だけ!」
「……パンも道具」
「何の道具だ」
「……空腹を止める」
正しいが、今は止めてほしい。
アリエスが俺の袖をつまんだ。
「火で泥を乾かせば、落とせるわ」
「制服を着たままやるなよ」
「弱い火よ」
赤い指先が近づく。
泥の水分が湯気になった。
乾いた泥は白い粉になり、俺の顔へ舞う。
「熱い! 見えない!」
「乾いたでしょ!」
「俺まで焼くな!」
フェンリルが面白がり、反対の袖へ鼻を近づける。
「お前は参加するな!」
左は泥。
右は焦げ。
卒業証書をもらう服として、左右の個性が強すぎた。
「普通に歩きましょう」
エリスが言った。
「走らず、魔法を使わず、昼食を追わず」
最後だけミィナとツナへ向けている。
「それだと間に合わないよ!」
「これ以上試すと、式へ出せない姿になります」
全員、自分の制服を見た。
すでに半分ほど出せない。
「最後の手段」
グレイが紫の瓶を出す。
「しまえ」
「まだ説明してないよぉ」
「紫だから駄目だ」
「偏見だねぇ」
「二年間の実績だ」
瓶は白衣へ戻った。
結局、俺たちは普通に歩いた。
急ぐために試した時間だけ、修了式から遠ざかった。
「写真は?」
ミィナが聞いた。
「今から走れば、最後列へ入れる」
「地下で撮る?」
「誰が」
ナビの赤い目が光った。
『撮影機能ヲ起動』
「待て」
全員が止まる前に、白い光が走った。
修了式用の制服。
保護面。
木槌。
足元には昼食。
背後には開けるなと書いた赤札。
『撮影完了』
「これ、学校に出すの?」
カイルが画像を見る。
「黒板の解散通知よりは記念になる」
「ボク、目を閉じてる!」
「撮り直す時間はない!」
俺たちはようやく封鎖扉へ向かった。
***
第零層の封鎖扉へ着いた時、正午の鐘が地下まで響いた。
扉は開けない。
「あったかい」
ミィナが扉の下へ鼻を近づける。
「触るな」
「触ってない! 匂いが上へ来る」
足首へ、かすかな風が当たった。
冷たい地下の空気とは違う。
湿っていて、少し温かい。
ノアが白い糸を垂らす。
糸は扉の隙間から外へ押され、ゆっくり揺れた。
「向こうの空気が膨らんでいる?」
カイルが声を落とす。
地下の奥が温まれば、空気は広がろうとする。
逃げ道が扉の下しかなければ、細い隙間からこちらへ流れる。
「開けて確かめる?」
ミィナの耳が立つ。
「開けない」
「ちょっとだけ!」
「ちょっと開けた扉から、ちょっとだけ出るとは限らない」
アリエスが取っ手の前へ立った。
「私も開けたくはあるけど、今日は点検よ」
「アリエスまで我慢してる!」
「何で私が危険の基準なのよ!」
正確だから困る。
グレイが隙間の風を小瓶へ集めようとする。
エリスが瓶の口を膜で塞いだ。
「採取も扉へ近づく行為です」
「空気だけだよぉ」
「空気に何が混ざっているか、分からないから止めます」
白い糸の先が、一度だけ強く跳ねた。
向こうで何かが動いたのか。
温度が変わっただけか。
答えは扉の内側にある。
今日の俺たちは、それを開けずに持ち帰る。
扉の床へ赤札を二枚追加した。
『温風あり』
『開放せず』
ナビが赤い目で札を記録する。
『未解決事項トシテ保存』
「三年の俺たちへ宿題だな」
「明日、開ける?」
ミィナが聞く。
「明日になっても、調べてからだ」
「三年生なのに?」
「学年が上がっても、扉は安全にならない」
進級は、鍵を勝手に開ける許可証ではない。
宿題の方が、俺たちより先に三年へ進んだ。
何も解決しないことが、今日の正しい仕事だった。
鍵の数、封印の傷、周囲の温度、戻る道の札を確認する。
最後に八人と六体の数を数えた。
「人、八。使い魔、六」
エリスが点検表へ書く。
「非常食、七」
ルナが袋を数えた。
「八人分あっただろ」
全員がツナを見る。
ツナの口から、銀色の包装が半分出ていた。
「まだ非常時じゃないぞ!」
「ツナのお腹が非常時だった!」
ミィナが包装を引っ張る。
中身はもうなかった。
食堂立入禁止の次は、非常食接近禁止である。
「アルトの分、半分あげる」
ルナが自分の固いパンを割った。
「俺の分が食われた前提なのか?」
『包装ノ識別番号、アルト用デス』
「本当に俺のだった!」
七人は笑いながら食べ始めた。
俺もルナの半分と、アリエスが投げた干し肉を受け取る。
ノアは温かい茶を回し、カイルとエリスは一つの果物を分けた。
グレイは昼食の横で、継ぎ目の記録を清書している。
ミィナはツナへ説教しながら、自分のパンも少し与えていた。
二年最後の昼食は、地下入口から六百二十メートル先の封鎖扉前になった。
花も壇上もない。
修了証も、今は出席簿の中。
大講堂の正式な記念写真には間に合わない。
代わりにナビの記録へ、封鎖扉と泥と、目を閉じたミィナと、非常食の包装を吐き出さない魚が残った。
帰り道。
白い反射札は一枚も外れていなかった。
赤札をつけた継ぎ目も、行きと同じ音を保っている。
地上へ戻ると、大講堂の修了式は終わっていた。
「遅刻?」
ミィナが掲示板を見る。
「地下調査へ出席済みだ」
先生が出席簿を閉じる。
「二年次、八名全員修了。明日から三年Fクラスだ」
「休みは?」
ルナが聞いた。
「今日の午後」
「短い」
「昼まで地下にいたよ!」
ミィナも抗議する。
「なら、残り半日を大切に使え」
先生は先に校舎へ戻った。
俺たちの二年次は、地下の泥を制服につけて終わった。
明日の朝には、同じ制服で三年生になる。
洗濯だけは、進級を待ってくれなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第二章「二年生編」は、これにて終了です。
次話からはいよいよ三年生編。アルトたちは、卒業証書へつながる最後の一年へ進みます。




