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50話 カイルの狙撃は一発多い

 カイルは、八つの標的へ八本の矢を当てた。


 そのせいで減点された。


 入学第六百二十五日。


 風魔法精密試験の採点板には、はっきり書かれている。


 命中、八。


 残弾、零。


 規定違反、予備矢の使用。


「全部当てたのに、なんで満点じゃないんだよ!」


「アルトくんが抗議することではないよ」


 射撃台から戻ってきたカイルは、困ったように笑った。


 右腕には、エリスが巻いた青い帯がある。


 痛みが出たら中止。


 皮膚の熱が上がったら中止。


 矢を引く腕が遅れたら中止。


 三つの線を一つでも越えたら、本人の気分に関係なく止める約束だ。


 今日の試験で、カイルが使える矢は九本だった。


 標的は八つ。


 残り一本は、弦が切れたときや危険を知らせるための予備である。


 八本で八つへ当て、一本を残せば満点。


 カイルは八つへ当てた後、九本目も撃った。


「あの棒が倒れそうだったからね」


 射場の中央では、味方役の人形が斜面へ立っている。


 そのすぐ後ろにあった風見棒が、根元から折れていた。


 カイルの九本目は棒を支える縄だけを切り、味方役と反対側へ倒している。


「放っておけば、人形に当たってたわ」


 アリエスが腕を組む。


「人形だろ」


「試験では味方よ」


「味方の中身が藁でも?」


「藁だから見捨てていいって言うの?」


「俺は何と戦ってるんだ」


 藁の人権については、卒業してから考えたい。


 試験官が折れた棒を調べ、採点板へ一本線を足した。


「安全行動としては正しい。ただし、予備矢を使った事実は消えない」


「では、どうすれば満点だったんでしょう」


 エリスが採点板を見直す。


「八本目を撃つ前に、棒が倒れると読んでおくことだ」


「無茶だろ!」


「無茶を見つける試験でもある」


 試験官が射場を指した。


 谷から吹き上がる風で、細い旗が左右へ揺れている。


「本試験は午後だ。午前の成績は練習記録にする。次は予備を残してみろ」


 助かった。


 カイルより先に、俺が胸を撫で下ろした。


 他人の点数でも、Fクラスの平均へ入る。


 卒業証は連帯責任が大好きなのだ。


「午前より風が強くなるわ」


 アリエスが空を見上げる。


 雲は速い。


 旗は右へ倒れた直後、左へ跳ね返っていた。


「平均だと、ほとんど無風だね」


 グレイが記録板を見せた。


 十分間の風向きを左右で足し引きすると、確かに零に近い。


「じゃあ真っ直ぐ撃てばいい!」


 ミィナが両手を合わせた。


「右に十歩、左に十歩歩いても、最後は元の場所」


 ルナが椅子に沈んだまま言う。


「うん!」


「途中に壁があったら、二回ぶつかる」


「痛い!」


「平均だけだと、壁が消える」


 ミィナが見えない壁へ頭をぶつける真似をした。


 分かったらしい。


 平均の風が零でも、矢が飛んでいる間に右の突風を受ければ右へ飛ぶ。


 次の矢が左へ飛んでも、一発目の外れは戻ってこない。


 必要なのは真ん中の風だけではない。


 どこまで散らばるかだった。


「本当に散らばるか、同じ弓で試そう」


 グレイが台の下から、脚のついた小型弓を出した。


「なんで持ってるんだよ」


「人間の手が震えると、風の影響だけを分けられないだろう」


 弓は木の枠へ固定され、同じ位置まで弦を引く留め金がついていた。


 狙いも力も同じにする。


 変えるのは風だけだ。


「危険な改造はありませんか」


 エリスが先に弓を調べる。


「今日はないよ」


「今日は?」


「ありません」


 言い直すまでが検査だった。


 射場の手前へ大きな紙を張り、先端を丸めた練習矢を三本ずつ放つ。


 最初はクラウド・シープに、右から同じ強さの風を送ってもらった。


 ルナがシープの背を二度叩く。


「弱く。ずっと同じ」


 羊毛の間から、細い風が流れた。


 三本の矢は、紙の中心より左へ同じくらいずれた。


 まとまりは小さい。


「風が一定なら、ずれた分だけ狙いを直せますね」


 ノアが三つの穴を丸で囲んだ。


 次は、右、左、右と風向きを変える。


 平均だけなら、少し右である。


 ところが一本目は左端、二本目は右上、三本目は中央の下へ刺さった。


 三つを囲む丸は、さっきの四倍になった。


「同じ平均でも、まとまりが違う」


 カイルが紙の前へ立つ。


「狙いを一つ直すだけじゃ駄目なんだね」


「もう一回! 次はボクが風を出す!」


 ミィナが両手を振った。


「風魔法を使えたかしら」


「走る!」


 ミィナが紙の横を全力で往復した。


 紙は揺れた。


 矢は揺れなかった。


「足りない!」


「元気は足りています」


 ノアが慰めた。


 最後に、シープへ強い風を頼んだ。


 四本目の矢が紙へ届く前に、突然上へ跳ねた。


 羊毛の後ろで生まれた渦に巻かれたらしい。


 大きな物の周りを流れる風は、背後で向きの違う渦を作る。


 川の岩の後ろで、水がぐるぐる回るのと同じだ。


 一定の風を出したつもりでも、シープ自身が壁になっていた。


「失敗」


 ルナがシープの鼻を押さえる。


「午後は、飛ばない」


 シープは不満そうに一度だけ鳴いた。


 風を読みに来て、風を増やしたら意味がない。


 実験で失敗し、本番で一つ危険を減らせた。


「旗が一番右へ行った位置と、一番左へ行った位置を記録しましょう」


 ノアが採点板の裏へ横線を引いた。


「平均の印だけでなく、揺れた幅も残します」


「風を箱に入れるんだね」


 グレイが左右の端へ線を引く。


「箱が細い時間だけ撃てば、外れ方も小さくなる」


「ただし、旗はその場所の風しか示しません」


 射撃台から標的までは遠い。


 手前が右でも、谷の中央は左、標的の近くは上向きということもある。


 俺たちは射場を三つに分けた。


 射撃台の横。


 谷の中央。


 標的の手前。


 三か所へ赤、白、青の細い旗を立てる。


「ボクが立ててくる!」


 ミィナが旗を抱えて走り出した。


「射場へ入る前に、弓が置かれていることを確認してください!」


 エリスに止められた。


 勢いより安全確認が先である。


 ミィナは止まり、右を見て、左を見て、もう一度右を見た。


「弓、置いてある!」


「人が持っていないことも確認してください」


「誰も持ってない! 行ってくる!」


 今度こそ走っていった。


 カーバンクルが旗の束をくわえて追う。


 召喚獣のうち、射場へ出られるのはストーム・ホークだけだった。


 フェンリルは安全柵の内側でアリエスの足元。


 クラウド・シープは風を乱すので、ルナと一緒に地面。


 スカイ・ツナは水槽ごと観客席。


 カーバンクルも旗を置いた後は戻された。


 ナビは俺の肩で矢数を読む。


『残リ九本デス』


「まだ一本も撃ってないからな」


『アルトガ触レタ場合、残リ八本ニナル可能性ガアリマス』


「触らないよ!」


 俺の射撃能力まで採点しなくていい。


 ストーム・ホークは谷の中央を飛び、翼の傾きで横風を知らせる。


 旗にも弱点があった。


 布が向きを変えるまで、ほんの少し時間がかかる。


 重い布なら遅く、軽い糸なら細かな揺れまで拾うが、遠くから見えにくい。


 赤い旗だけを厚くすると、同じ突風でも白と青より遅れて動いた。


「旗が三本あるのに、別々の風が吹いてるみたいだね」


 カイルが弓を置いたまま観察する。


「道具の遅れも、風の違いに見えます」


 ノアは三本とも同じ布幅、同じ長さへ切りそろえた。


 カーバンクルが切った端を弱い熱で乾かす。


 乾いた布と雨を吸った布でも、重さは変わる。


 午後に雲が来たら交換する予備まで用意した。


 俺は試しに、紙を丸めた玉を谷へ投げた。


 手前では真っ直ぐ落ち、中央で右へ流れ、最後に上へ舞い上がった。


「一本の矢が、三つの風を順番に通るのか」


「手前の風だけ見ても足りないね」


 カイルは紙玉が落ちた場所まで目で追った。


 しかも、矢が遠くへ着く頃には、旗が示した風も変わっている。


 旗が一瞬そろっただけでは短すぎる。


 ノアが砂時計の縁へ三本の印を入れた。


 三か所の旗が同じ範囲へ入り、その状態が三呼吸続いたら射撃可能。


 途中で一本でも範囲を出たら、最初から数え直す。


「待っている間に標的が隠れたら?」


「その標的は見送るよ」


 カイルは簡単に言った。


 試験前なのに、撃たない答えをもう持っていた。


「空を飛んでいるホークなら、今の風を身体で受けるよ」


 カイルが空を見上げる。


「ただし、あの子がいる高さと矢の高さも違います」


 エリスが言った。


「旗とホークの両方がそろったときだけ、撃つ」


「そろわない場合は?」


「待つよ」


 カイルの答えに、エリスはうなずいた。


 右の翼が上がれば、右からの風。


 両方をすぼめたら、急な下降気流。


 一声なら待機。


 二声なら射撃可能。


 三声は中止。


「合図を増やしすぎると、間違えませんか」


 エリスがカイルの指へ触れた。


「三つまでにするよ。迷ったら撃たない」


「それでお願いします」


 カイルがうなずく。


 前回までなら、笑って大丈夫だと言ったかもしれない。


 今日は右腕の帯を、自分から確かめた。


 午後の本試験が始まった。


 標的は斜面の陰に隠れ、鐘が鳴るたび一つずつ現れる。


 丸い板が六つ。


 移動する板が一つ。


 最後の一つは、味方役の人形と重なる位置に出る。


 九本の矢。


 制限時間は、砂時計が落ち切るまで。


「第一旗、右二。第二旗、右三。第三旗、右二」


 ノアが小声で読む。


「揺れ幅、一以内」


 グレイが端の線を示す。


 旗の向きがそろい、箱が細くなった。


 ストーム・ホークが二度鳴く。


 カイルが撃った。


 一つ目の板の中心へ刺さる。


 二つ目。


 三つ目。


 鐘と矢音が、交互に鳴った。


 四つ目が出た瞬間、中央の白い旗だけが逆を向いた。


 ストーム・ホークが一声鳴く。


 カイルは弦を引いたまま、待った。


 砂が落ちる。


 標的が半分、斜面へ戻る。


「今なら端へ当てられる!」


 俺は思わず声を出した。


「静かにしなさい!」


 アリエスに頭を押さえられた。


 カイルは撃たなかった。


 標的が消える。


 零点だ。


 けれど、矢は残った。


「第四標的、見送り」


 ノアが記録する。


 五つ目から七つ目までは命中した。


 右腕の動きも落ちていない。


 皮膚の色も変わらない。


 エリスは弓ではなく、カイルだけを見ていた。


 最後の鐘が鳴る。


 味方役の肩越しに、小さな板が現れた。


 赤い旗は右。


 白い旗は左。


 青い旗は上下に暴れている。


 平均を取れば、また零に近い。


 揺れ幅は、今日一番大きかった。


 ストーム・ホークが一度鳴く。


 待機。


 カイルは矢をつがえた。


 砂時計は、あと指一本分。


 当てれば七つ目の得点。


 外せば味方役へ飛ぶ。


「カイルくん」


 エリスが呼んだ。


 中止とは言わなかった。


 決めるのは、カイルだ。


 ストーム・ホークが三度鳴いた。


 カイルは弓を下ろした。


 その直後、谷底から風が吹き上がった。


 三本の旗が、別々の方向へ折れ曲がる。


 もし撃っていたら、どこへ飛んだか分からない。


 砂が落ち切った。


「試験終了」


 命中は六。


 見送りは二。


 残弾は三。


 満点には遠い。


「不合格なの?」


 ミィナが柵へ張りついた。


 試験官は標的と旗を見比べ、採点板へ数字を書いた。


「射撃点、六十」


「低いじゃない!」


「安全判断、三十。観測計画、十」


 合計、百。


「満点じゃねえか!」


「精密試験は、全部撃つ試験ではない」


 試験官がカイルへ採点板を渡した。


「当たる一発より、撃たない一発の方が難しい。味方役を守るなら、なおさらだ」


 カイルは残った三本を見た。


「午前は一発、多かったんですね」


「そうだ」


「午後は三発、余りました」


 俺なら、残った三本を学食代へ換えたい。


 学園の矢なので売れない。


「それは余りではない。守った数だ」


 ストーム・ホークが射撃台へ降りる。


 カイルは弓を置いてから、その首を撫でた。


「止めてくれてありがとう」


 鳥は得意そうに胸を張った。


 エリスが右腕の帯へ指を差し入れ、熱を確かめる。


「痛みは?」


「ないよ」


「無理をしたい気持ちは?」


「少しある」


「正直でよろしいです」


「そこも採点されるんだね」


「毎日です」


 カイルが笑った。


 今度は、隠すための笑顔ではなかった。


『残リ三本デス』


 ナビが矢筒をのぞく。


「持って帰るよ」


『アルトニ渡シマスカ』


「やめてくれ。味方役が本当に怪我人になる」


 命中した矢より、残った矢の方が褒められた。


 俺の知っている試験とは、少し違う。


 でも、卒業まで残していいものなら、単位と仲間と予備矢である。


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