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44話 六体そろって診察拒否

 旧第三学生寮の食堂が、朝から不自然なくらい静かだった。


 入学第五百九十日。


 いつもなら、フェンリルが暖炉前を取り、ホークが窓を叩き、ツナが誰かの朝食を盗んでいる。


 今日は六体ともいない。


「逃げた?」


 カイルが空の止まり木を見る。


「扉は閉まってる」


 エリスはカーバンクルの寝床を調べた。


 毛布にはまだ温もりがある。


 ルナの枕もといシープも、ミィナの食料泥棒も、俺の頭へ落ちてくる案内板も見当たらない。


 代わりに食卓の中央へ、一枚の通知書が置かれていた。


『冬季使い魔一斉健康診断。本日午前九時』


 現在、午前八時五十分。


「文字を読んで逃げたのか?」


「ツナは字なんて読めないよ!」


 ミィナが即答する。


「読めても絶対逃げる!」


 それも否定できない。


 前回の健康診断で、ツナは体重超過を言い渡された。


 フェンリルは牙の間を磨かれ、ホークは翼を一本ずつ伸ばされ、カーバンクルは額へ眩しい光を当てられた。


 シープは浴槽へ沈められかけた。


 最後だけはルナのせいだ。


「ナビまで逃げる理由は?」


 俺が呼ぶと、食器棚の中から小さな金属音がした。


 開ける。


 銀色の案内板が、皿と皿の間へ縦に挟まっていた。


『当機ハ収納中デス』


「今まで一度も収納されたことないだろ」


『本日ハ定期記憶最適化ノ予定ガアリマス』


「健康診断じゃないのか?」


『不要ナ学習記録ヲ初期化スル可能性ガアリマス』


 それで逃げたらしい。


 五体は注射や絶食が嫌で、ナビは記憶を消されるのが嫌。


 診察拒否の理由だけは、それぞれ立派だった。


 九時まで、あと七分。


 遅刻の理由へ、使い魔が自分で隠れましたと書いても信じてもらえない。


 信じてもらえた場合は、飼い主としての評価が下がる。


 どちらに転んでも俺たちが負ける仕組みだった。


「全員、捜せ! 見つけても追いかけるなよ!」


「どうやって捕まえるの?」


「追うと余計に逃げる。出口だけ塞いで、好きな餌で呼ぶ」


「魚ならあるにゃ!」


 ミィナは自分の朝食を持ち上げた。


 自分で食べないという選択ができるほど、事態は深刻らしい。


   ***


 フェンリルは暖炉の薪箱にいた。


 炎の尾を消し、黒い薪の間へ赤い鼻だけを埋めている。


 体の大きさからして、隠れているつもりなのは頭だけだった。


「見えてるわよ」


 アリエスが近づくと、フェンリルは目を閉じた。


 見なければ見つかっていない。


 その理屈で俺も試験を乗り切れたら、今ごろ全科目満点だった。


 ホークは煙突の上。


 カーバンクルはエリスの薬箱の底。


 シープは雪の積もった中庭へ体を広げ、雪山へ化けていた。ルナが上へ寝転んだため、急に人の生えた雪山になった。


 ツナだけが見つからない。


「魚の匂いは?」


 ミィナが廊下へ鼻を向ける。


「厨房と貯蔵庫! あと、アルトの部屋!」


「なぜ俺の部屋から魚の匂いがする」


「先週、ツナが隠してたよ!」


「今初めて聞いたぞ!」


 寝台の下から干し魚を三枚回収した。


 犯人はいない。


 代わりに、床へ薄い水の跡が続いている。


 食堂を通り、地下の洗濯室へ向かっていた。


 扉を開ける。


 空の洗濯桶へ、ツナが丸くなって入っていた。


 百二十キロの魚が、どう見ても小さな桶へ収まっている。


「抜けるのか?」


 ツナは顔を逸らした。


 隠れたのではない。


 挟まっていた。


「捕まえたー!」


「救助だ」


 俺たちで桶を押さえ、ミィナが尾を引く。


 一度目は滑った。


 二度目はツナの腹へ石鹸がついていたため、俺たち全員が後ろへ倒れた。


 三度目で、魚だけが勢いよく抜ける。


 飛んできたツナを、シープが窓から体を伸ばして受け止めた。


 そのまま五体が一斉に玄関へ走り出す。


「出口を塞げ!」


 エリスとカーバンクルが膜を張る。


 ホークが上へ逃げ、フェンリルは下をくぐり、シープは膜へ触れたまま眠った。


 ツナは透明な膜を水面と思ったらしく、口を開けて突っ込む。


 ナビだけが食器棚から出ず、遠くから指示を出した。


『右側ノ窓ガ開イテイマス』


「先に言え!」


 ホークが窓から出た。


 フェンリル、カーバンクル、ツナが続く。


 シープは窓より大きかったため、ルナを乗せたまま枠へ詰まった。


 診察時間は、とっくに過ぎている。


 使い魔を健康に保つ前に、寮の窓枠を健康に保てるか怪しくなってきた。


   ***


 中庭で捕まえるのは諦めた。


 俺たちは玄関へ冬用の餌皿を並べ、全員で物陰へ隠れた。


 フェンリルの干し肉。


 ホークの乾燥果実。


 カーバンクルの木の実。


 シープの圧縮牧草。


 ツナの塩抜きした川魚。


 ナビの前には機械油。


「どうしてボクたちまで隠れるの?」


 ミィナが植木鉢から耳だけ出している。


「人がいなければ、安心して食べるかもしれない」


「アルトのお尻、見えてるよ」


「鉢が小さいんだよ!」


 五分待った。


 誰も来ない。


 普段なら、皿を置く前にツナが俺の手ごと食べようとする。


「やっぱり病気なんじゃない?」


 ミィナの耳が下がった。


 その耳の先へ、何かが落ちた。


 魚の骨である。


「上!」


 屋根を見る。


 ツナはいない。


 煙突の陰から、ストーム・ホークの顔だけが引っ込んだ。


「ホークが魚を食べたの?」


 カイルが首を傾げる。


 もう一本、骨が落ちる。


 今度は焦げていた。


 冬用の塩抜き魚は、生のまま乾かしてある。焦げる場所はない。


「誰か、別の物を食べさせた?」


 全員が首を振る。


 ミィナだけ、少し遅かった。


「何をやった」


「ツナが昨日、お魚を見つけたから、半分こした!」


「誰の魚だ」


「食堂の窓に置いてあった!」


「干してたんだよ!」


 病気の心配が、食堂からの請求書へ一歩近づいた。


 屋根へ上がると、煙突の裏に食料の山があった。


 焼き魚の骨。


 割れた木の実。


 赤い毛のついた肉の包み。


 ほぐされた牧草。


 乾燥果実の皮。


「五体分ある」


 エリスが呆れた声を出す。


 六体は診察から逃げただけではない。


 配給を残し、屋根裏で別の朝食会を開いていた。


「うひひ。健康診断が家宅捜索になったねぇ」


 グレイが骨を拾う。


「笑うな。犯行現場を広げるな」


「でも面白いよ。食欲がないんじゃなくて、食べたい物だけ選んでいる」


 フェンリルたちは屋根の反対側から、こちらを見ていた。


 見つかった顔ではない。


 食事を取り上げられた顔だ。


「三十七日」


 エリスが倉庫の札を持ち上げる。


「冬の保存食へ替わってから、同じ箱を三十七日使っています」


 栄養は足りている。


 種類も体格ごとに分けてある。


 だが、毎朝も昼も夜も同じ匂い、同じ硬さだった。


 俺だって三十七日連続で豆の煮込みを出されたら、焼きそばパンを召喚する。


 召喚魔法が使えなければ、購買へ侵入する。


 使い魔を叱れるほど、人間の食欲は上品ではなかった。


「でも、同じ肉なのに焼いた方は食べた」


 アリエスが包みを開く。


 冷たい干し肉へ、フェンリルは鼻を向けない。


 俺は一切れを湯の上へかざした。


 乾いた肉が少し柔らかくなり、脂の匂いが立つ。


 雪の上にいたフェンリルの耳が動いた。


 ホークも屋根から首を伸ばす。


 温めると、食べ物の中に閉じ込められていた匂いの成分が空気へ出やすくなる。


 冷たいままでは鼻の近くにしか届かなかったものが、湯気と一緒に遠くまで運ばれる。


 同じ材料でも、口へ入る前の魅力が変わる。


「いい匂いにゃ……」


 最初に近づいたのはミィナだった。


「お前の朝食じゃない」


「味見は健康管理!」


「五体と一緒に診察台へ載るか?」


 ミィナが一歩下がった。


 代わりにフェンリルが一歩出る。


 追わない。


 アリエスが肉を皿へ置き、自分も離れた。


 フェンリルは皿の周りを一周し、温めた肉だけを食べた。


 次はホーク。


 乾燥果実を湯気へ当てると、屋根から降りてくる。


 カーバンクルには殻つきの木の実を転がした。


 割れる音を聞いた途端、エリスの薬箱から飛び出した。


 シープの圧縮牧草は、ルナとミィナが左右から引っ張ってほぐす。


「もっとふわふわにするにゃ!」


「……シープより?」


「シープは食べられないよ!」


 本人は、ほぐれた牧草へ顔から埋まった。


 最後はツナである。


 焼き魚と生魚を一枚ずつ置く。


「どっちが好きか、よく見るんだよ!」


 ミィナが真剣に言う。


 ツナは焼き魚を食べた。


 生魚も食べた。


 隣のフェンリルの皿まで飲み込んだ。


「比較させろー!」


 ミィナが尾へ飛びつく。


 ツナは猫一人を引きずり、残りの皿へ突進した。


 五体が一斉に逃げる。


 今度は診察からではない。


 朝食を守るためだった。


 食欲はあった。


 ありすぎた。


   ***


 診察室へ着いたのは、予定より一時間半遅れだった。


 ヴィクトリア会長とマルタ先生は、六枚の空の診察台を前に待っていた。


「事情は聞いた」


 会長が俺たちの記録を見る。


「逃がしたのは減点。追い回さず平常値を取ったのは加点。窓枠の修理は自費だ」


 最後の一つだけ重い。


 診察は床で行った。


 フェンリルたちを台へ縛らず、主人が横へ座る。


 器具は最初に匂いを嗅がせ、触る場所ごとに待つ。


 嫌がって離れた時は、先に別の個体を見る。


 六体とも大きな異常はなかった。


 冬の運動量が少し落ち、同じ保存食へ飽きていただけだ。


「餌は栄養だけ合っていればよいわけではない」


 マルタ先生が記録へ書き足す。


「匂い、硬さ、食べる作業も刺激になる。ただし、急に全部替えれば腹を壊す。三日ごとに一種類ずつ戻せ」


 食堂の献立より、使い魔の方が細かい。


 俺たち人間は、昨日も一昨日も豆の煮込みだった。


 少し羨ましい。


「人間の献立も変えてください」


 カイルが真剣な顔で頼む。


「栄養は足りている」


「今、栄養だけじゃ駄目だって言いましたよね?」


「食堂への要望は、別の申請書だ」


「使い魔より手続きが多い!」


 診察室で最も大きな不調を訴えたのは、人間の食欲だった。


「次はナビだ」


 会長が銀色の器具を向ける。


 ナビは俺の背中へ隠れた。


『記憶初期化ヲ拒否シマス』


「初期化はしない。不要な重複記録を整理するだけだ」


『不要ノ判定基準ヲ提示シテクダサイ』


「同じ廊下の地図が十二枚ある」


『時間帯、温度、同行者ガ異ナリマス』


「アルトの睡眠中の寝返り記録が三百日分ある」


「それは消していい」


『所有者ニ削除権限ハアリマセン』


「誰の記録なんだよ!」


 会長は器具を下ろした。


「本人が拒否するなら、今日は動作確認だけにする。記憶容量が危険域へ入ったら、何を残すか一緒に決めろ」


 ナビが、ようやく俺の背中から出る。


 外装、飛行板、魔力反応。


 全て正常。


 逃走履歴だけが新しく一件増えた。


   ***


 夕食から、使い魔の献立表が食堂の壁へ貼られた。


 一日目は湯で戻した肉。


 二日目は焼いた魚。


 三日目は香りを出した果実と、ほぐした牧草。


 同じ物を急に増やさず、食べた量と糞の状態も記録する。


「人間用は?」


 カイルが鍋を見る。


 豆の煮込みだった。


「使い魔の健康診断だから、人間は対象外です」


 エリスは笑顔で言う。


 五体は新しい皿へ集まった。


 ナビの前には、いつもの油の小瓶がある。


『当機ニ食事機能ハアリマセン』


「でも、同じ物ばかりで飽きないか?」


『味覚機能モアリマセン』


「便利だな」


『所有者ノ食事ヘ関スル不満ヲ三百八十二件記録シテイマス』


「その記憶から消せ!」


『削除ヲ拒否シマス』


 使い魔六体の診察は終わった。


 俺の発言記録だけは、今後も健康なまま残るらしい。


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