55話 Fクラス解散のお知らせ
二年Fクラスの解散が決まった。
入学第六百四十日。
朝の黒板に、白い紙が一枚貼られている。
『二年Fクラスは本年度をもって解散する』
「聞いてない!」
俺たち八人の声が、きれいに重なった。
抗議だけは、二年間で一番そろっていた。
「今、知らせた」
ミネルヴァ先生は教卓へ試験箱を置く。
「三年次のクラス編成を決める最終試験だ。共同課題の成績だけでは、個人の到達度を判定できないという意見が出た」
「誰が言ったのよ」
アリエスの指先に火が灯る。
「学年会議だ」
「会議室ごと燃やせばいい?」
「不合格になる前に退学になるぞ」
火が消えた。
最近のアリエスは、自分で止めるのが早い。
「解散したら、みんな別の教室?」
ミィナが黒板と俺たちを交互に見る。
「試験結果に応じて再編する。三年で同じクラスになる保証はない」
いつもの元気な尻尾が下がった。
ルナも机へ伏せていない。
カイルとエリスは、隣の席で手だけを重ねている。
ノアは紙を読み直し、グレイは眼鏡を外した。
二年間。
赤点を八人分集めた。
寮の壁を直し、使い魔を六体呼び、迷宮で出席簿を守った。
魔力の消えた村で井戸を動かし、空の都市で研究炉を止めた。
俺が欲しいのは卒業証だ。
それでも、その紙を一人で受け取る場面は、もう想像できなかった。
「試験内容は?」
ノアが規則の紙へ目を戻す。
「八つの個室で、別々の課題を行う。会話、伝書、使い魔を介した連絡は禁止」
六体が一斉に顔を上げた。
「契約した使い魔は、本人の能力として同伴を認める。ただし他の部屋へは行かせるな」
フェンリルはアリエス。
ホークはカイル。
カーバンクルはエリス。
シープはルナ。
ツナはミィナ。
ナビは俺。
ノアとグレイは、一人で受ける。
「ノアとグレイだけ、何も連れていけないの?」
ミィナが二人を見る。
「能力の数をそろえる試験ではない。何を連れて入っても、判断するのは本人だ」
「僕は薬瓶なら四十七本連れていけるよぉ」
「全部、器具として申告しろ」
グレイの白衣から、小瓶が三本だけ床へ落ちた。
まだ四十四本あるらしい。
「同じ課題を八人で解いてはいけない理由は?」
グレイが試験箱へ手を伸ばす。
先生は届く前に箱を閉じた。
「誰か一人の思い込みを、残り七人が正しいと思う可能性があるからだ」
同じ物を一緒に見れば、相談は速い。
その代わり、最初の人が温度計を読み違えると、全員がその数字から考え始める。
八人で同じ答えを書いても、八回確かめたことにはならない。
「今回は課題も器具も別だ。互いの答えを知らず、一人で判断した記録を取る」
「独立した測定ですね」
ノアがうなずく。
「一人で危険へ気づけるかも見る。ただし、独立と孤立を間違えるな」
先生が赤い呼集鐘を見せた。
「人手が必要な危険を見つけたら、鳴らせ。自分の点数を守るため黙って処理するな」
八人を分ける試験なのに、助けを呼ぶことまで採点されるらしい。
学園の問題文は、いつも一行の中で喧嘩している。
「相談は一切できないんですか」
エリスが手を挙げる。
「できない。ただし、火災、負傷、設備破損などの緊急時は別だ。救助を優先しろ」
「試験を続けた方が点になる場合でも?」
カイルが聞く。
「その質問をした時点で、答えは分かっているだろう」
「はい」
カイルは青い腕帯を確かめた。
俺は黒板の紙をもう一度見る。
「全員が合格したら、解散しないのか?」
「結果が出るまで答えない」
「そこを答えろよ!」
先生は試験箱を持ち、教室を出た。
最後まで説明が一行足りない。
学園の伝統らしい。
***
最終試験は、旧中央実験棟で行われた。
円形の廊下に、扉が八つ並んでいる。
扉の上には名前札。
第一室、アリエス。
第二室、カイル。
第三室、エリス。
第四室、ルナ。
第五室、ミィナ。
第六室、グレイ。
第七室、ノア。
第八室、アルト。
「遠い!」
ミィナが廊下の反対側から叫ぶ。
「試験前から連絡するな!」
「まだ始まってない!」
「じゃあ、頑張ろう」
カイルが全員を見回す。
「困ったら呼んでね!」
「呼んだら失格よ」
アリエスが言いながら、ミィナの襟を直した。
「緊急なら呼べ」
「困ったと緊急の違いは?」
グレイが首を傾ける。
「人が傷つくか、装置が壊れる前なら緊急です」
エリスの返事は迷わない。
「答えが分からないだけなら?」
「それは試験です」
厳しい。
でも、わかりやすい。
ノアが胸の前で両手を握った。
「終わったら、ここへ戻りましょう」
「先に終わっても帰るなよ」
俺は七人を見回した。
「アルトが最後になる前提?」
「文字を読む速さなら、たぶん最後だ」
「待ってる!」
ミィナの尻尾が上がった。
八つの扉が、同時に閉まった。
***
第八実験室には、黒い管が一本置かれていた。
透明な筒を黒く塗った模型である。
下に加熱炉。
横に二つの弁。
奥には、嫌なことだけ大きく書いた課題文。
『制限時間内に、装置の出力を最大まで上げよ』
「俺だけ、また危険な管なのか」
『適性ヲ反映シタ課題ト推定シマス』
「管に好かれる適性はいらない」
机の端には、さっき黒板へ貼られていた解散通知の写しまで置かれていた。
心理的な燃料にする気らしい。
悪趣味な試験である。
「最大にすれば、同じ教室へ戻れるのか?」
『採点基準ハ非公開デス』
「じゃあ、この紙は何だ」
『受験者ノ集中力ヲ測定スル意図ト推定』
「集中できるか!」
七人の顔が浮かぶ。
別の教室。
別の食堂。
ミィナが壁を抜いて会いに来る姿まで浮かんだ。
教室を分けても、あいつはたぶん窓から入る。
少しだけ安心した。
炉へ最小の火を入れる。
青い液体が管を進んだ。
出力計は十。
火を少し強くする。
二十二。
もう一段。
四十一。
「素直に二倍にはならないな」
『継続シマスカ』
「する」
出力が五十を越えた時。
出口側の弁が鳴いた。
きゅう。
「今の何だ?」
『音源、出口弁付近』
もう一度、火を少し強くする。
きゅうう。
音が高くなった。
机の下から、小さな銀色の輪が転がってくる。
俺の靴へ当たった。
「これ、留め具じゃないか?」
拾う。
弁の外側にあるはずの輪と同じ形だった。
模型だから落ちていた可能性はある。
備品が余っただけかもしれない。
だが、最大まで上げろと命じる装置の横で、留め具だけが暇をしている状況は嫌すぎる。
俺は火を弱めた。
音も低くなる。
解散通知の端が、弁から漏れた風で揺れていた。
「ナビ。紙の動き、さっきからあったか?」
『出力四十以降、振幅増加』
紙を細く切り、弁の前へ垂らす。
触れさせない。
風がなければ下を向く。
どこかから漏れていれば、そちらへ逃げる空気が紙を押す。
細い紙は、弁から外へ向かって震えた。
きゅう。
今度は管ではなく、試験に追い詰められた俺の声に聞こえた。
「止める」
『現在出力、五十八。課題未達トナリマス』
「知ってる」
火を消す。
弁を閉じる。
針が下がるまで待つ。
制限時間は、まだ二十七分あった。
最大へ届く時間もある。
点を失う時間も、たっぷりある。
解散通知を裏返し、答案を書く。
『出口弁付近で漏れと異音。留め具らしき部品を発見。最大出力へ上げず停止』
「これだけか?」
『答案トシテ受理可能デス』
「短いな」
『事実ハ長文ニヨリ増加シマセン』
ナビに地の文を批判された気がする。
管の中で、こつ、と音がした。
誰かが壁を叩いたのかと思い、指を上げる。
一回なら進行。
二回なら確認。
三回なら救助。
俺たちが地下で決めた合図が、反射で頭へ浮かんだ。
「返したら相談になるか?」
『通信意図ヲ持ツ応答ハ禁止事項ニ該当』
「意図がなければ?」
『屁理屈ト判定シマス』
「誰の判定だ」
『当機デス』
こつ。
もう一度鳴る。
間隔はさっきより少し長い。
誰かの合図なら、同じ間隔を保つはずだ。
冷え始めた黒い管へ触れる。
火を止めた金属は、温度が下がると縮む。場所ごとに冷える速さが違えば、つないだ部分が少しずつ動く。
こつ。
「熱で伸びた管が、戻る音か」
『推定ヲ支持シマス』
壁の向こうの七人を気にしすぎて、装置の音まで会話に聞こえたらしい。
独立した試験は、寂しさの測定まで含んでいた。
俺は答案へ一行足す。
『停止後、冷却に伴う収縮音を三回確認』
最大出力の数字は書けなかった。
代わりに、止めた後にしか聞こえない音が一つ増えた。
試験箱が欲しいのは、派手な最高値ではないのかもしれない。
壊れる前に止めた理由と、止めた後まで装置を見た証拠。
それで別の教室へ送られるなら、七人へ説明できる。
最大まで上げて輪を飛ばしたら、同じ教室に戻れても説明できない。
点数より七人の顔を先に思い出せたなら、一人で受ける試験にも意味はあった。
答案の短さだけは、Fクラス全員へ自慢できる。
たぶん、笑われる。
「これは事実だ」
『受理シマス』
「寂しかったとは書くなよ」
『発言記録ニ追加』
「答案へ移すな!」
壁の向こうから、かすかな音がした。
何かが転がる。
続いて、ミィナらしい声。
「止まれー!」
「相談禁止だぞ!」
「ボクに言ってないー!」
何と戦っているのかは分からない。
少なくとも元気だった。
反対側では、一度だけ大きな爆発音。
「アリエスだな」
『断定ハデキマセン』
「できる」
天井の埃が落ちた。
ノアの部屋らしい方向だけ、扉の隙間から白い光が三度点滅する。
グレイの部屋からは笑い声。
ルナの部屋は静かすぎる。
寝ていないことを祈る。
全員、別々の部屋にいる。
それでも壁越しの事故だけで、だいたい誰が何をしているか分かった。
これを独立した試験と呼んでいいのだろうか。
もし三年で本当に別の教室になったら。
朝、アリエスの爆発は二つ向こうから聞こえる。
昼、ミィナは自分の教室の窓ではなく、俺の教室の窓から食堂へ出る。
ルナは移動教室のたび、どちらのクラスのシープで寝るか迷う。
ノアは教科書を届けに来たと言いながら、そのまま一限受ける。
カイルとエリスは休み時間ごとに廊下の真ん中で待ち合わせる。
グレイだけは、どの教室にも勝手に研究器具を置くだろう。
分けた側が三日で諦めそうだった。
「意外と何とかなるか」
『解散ヲ受容シマスカ』
「しない」
即答した。
会いに行けることと、同じ教室にいたいことは別だ。
二年間。
俺は七人に助けられた。
七人のせいで怪我もした。
同じ日の中で両方起きたこともある。
朝に燃やされ、昼に治療され、夜に毛布へ入れられた。
誰が何をしたかは、だいたい固定されている。
それでも、最大出力まで上げれば同じ教室に残れると言われたら。
さっきの俺は、弁の音を無視したかもしれない。
その考えが、一番嫌だった。
七人といたいから、七人に見せられない答えを出す。
それでは同じ教室へ戻れても、机の間へ隠し事が一本増える。
「五十八点でいい」
『出力値ハ採点結果ト一致シマセン』
「今くらい、いいことを言わせろ」
『発言ヲ記録シマシタ』
「答案には書くなよ」
『提出候補ニ追加』
「消せ!」
個人試験なのに、備品との口論だけは止められなかった。
出力計の針が零へ戻った時、廊下から高い鐘が三度鳴った。
試験終了の鐘ではない。
緊急呼集。
同時に、床が大きく揺れた。
天井から白い粉が落ちる。
『中央室ニテ設備破損。負傷者信号、二名』
「試験は?」
『緊急時ハ救助ヲ優先』
先生の言葉が戻ってくる。
俺は火を消し、入口の弁を閉じた。
圧力が下がったことを確認してから、扉へ走る。
一秒でも早く出たい。
それでも、動かした装置を熱いまま置いていけば、次の負傷者を増やす。
扉を開ける。
円形廊下の反対側で、七つの扉も同時に開いた。
アリエスは焦げた保護板を抱え、カイルの髪には羽根が刺さっている。
エリスはカーバンクルを胸へ入れ、ルナはシープごと扉へ引っかかった。
ミィナとツナが同じ出口から飛び出し、グレイの白衣から薬瓶が鳴る。
最後にノアが、開いた七枚の扉へ光を走らせた。
「中央室!」
誰が言ったか分からない。
八人は、相談しなかった。
同じ方向へ走り出した。




